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父、76歳の人生記-第13話:ご近所変な人たち物語-

はじめに

 このnoteを書いているのは、主人公”ぼんちゃん”、の息子です。
 戦後間もない大阪出身で現在76歳の父が、自身が年老いていくことを理解しながら、自身の人生を振り返りパソコンにしたためてきた文章。
 それを私が読みやすく校正し、名前や地名は仮のものに変えながら、ほぼそのままで掲載していこうと思います。
 父が辿ってきたのは波乱万丈の人生なのか、平々凡々な人生なのか、私も楽しみです。皆様も楽しんでいただければと思います。
※”()”は私の補足です。

第13話:ご近所変な人たち物語



 小学4、5年かな。
《岡崎》やったかな。散髪屋の隣のお好み焼き屋でようヤッサン(親友)とイカ人りを食べた。
お好み焼きを思いっきり伸ばしてソース塗って、ノリと鰹の粉思いっきりかけて、そのうえにソースかけてノリとかつおの粉かけて。ダブルがけや。美味しかった。

 お好み焼きで思い出した。井出のおばちゃんのとこにいてた時や。
ちかくに《竹花》やったかな。お好み焼き屋があって、イカ入りで大きくて旨くてお腹いっぱいにしてくれる店や。卵の持ち込みもありや。
 そこのは岡崎みたいにコテで延ばさんでもボリュウムあるさかい、腹満たしてくれた。引越ししてからもちょいちょい寄ってたな。
お好み自体に味があるし、こんにゃくも入ってたんが印象的やった。
 昼に行ったらいつも満員やった。やっぱり!

 食べ物の話が出たんで。冬のオヤツは酒粕が好きやった。
 練炭火鉢で酒粕焼くねん。それで砂糖をつけて食べるねん。酒の味が、アルコールの匂いがホワーとしてんねん。たまらんかった。酒飲みになる序章やってんな。
 みかんもよお食べた。3個は食べたやろな。ヤッサンはぎょうさん食べるさかい手が黄色になってた。
 朝はさぶいから着替える時、練炭火鉢にまたがって暖をとって着替えしてたな。そうそう冬は寝るときこたつ入れんねん。豆炭に火つけるねん。湯たんぼもしてたな 

 学校ではホッピング、フラフープが爆発的に流行った。
その次がだっこちゃん(人形)やったけどさすがに学校には持ってこなんだ。 

3年の時や。鉄棒の練習してた時、手を滑らせて左手首を骨折した。
ギブス1ヶ間はめたままや。そして後リハビリが一ヶ月、ギブスの中かゆなったん覚えてるわ。
 風呂で一人で洗われへんかったさかいに、オカンに連れられて病院の風呂に入った。女湯やったけど、おれチビやから一年生ぐらいに思われたんちゃう。トラブル無しや。

 平田君(初出)とこの家にもよく行ったな。
東山町。当時は野中の一軒家や。玄関前には手押しポンプの井戸があり、夏には冷やっこい水をよばれた。
 両親とも温和な人やった。部屋には芸能誌、月刊明星だとか月刊平凡が無造作に置かれており、やや緊張感を失くした佇まいを呈していたかな。のどかな田園地帯のほんま一軒家や。
 
 ある日ゲームして遊んでたら平岩君の兄さんが急におれに大きい声で叱責して手を引っ張り挙げられた。
 おれはなんで怒られたんか判らんから、なされるままやった。
 平岩君も状況説明ようせんかった。唖然としとった。兄さんきっと心病んでたんやろな? 

 近所で子供会があった。
 隣のゆみちゃん(初出)がリーダー役で島倉千代子の「この世の花」を歌っとったな。ゆみちゃんは手八丁口八丁の処があった。
 中学卒業して散髪屋営んでたんやっけな?そやけど里親もしてたんやな。あるとき里子に手出して問題おこし新聞やテレビに出てたな。
 それから雨水の排水口を無断で塞いだりもした。隣接する3軒の家の承諾もなく。困ったさんや。
 ま、世間には必ずこんな人いてるけどな。犯罪に巻き込まれんようにせな。まぁ、ゆみちゃんのオヤジさんも似たとこあったわ。遺伝や!
 今思ったら一寸サイコ入ってたんや。

 この時分かて近所の子とよう遊んだな。
 田口君、ゆみちゃん、ゆみちゃんの弟でしゅうちゃん、春本君、脇坂君、安倍君とか。
 何故か隣のとし坊は仲に入れへんかったな
 田中君とこに綺麗な姉ちゃんが居てたな。アメリカの兵隊が来てたな。姉ちゃんパンパンしてたんかな?
 家の正面の裏手に、たかちゃん、たかし君が居てた。両膝の関節が不自由な子や。そやけど利発そうで可愛い顔してた。話が楽しかった。小学校に入る頃引越ししたな。ズボン履き替えるとき大変やな?トイレどないするんか?心配やった。

 小学校の時、学校の近所を走ったり遊んだな。
 その周辺は畑やった。囚人が何時も紺色の囚人服着て、監視の人に見守られながら農作業に従事してたな。(ぼんちゃんの家の近くには刑務所があったそうです)
 学校の窓からでも見えるねん。あの時分、個人のプライバシーなんか言えへんかったな。ほんで焼き場、斎場も近くにあるねん。風向きによってくっさい匂いが漂うねん。あの時は生焼けもあったんかな?防臭装置なんか無かったんやな。しゃあないわ。
 霊柩車通った時、両手の親指をたたんでグーを作るんや。親に禍が来なんように呪い「まじない」するんや。マジや。真剣やった。

 算盤塾がブームになってきた。
 誰かに誘われて病院ちかくの市営住宅にある田中そろばん教室に通った。 先生は強度の近眼やけど丁寧に教えてくれた。
 5級までは順調に進んだけど4級でつまずいた。加減乗除(四則演算)の読み取りはイケるねんけど、暗算がからっきしあかんねん。
 他のやつは目つむったらちゃんと算盤の玉が目に浮かぶんやて。おれ全然球浮かべへん。真っ暗や。
 二桁の足し算も筆算と同じようにしか出来へん。才能無いっちゅうか、頭ついていけへん。「ドッタマ悪うー(頭悪い)」おもて教室辞めてもうた。湊商(近所の高校)に検定試験受けに行ったな。

(第13話ここまで)

息子から

 今回もまた、新しい人名だらけで、僕以上に読んでくださっている方に申し訳ないレベルです。。しかしながら凄まじい記憶力。
 そして口の悪さも、、時代錯誤な表現も、、許してくださると幸いです。
個性豊かな同級生、ご近所さんとの付き合いで父、ぼんちゃんの人格は形成されてゆくのでしょう。
 小学生の章がとにかく長いのですが、それほど父にとって小学生時代が強烈な思い出となっているということでしょうね。
 それにしてもホッピング、フラフープ、井戸の水…昭和ワードの連発でしたね。
 この先もお付き合いくださると嬉しいです。


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