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ぼくの好きな俳句たち 1

 蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな  芥川龍之介

 今日は7月24日。芥川龍之介の忌日。「河童忌」とも「我鬼忌」とも言います。というわけでこの句を紹介。芥川龍之介の句の中でも、そこそこ有名なうちに入りますね。

 作者はいま、じーっと蝶の様子を見守っている。花にとまって蜜を吸っている夏蝶。作者は蝶の様子というより生態を観察しているといったほうがいいかもしれない。目は完全にクローズアップの世界。人間の目ではなく昆虫の目になっている。そしてピントが蝶の舌に合う。あ、このくるくるっとまかれている舌。これはまるでゼンマイにそっくりだ。ふむ、我ながらなかなかの発見だな。うむ、それにしても今日は暑いなあ。

 この句の読みどころは、「蝶の舌ゼンマイに似る」とクローズアップされた世界から、一転して「暑さかな」と大きな世界に飛躍するところ。くるくるゼンマイのようにまかれている蝶の舌。なんだか渦の中に巻き込まれるようなミクロの世界に入りかけたところから、「暑さ」に飛躍することで、蝶の鮮やかさ、周囲の夏景色がわーっと広がってきますね。その感覚の鋭さがさすがは芥川龍之介。

 「ゼンマイ」は金属の発条(ばね)の、あのゼンマイのことです。ですが、最初ぼくは植物のぜんまいのことかなあとも思っていました。どっちかなあ。夏の暑さの感覚からいえば発条のほうだとおもうのですが、ただ、あの内側に巻き込んでゆく渦のような感覚から言えば、植物のぜんまいと取れなくもない。むしろ、一義的に捉えなくともいいのかなあ、と最近は思うようになっています。まあ、有力俳人などは絶対発条のほうだ、と断言していますけれど。

 それから、こういう感覚だけで句を作るのはけしからんと、芥川龍之介の俳句をけなす人もいますね。まあ、わからないでもない。でも、なんだかんだで、けなす人の句は残っていない。こういう感覚の句って、意外に人間の皮膚感覚に残って、愛唱されることが多いのでは思います。

 重厚だけが文学じゃないって、思うんですけれど。

 俳句は自由じゃなくっちゃね。

 福島は、きょう午前中は好天。揚羽蝶もたくさん飛んでいました。

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