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『万葉集』巻第8-1512 ~ 大津皇子の歌

訓読

経(たて)もなく緯(ぬき)も定めず娘子(をとめ)らが織る黄葉(もみちば)に霜(しも)な降りそね

意味

経糸もなく横糸もこしらえないで、色とりどりに娘たちが織る美しいもみじの葉に、霜よ降らないでおくれ。

鑑賞

 大津皇子(おおつのみこ)の歌。「経もなく緯も定めず」は、縦糸も横糸も定めないで。「な降りそね」の「な~そね」は、禁止の願望。紅葉を錦の布に喩えており、『懐風藻』にある皇子の漢詩の「山機霜杼、葉錦ヲ織ラム」の表現をとりいれた歌とされます。錦は金糸などを用いた華麗な文様の織物のこと。庶民にとってはなかなか手に入らない貴重品だったらしく、「錦」の文字が金扁なのは、金と同じ目方で取引されたので、このような形の文字になったといいます。本来、錦を織るには縦糸と横糸を材料とするのに、それもないまま織るという、神秘的なこととして言っており、従って、「娘子ら」を仙女らと見ています。

 窪田空穂は、「当時知識人の間には一般化しようとしていた神仙思想を捉えて、それを眼前の紅葉につなぎ、その神秘性を文芸化したものであって、まさに皇子の独創と思われるものである。この想像は、形から見てもこなれきった、さわやかなもので、おおらかな調べで貫いているものである。二十四にして命を終わった皇子の才情のほどを思わせられる作である」と述べています。なお、「述志」と題された皇子の漢詩は次のようなものです。

天紙風筆画雲鶴
山機霜杼織葉錦
・・・天紙風筆(てんしふうひつ)雲鶴(うんかく)を画(えが)き、 山機霜杼(さんきそうちょ)葉錦(ようきん)を織(お)らむ。
(天の紙に風の筆で雲間を飛翔する鶴の絵を描き、山の機織り機に霜の杼をもって紅葉の錦を織りたい)
 

懐風藻
 天平勝宝3年(751年9に成立した、現存するわが国最古の漢詩集。全一巻で120首の漢詩を収めています。撰者は未詳。作者は大友皇子から葛井広成までの64人で、天皇をはじめ、川島皇子、大津皇子、葛野王、僧の智蔵・弁正、石上乙麻呂らの諸臣。それらの作風は、中国、とくに六朝詩の影響が大きく、初唐の影響も見られます。序文には、天智天皇の御代には多くの詩編があったものの減尽したこと、近江朝の安定した政治による平和が詩文の発達を促し、多くの作品を生んだことが記されています。
 

天武天皇の子女
皇子
高市皇子/草壁皇子/大津皇子/忍壁皇子/穂積皇子/舎人皇子/長皇子/弓削皇子/新田部 皇子(生年未詳)/磯城皇子(生没年未詳)
皇女
十市皇女/大伯皇女/但馬皇女/田形皇女/託基皇女/泊瀬部皇女(生年未詳)/紀皇女(生没年未詳)
 

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