忘れられないバスの旅
旅とは楽しいものだ。初めて見る景色、おいしいご飯、旅先での出会い…。普段生活しているところから離れて過ごすからこそ、得られる体験、喜びがある。そして、うちに帰ってからそうした温かい記憶に思いを馳せる時間もまた、旅の一部と言えよう。私は旅先でよく日記をつけるのだが、あとから自分の文章を読むと、あの日の風景がまるで目の前に広がるような感覚を覚えることがある。すると旅の記憶がいっそう鮮やかに、確かに心に刻まれていくような気がする。
しかし得てして、旅先で直面した困難もまた、忘れられない出来事として記憶に残るものだ。今年ポーランドを旅していたとき、こんなことがあった。
その日は、ポーランド第2の都市であるクラクフから、ヴロツワフという西部の街にバスで移動していた。所要時間は3時間。最終目的地は、ヴロツワフより更に西の街だったが、クラクフから直行できないので、まずターミナル駅であるヴロツワフへ行く必要がある。電車かバスか考えた結果、運賃が安いという理由でバスに乗ることにした。
朝8時、バスは定刻通りに出発した。クラクフの街中を抜け、15分そこそこも走れば、ビルよりも緑が多くなってくる。流れゆく景色をぼんやり眺めていると、朝食を食べて満腹になったこともあってか心地よい眠気を催し、そのまま眠ってしまった。
はっと目が覚めると、バスは高速道路を走っている。どうやら1時間ほど眠っていたようだ。窓の外を見ると、青い空がどこまでも広がり、草原の鮮やかな緑とのコントラストが本当に美しい。その中にぽつぽつと赤茶色の屋根の家があり、見ていてとても心が穏やかになる風景だった。
クラクフに滞在した7日間に思いを馳せ、またこの先新たな街で出会う様々なことに心躍らせていたその時、バスの後方から「ドカン!!!!!!!」という爆発音にも似た大きな音が聞こえ、下から突き上げるような大きな衝撃を感じた。そして、シュルルルルル…という頼りない音と共にバスが減速し、そのまま道路の路肩に停止してしまった。
予期せぬ事態に直面した時の心情を形容する言葉として、「頭が真っ白になった」などという表現があるが、まさに私も「?!?!?!?!」といった感じで、「えっ、えっ、えっ」と意味の無い言葉を発するよりほかなかった。周りを見渡すと、他の乗客も「なになに?」と、首を伸ばしてきょろきょろしている。すると運転手がバスを降りていった。バスに何が起こったか確認しに外へ出たようだ。後々考えると、高速道路で外に出るなんてとんでもないことなのだが、とにもかくにもバスの状況を確認した運転手が再びバスの車内に戻ってきた。電話で誰かと話している声が聞こえる。
そのときの私といえば、大きな音がしたときこそびっくりはしたものの、幸いなことに火事などの避難を要するトラブルではないと分かってからは、自分でも不思議なくらい冷静だった。確実に何かがこのバスに起こっている。「動け~~~~~~~~!!!!!」と一生懸命念じたらバスのやる気が回復して動くとかそういうことであれば、心の底からバスにエールを送ったかもしれないが、そんなこともあるまい。もうこのバスで走れないとしても、レッカーが来るなり、代車が来るなり、いずれにせよ一生ここから動けないということはなかろう。いつかは動くのだ。その「いつか」が30分後なのか1時間後なのかは知らないが、焦るだけ無駄、もう待つしかない。そんな諦めとも、悟りともいえるような冷静さだった。
びゅんびゅん音を立てながら走り去っていく他の車を眺めながら、この冷静さはどこから来るのだろうと考えてみると、周りの状況に依るところがすごく大きいのではないかと気が付いた。例えば日本の電車だったら、ほんの1分か2分遅れただけで「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」というアナウンスが流れる。露骨にため息をつく人などもいる。そういう状況の中にいると、「今わたしは、謝られるような状況にいるんだな/イライラしていい状況にいるんだな」と認識してしまう。つまり、「自分がどう思うか」ではなくて、「外界の状況から感情が作られる」というか、イライラしている人を見ると、結果的に自分もイライラしてしまうということがある気がする。一方このバスの車内は、特にイライラしている風の人はおらず、動画を見たり、ちょっと立ち上がってストレッチしてみたり、何だかみんな思い思いに時間を過ごしているようだ。運ちゃんは運ちゃんで、バスの様子を見て電話をかけただけで、何が起こったとか、今どんなレスキューを呼んでいるのかとか、そういった状況説明の類いは一切なかった。でもそんな運ちゃんに対して詰め寄る人はひとりもいなかった。そんな空気の中にいると、不思議と焦ったりイライラする気持ちは湧いてこない。周りの状況でこんなにも気持ちって変わるもんなんだなー、と思った。
思えば、これまで社会科見学とか修学旅行とか、街中の移動で何百回、何千回とバスに乗ってきたのに、走っているバスが止まるなんて人生で初めてのことだ。今朝だって、世界中で何千、何万のバスが発車したはずだ。その中でたまたまトラブルに見舞われたのが、クラクフを8時に出たまさにこのバスであり、そこに自分が乗っているとはなんたる偶然か。何だか一周回っておもしろくなってきた。
近くの席に座っている人と目が合ったので、「どうしたんだろうね」「こんなこと人生で初めてだよ」「僕もだよ!」などと言葉を交わしながら時間を潰していると、今度は「ズガガガガガガガガガ」というドリルで掘削するような音が聞こえてきた。私は窓際の席に座っていたので、何だ何だと窓越しに外を見てみると、蛍光色のベストを着た作業員が2人作業をしている。どうやらタイヤに何らかの問題があったらしく、タイヤを交換しているようだ。バス停車から掘削音まで約2時間、「よかった~、助かった~」と思ったが、作業員の2人は蛍光ベスト以外に何も保護具を身につけていないことに気が付いた。ここは高速道路だ。しかも2人が作業しているのは車道側、つまり車がびゅんびゅん通り過ぎていく方なのだ。あまりの速さに風圧でバスすら揺れるようなところで、ベストをはためかせながら身一つで作業をしている。助けに来てくれてありがたいが、さすがに軽装すぎるその姿に、バスよりも作業員のことが気になってきてしまった。やがて、作業音がやんで静かになったなと思ったところでエンジンがかかり、ゆっくりとバスが動き出した。車内からは拍手が起こった。
私も、「作業員の2人本当にありがとう」と思いながら拍手していたが、よくよく考えてみれば、運ちゃんにとっても、運転手人生の中でそうそう出くわす状況ではなかっただろう。いきなりでかい音が聞こえたら相当びっくりするはずだし、しかもここは高速道路だ。そこを極めて冷静に、かつ安全に停車したことは、あっぱれ運ちゃん、ありがとうと言うべきところだろう。各方面ジェンクイエン(ポーランド語で「ありがとう」)である。
その後バスは、文字通り1mmも動かないような渋滞に巻き込まれたりしながら、3時間のところを6時間かけてヴロツワフに到着した。6時間も座りっぱなしなのはさすがに身体に堪えたが、バスを降りて伸びをすると、なんとも言えず爽やかな気持ちになった。
思い返してみれば結構なトラブルだったと思うが、不思議と嫌な気持ちにならなかったのは、バスを待っている間焦りの感情がなかったことが大きいような気がする。一緒に乗っていた人たちや運ちゃん、作業員の人たちに感謝の気持ちを持てたことも要因のひとつだろう。これからも、そういう心の余裕や、しなやかさを持って生きていきたいものだ。
不思議なこのバスの旅のことを、きっとわたしはこの先忘れないだろうな、と思う。
写真は、レスキューを待っている間にバスの車内から撮った1枚です。見て分かるとおり、結構車がぶっとばしています。
ちなみにこの後巻き込まれた渋滞では、本当に1mmも動かずその場に止まっているだけという状況になったのですが、隣の車線にいた車の運転手が突然外に出てきたので、何をするんだろうと見ていたら、トランクに積んであったクーラーボックスからジュースを取り出していました。確かにそれができる状況ではあったけど、なんだかフリーダムだなあと思いました(笑)
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