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「憧れて」「妄想して」「」

広島県の瀬戸内鞆の浦あたりで カフェを経営していますが、Cafeのコンセプトは

西洋と東洋のマリアージュ 

です。高校卒業して飲食業界で働き続けてきましたが、その中で日本料理・フランス料理・中華料理・などなど、いろいろなジャンルの「料理」の面白さにふれてきました

最初に異国文化を感じたのが

タイ料理です

香りから甘味、酸味の使い方など、それまでの私の常識をぶっ飛ばしてくれたタイ料理との衝撃的な出逢いをきっかけに、「食」と「文化」の面白さに目覚めたのだと思います

そんな私の自慢すべきことは

海外に行ったことがない(実は去年台湾に行ってしましましたが)ことです

惚れっぽい私は、強烈に「憧れて」頭は、そのことばかりになって、、、

どんな国なのか?なんでこんな食材があるのか?気候・文化・歴史、、、興味は尽きません

そんな風に調べながら料理を「妄想して」まねて作ってみたり、トライアル&エラーを繰り返しながら、いつの間にか

飽きるのです

私にとってこの「飽きる」ことは、止められません。なぜならば

次の「憧れ」がやってきてしまいますから。

何をやっても中途半端な20代。料理人としても人間としても中途半端で、何のとりえもなかったですが、

料理人であること

を辞めずに40歳にもなると料理人のキャリアは20年以上

中途半端でもそれなりになってきます

そうなると、「憧れて」「妄想して」「飽きて」の繰り返して来たことも、何かしらの成果が出始めるのですね。

人間には大まかにわかればいくつかのタイプに分けることは出来ると思いますが、私という人間は「自分が追い求める理想至上主義」なので、トライアル&エラーの中途半端スタイルの中にも追い求める

何か」は常にあって

それも40歳にもなると、その「何か」が、ぼんやりながらも見えてくるものです。見えない「何か」を求めていた20代30代は、どこに手を出せがいいのか?すらわからなかったのですが、「ぼんやりとした何か」は「何か」は解らなくても、どの辺にあるかが自分の中では解ってきます

これほど安心できることはありません。

追伸

安心してしまいますと、人間というものは自分のスタイルが正しいと思ってしますものですが、私のように「自分の世界は誰にも分るものじゃない」と、人に説明することや、伝える努力を怠ってしまします。このいま書いているnoteが、まさにそうです。が、ネットの時代そこはあえて、自分スタイルを貫いてもいいんじゃない?って思ったりもしています

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