憧れ
もしワタシが1980年に生まれたら
僕は早くに死んでたと思う。
最初の二行目を文章の途中で書き直した。
本当は「もっと幸せだったと思う」と唱えたかった。
1980年はバブル経済真っ只中。
19歳のワタシにとっては戦国時代と同じレベルでワクワクする歴史である。
以前友人の母親から聞いた話だ。
今ではもう70歳。
40年以上飲み屋街の清掃員をしているおばあちゃんと話をしたときのこと。
そのおばあちゃん曰く、
バブル時代の清掃員は24時を過ぎると
時給が跳ね上がるらしい。
その額は何十倍。
このカラクリは、タクシーを拾う男たちがお金をばらまき、それをキレイに清掃するかららしい。
そして最後におばあちゃんは言う。
「あの時代は良かったよぉ」
“今を生きる”①
最近Twitterを見なくなった。
ただでさえ一般の人のツイートは興味がないのに
自粛時間はとくに
一人当たりの平均ツイート数が格段に上がる。
もう空の写真はごめんだ。
同じの空の下にいるよ、と
いうメッセージなのだろうか。
まずあなたを知らない時点であなたといる必要性を感じな…
ここまで考えてしまう自分がイヤだったので見なくなった。
ここまで卑屈じゃなくても、
これまでの離れてても知らない人と繋がれる
世界に慣れ、
飽きてる人はたくさんいるだろう。
5/28現在、
まず繋がるべき人はすぐ隣にいることに気づき、
繋がれるキャパシティもみんながみんな
多く持っているわけじゃないことにも気づく。
人付き合いが重なると、
毎回新鮮にこの気づきと再開する。
過去の人たちはどうだっただろう?
“今を生きる”②
1980年は憧れが憧れたる時間が長いと思う。
つまり若者にとっては青春の時間が長い。
ケータイはない。
つぶやきは日々の日記に綴るか、
誰も知ることなく消える。
夢を持ってギターを手にする。
だけど楽譜はアプリで調べることができない。
チューニングも機会がなきゃできない。
2020年はそうじゃない。
言葉にしても、行動しても
すでにその道が整っていることが多い。
つまり誰でもできる、がマニュアル化している。
実にやさしい世界。
いま、心から聞きたい。
あなたならどっちの世界を生きる?
2020年は本来はバブルおばあちゃんにとっても
素敵な時代なはずだ。
福祉も整ったし、あなたを雇用し続けられる。
だけど「今の時代はいいよ」と言う自信が
ワタシにはない。
やりたいことをやっている19歳は
この世にいることを知れるし、
同じ目標を持っている若者を今から知ることができる。
捉え方によるがワタシはこの現状に萎えてしまう。
現実逃避だが夢を見る自分と戦っていたいし、
いたとしても見えるライバルは一人くらいでいい。
だから1980年に行きたい。
そうすれば「もっと幸せだったと思う」
だがよく考えてみよう。
1980年の人たちがどうやって夢を叶えたのか?
(このくりかえしを頭の中でしている。
これで4周目だ。
みなさんにはこれでもダイジェストでお送りさせて頂いております)
“今を生きる”矛盾 完
とにかく人伝いだ。
夢を叶えたいことを人に伝え、
人に協力してもらい、
人から貶され、
人に感謝する。
清掃員のおばあちゃんは人に頼んで清掃員になり、
人が落としたお金まで掃除をし、
人のお金でお酒を飲む。
この時代のことを「良かった」と言っている。
この時代を、ツイートを避け、
自粛期間に安堵を覚えている19歳が
生きられる訳が無い。
もっと冷たい。
人に頼らなければすぐ死んじゃう。
なのに連絡する手段が全くない。
待てよ、人伝いは今の時代も同じだなぁ。
人と生きなきゃ、人に頼らなきゃ叶えたい
夢も叶わないし、生活ができない。
ということは
ワタシは2020年に生きているので死にます
になる。
今のワタシの生き方はどの時代においても
何かが間違っていることに気づく。
1980年に生きていれば情報が少なく、
夢に向かってもっと一直線に進める。
2020年に生きているので何かするときは
人に連絡してご享受をもらう。
つまりこれを今の時代に
同時にやれば良いということになる。
憧れを憧れにし続けるための努力をすること、
つまりファンタジーを作り上げれば
40年後、
「あの頃の自分が好きだった」と
言える時間になるのかななんて思う。
-体調には気をつけて-
プロフィール:藤本たくま(19)
脚本家・演出家を目指している。YouTubeチャンネル「19歳」開設予定。
1980年代で好きな曲→ハリケーン/シャネルズ