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22 ナガサキよ首なき像を噛む蜻蛉

 句集「むずかしい平凡」自解その22。

 「蜻蛉」は「とんぼ」と読みます。

 長崎を歩いた時のスケッチ。長崎に原爆が落とされた、その爆心地周辺の教会を訪ねたときの句です。

 原爆によって首を失ったマリア像。その像の周りを蜻蛉が飛んでいる。ふっと一匹の蜻蛉がその切れた首にとまった。そして、よく蜻蛉がやるように、その像の首の切れ端を、噛みだしたんですね。

 蜻蛉にしてみれば大した意味のある事じゃないんでしょうけれど、そのときの私には、蜻蛉がその像を労わっているような、慰めているような、そんな印象がありました。いかにも長崎の蜻蛉ならやりそうだなあ、と。

 「ナガサキ」とあえてカタカナで書いたのは、当然被爆地であるという意味が込められています。人間が犯した大きな罪。これをどうごまかそうが、この事実は人類史から消し去ることはできない。カタカナで書かれていやな思いをする人もいるかもしれませんが、しかし、この事実を人類は直視しなければならない、そんな思いでカタカナにしています。

 このあと(もう少し先になりますが)、福島という言葉もあえて「フクシマ」と書くことが多くなります。それもまったく同じ考え。

 福島の復興を考える人たちは嫌な顔をしますけれど、今の経済を立て直すことだけが復興ではなく、まずは現実すなわち「フクシマ」を直視することからしか真の人間の復興はありえない、と思うんですけれどね。

 と、少し話がそれました。

 原子爆弾による「被爆」と原発事故による「被曝」との違いはあるけれど、同じ核によるヒバク。ほんとうに二度と繰り返してはいけないことなのに、日本では「ヒロシマ」「ナガサキ」そして「フクシマ」。

 人間より蜻蛉のほうが分かっているのかもしれませんね。

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