フィレンツェの旅と、2年ぶりに味わった梅雨の空気。
ヴァカンスでイタリアに旅行してた1年前のちょうど今頃。渡仏中初のイタリア、フィレンツェ🇮🇹
フィレンツェはとんでもなく暑かった。日本並みの湿度。忘れかけてた日本の梅雨の時期のような、纏わりつく暑さ。
宿泊した6人部屋のドミトリーには扇風機が2台しか無いし、バッテリー充電したいのにコンセントプラグは3箇所しか無いし。日本みたいにプラグが2段なんて無いから、本当に3箇所。
クーラーだってもちろん無いから、久々に味わう蒸し暑くて寝苦しい夜。マイナスな思い出みたいに書いてるけど真逆で、思い返しただけで可笑しくて楽しくて思わず笑っちゃう。
ヨーロッパでは、そんな不完全さがとても心地よかった。何もかも、当たり前に完璧を求められる国とは違うそのちぐはぐさが。あんなにも暑くて、過ごしやすいとは決して言えない、今と似たような気候の中で過ごす時間が楽し過ぎた。特別すぎて。
快適から離れた状況の方が、むしろ懐かしくて。そっちの方が非日常をより強く、色濃く感じられたから、自分でも驚くくらいに恋しくなる思い出として刻まれてる。
そんな思い出が宝物みたいに思えるのは、それ以上に宝物なときめきが同時進行で在ったから。複雑にスパイスが絡んだ菓子には深みが出るのと同じ事。ただ、入れ過ぎても特別感が麻痺してしまうから難しい。
そんなことを思いながら、フィレンツェでの思い出を振り返ってる。
ドミトリーの部屋だけじゃなく、もちろん街もとにかく暑くて。まるで日本の夏のようだと、気温と高い湿度のダブルパンチに当てられてた去年。
フランスやジュネーブの湖沿いのカラッとした夏の気候の中で、長いこと心地よく過ごしすぎてたんだな、ってことを実感した7月だった。
それでもイタリアの、フィレンツェの街に、たまらなく感じてた美しさ。フランスとはまた違った建築美。はっきりと感じてたそれらが、なぜか朦朧とした記憶の中にあるかのように思い起こされるのは、きっとあの湿度が作り出したモヤのせい。そこから意識を取り戻すかのように、何軒ものジェラート屋さんを巡ってた気がする。フィレンツェは、ジェラート発祥の街。
今年、ようやく梅雨が明けて湿度がグッと下がった空気を吸った時、フィレンツェからジュネーブに帰ってきた時の呼吸のし易さと似たものを感じて、何だかたまらなくなった。
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