1 植田百枚水をこぼさぬ水の星
2019年12月に拙句集「むずかしい平凡」を上梓いたしました。
おかげさまで、いろいろな方に丁寧に読んでいただき、各種メディアにも取り上げられるなど、少なからず反響があり、作者として大いに感謝しています。
そういうわけで、これから少しずつ時間をかけて、この中の句を自分で解説していければと思っています。自分の句を自分で解説することは、どちらかといえば邪道なことですが、しかし、読者フレンドリーな態度って大事だと思うんです。ですから、くどくならない程度に。
最初に、この句集について。
俳句を始めたのは1995年からですが、約25年間の作品を4章に分けて編集しています。
比較的最近の作品を収めた第1章「むずかしい平凡」
東日本大震災原発事故に絡む作品中心の第2章「春の牛」
金子兜太主宰「海程」に入会してからの作品を収めた第3章「青い胸板」
初学のころの作品を収めた第4章「初期句編」
つまり、句の制作の逆順に編集されているというわけですね。単純に初期のころの下手な作品を後に持ってきたということです。ですから、後になればなるほどつまらなくなるかもしれません。しかし、作者からみると、今ではもうこんな素朴な句は作れないなあ、と妙にその頃の自分をいとおしむようなものもあり、なかなかに捨てがたいものあります。
そういうわけでもありますので、もしよろしければお付き合いいただければありがたいです。
さて。
それでは冒頭の一句。
植田百枚水をこぼさぬ水の星
これは福島から山形県置賜地方に自主避難した妻子のもとへ通っていたころの作品です。五月の中旬。仕事を終えて車に飛び乗り、栗子峠を越えて、米沢に入り、水田地帯に入りました。飯豊山脈を西側に据え、その山並みの背にはほれぼれするような夕焼け。そして手前には満々と水をたたえた植田の風景。しみじみと、日本という国は水の国だなあと思ったのですね。田んぼが水をしっかりと受け止めて、その水のわずかも無駄のないようにして米を作っているという営みが、ものすごく貴重なものに思えました。
だから、最初は水の「国」でもよかったんですね。でも、福島は原発事故によってこの豊かな営みを続けられなくなっているところも多い。そう思うと「国」では何か弱いなあと感じたのですね。
考えてみれば、この地球そのものが水の恩恵によって存在している。水はこの星全体に関わることだなあ、と。
理屈じゃなくこんな思いになってしまったんですね。
でも、そういう思いにさせられるだけの、雄大な東北の水田風景。
そして、昨今の各地での水害を目の当たりにするにつえ、あれこれ思わせられる水の存在。この星を水がだんだんこぼれ始めたのでしょうか。
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