36 愚直とは忘れないこと冬木の芽
句集「むずかしい平凡」自解その36。
「忘れない」っていうのは難しいことですね。人は自分に都合の悪いことはけっこう忘れてしまいますから。もちろん自分もそういう人間のひとり。
でも、2011年の東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原発の事故は、忘れないと思う。出来事そのものもそうだし、政府の対応、人々の混乱、放射性物質に対する人々の反応の違い、そこから生じる分断、自主避難、などなど。こう書きながら、でも、忘れていることも多いか、と思ってしまいます。
この第一章ではほとんど原発事故関連の句は入れていませんが、第二章はそんな句ばっかり。でも、これも忘れないための自分なりの方法です。
また、震災から2年後には「福島から問う教育と命」(共著)というブックレットも書かせてもらいました。これも備忘録になっています。
と、この俳句鑑賞から遠く離れてしまいましたが、忘れないということばには、そんな背景があるということで。でも、こういう気持ちはみなひとりひとり違った形で抱いているのではないでしょうか。もちろん、忘れたいことも多いのですけれど。
人間は忘れられるから生きていける、そういう側面もあるとは思います。そもそもそういうふうにできているのかもしれない。
でも、それでも大事なことは忘れたくない。とくに人間の尊厳に関することは。
冬木の芽というのは、そんな愚直な人間の姿かもしれません。忘れたように見えるけれど、こっちはいつまでも覚えているぞ。忘れたがっているやつ、忘れさせたがっているやつ、ちゃんと見ているんだからな、と。
冬木の芽のしぶとさを人間も見習いたいものです