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「中野チャンプルーフェスタ」、なぜ中野で沖縄?

7月2日に50年の歴史に幕を閉じた中野サンプラザですが、今日7月15日は建物前の広場で「中野チャンプルーフェスタ」が開催されました。中野サンプラザ前に集う人々の姿を見るのはこれが最後かな、という気持ちもあり、現場を訪れてみました。

中野サンプラザのこの姿もカウントダウンに

中野サンプラザは1973年に、雇用促進事業団により全国勤労青少年会館としてスタートしたのが歴史の始まりです。中野区報によれば、当時は「働く若者の福祉施設として、就職相談室、図書室、結婚相談所が入っていた」といいます。

コロナ禍を経て中野にも賑わいが

そんな中野サンプラザ前で中野チャンプルーフェスタが行われました。このイベントは2019年までほぼ毎年のように開催されてきました。

中野区と沖縄県のルーツは50余年にも

沖縄県と中野区のつながりは長く、 その歴史は1972年の沖縄県の本土復帰に遡ります。中野区はその2年前の1970年から政策として「郷土の家」を開設、中野区が民間に委託をする形で沖縄から上京する若者に無償で居場所を提供したことから、中野区には多くの沖縄県出身者が集まるようになりました。


屋台では沖縄のソウルフードが売られてました

私はNHKの朝ドラ「ちむどんどん」(2022年前期放送)を毎日楽しみに見ていましたが、ここに登場する片岡鶴太郎さん演じる「三郎さん」のような人が中野にもいて、沖縄から上京する若者の面倒を見ていたのではないかと想像します。実際、中野区には金城唯温さんという方がいらっしゃって、自宅を開放して集団就職してきた若者を面倒みていたといいます。

しっかりと伝統文化を受け継いでます

中野には今なお沖縄の文化が根強く残っていて、いくつかの飲食店が集積していたり、またエイサー演舞を伝える団体が活動していたりします。

沖縄には祖先や父母、家族を大事にする文化が今なお残っていて、そこにルーツを持つ若い人たちが地元の衣装を着てエイサーなどを披露する姿はとても頼もしく、都会の人々が忘れてしまった文化を呼び覚ましてくれます。古き良き伝統を守ろうという強い思いが伝わってきます。


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