61 花の昼大河も死者も仰向きに
句集「むずかしい平凡」自解その」61。
この句を東日本大震災と関連付けて読んでもらったことがあります。それはそれでありがたいのだけれど、そして、そういう想いも決してないわけじゃないけれど、それよりも即物的な、即興的なかたちで生まれてきた句です。そのうえで、深い読みをしてもらえればありがたいですね。
ふだん夜間定時制勤務なので、ちょうどお昼ごろ家を出て、通勤することになります。通勤時間は40分ぐらい。途中、阿武隈川に沿う道をゆく時間帯があって、またそこには火葬場があります。
ちょうど桜の咲く季節。そこで立派な霊柩車とすれちがった。
この中の棺は、これから焼き場に行くんだろうなあ、などと思っていたわけですが、ふっと、流れている川が空を仰いでいるような表情をしていたんですね。そして、そういえば、棺の中でも死者は仰向きなんだろうな、そんな思いが浮かんできた。それがこんな句になった次第。
死者といったとき、やっぱり思い浮かぶのは、俳句の師・金子兜太。この句が生まれてから、ああ、いまごろ先生どうしているかな、と。
追悼句というわけではないけれど、こういう句が生まれた後に、追悼の思いが呼び起こされるというのも、追悼句といっていいのだろうか。
でも、追悼というのとも少し違っていて、金子兜太は他界しただけであって、どこかにいるんだろうなあ、という思いもあります。
そう、「金子兜太」と文字にしただけでも、すぐそこにいるような感じです。
あれ、なんの話をしていたんだっけ?
「花の昼」とは桜の咲くお昼時。桜の生命力。死者の魂さえも呼び起こすようです。