
クラシック音楽の話(33)
ブラームスの『ハンガリー舞曲集』
ブラームスは19世紀のロマン派後期の人ですが、何となく古臭いといいますか、保守的なイメージがありませんでしょうか? たとえば、かのワーグナーやマーラーが活躍した時代に重なる人とは思えない。まー確かにブラームスが古典的枠組みのなかで作曲活動を行ってきたのは事実ですが、一方ではけっこう新しもの好きだったり、民族的な音楽にも興味を示したりもしたんですね。自作自演のレコードもつくったそうです。
『ハンガリー舞曲集』は、ブラームスが、ハンガリーのヴァイオリニスト、エドアルト・レメニイと付き合ううちにハンガリー・ジプシーの音楽に惹かれ、彼との演奏旅行中に採譜を続けたのが元になっています。最初はピアノ連弾のために出版され、爆発的な人気を博したそうです。その理由は、もちろん作品の魅力もありますが、当時のウィーンにハンガリー・ブームが起きていた影響が大きいともいわれます。
ところが、『ハンガリー舞曲集』の成功を知ったレメニイが、これを盗作だとしてブラームスを相手に訴訟を起こしたのです。妬んだんでしょうね。しかし、そこは生真面目なブラームスのこと、出版に際し「作曲」ではなく「編曲」としていたのが幸いし、裁判はブラームスが勝訴。実際はブラームスが創作した部分もあるそうですが、全体としては自作ではなく編曲だとして、作品番号も付していないんです。
元が民族音楽なので純粋なクラシック音楽といってよいのかよく分かりませんが、どれも数分の短い曲で、親しみやすいメロディばかりです。全部で21曲あるうち、5番目は誰もが知っている曲だと思います。これからクラシック音楽を始めようとする人は、案外こういう短編集?から聴き始めたらいいかもしれませんね。私の愛聴盤は、オトマール・スウィトナー指揮、ベルリン・シュターツカペレによる演奏です。ブラームスに相応しい実直で品のある美演かと思います。
ブラームスの略年譜
1833年
ドイツのハンブルクに生まれる
1840年
ピアノレッスンを始める
1843年
自身の演奏会を開催
1853年
ハンガリーのヴァイオリニスト、レメニイの伴奏者として演奏旅行に同行
ロベルト・シューマンを訪問(20歳)
1854年
シューマンが自殺未遂。以後2年間、シューマン家のために尽くす
1856年
シューマンが死去
1857年
ピアノ協奏曲第1番を作曲(24歳)
1863年
ウィーン・ジングアカデミーの指揮者に就任(30歳)
1867年
ハンガリー、オーストリアで演奏活動
1868年
ウィーンに定住
1871年
ウィーン楽友協会の音楽監督に就任(38歳)
1876年
交響曲第1番を作曲(43歳)
1877年
交響曲第2番を作曲(44歳)
1878年
ヴァイオリン協奏曲を作曲(45歳)
1883年
交響曲第3番を作曲(50歳)
1885年
交響曲第4番を作曲(52歳)
1886年
ウィーン音楽家協会の名誉総裁に(48歳)
1887年
「学問と芸術のための勲功騎士」に選ばれる(49歳)
1889年
ハンブルク市から名誉市民の称号を贈られる(56歳)
1897年
肝臓がんにより死去(64歳)