旅の思い出~バリ島~
ペンシルママです。今日は2014年にバリ島へ行った時の思い出を書きます。この時はHISのツアーで行きました。これはペンシルママにとって記念すべき初めての海外旅行で5泊7日の旅でした。航空会社はガルーダインドネシア航空で、成田からバリ島のデンパサールまで直行便で行きました。
このツアーでは4泊までは「アヤナリゾート」とホテルが決まっていました。残りの1泊はいくつかの中から好きなホテルを選ぶことが出来るプランでした。ペンシルママは「セントレジスバリ」を選びました。
1日目は付いたら夜です。空港に着いたとたん、ふわっと匂いが香りました。この匂いはなんて言ったらよいか分かりませんが、日本では嗅いだことのない香りです。ホテルから迎えの車が来ていましたので、もう一組のグループと一緒に「アヤナリゾート」へ向かいました。
ペンシルママにとって初めての海辺のリゾートホテルです。それもビーチなどほとんどない寒い地方で育ったペンシルママには常夏の世界や美しい海など夢のまた夢でした。
アヤナリゾートには沢山のプールがあります。卓球といったアクティビティもありますし、それにプライベートビーチもあり、リゾート内もとても広いのでトラムで移動したりできました。
到着後、ホテルの中にあるインドネシア料理店で食事をしましたが、夕食後お腹を下します。香辛料がきつかったので、お腹に合わなかったのかもしれません。正直「美味しい・・?」という感じだったので、これ以降ペンシルママはインドネシア料理にはほとんど手を付けませんでしたし、インドネシア料理店にも行きませんでした。
とても良かったのは朝食です。東南アジア独特のフルーツやココナッツジュースも飲むことが出来ましたし、パンやワッフルといった洋風の朝食が揃っていました。東南アジア料理や日本食、中華もあった気がしますが、全日程ほとんど洋風を頂いたと思います。
「ロックバー」という断崖絶壁にあるバーに行きました。入口へは上下に移動するエレベーターのような役割のものに乗って下に下りていきます。ちょうど夕焼けの時間に行くことが出来たので、インド洋の美しいサンセットを見ることが出来て良かったです。がその背景に地元民と思われる人が、薄暗くなっていく海の中を必死に泳いでいたのにはびっくりしました。あの人は何をしていたのか、未だに気になってしまいます。
プールはいくつかありましたが、追加料金で入ることが出来る「アクアトニックプール」というのが印象的です。プール内を歩いて回るのですが、ものすごい逆流の中を突き進む箇所があり、ペンシルママは一生懸命逆流に逆らって歩き続けていました。リゾートでのんびりすることが多かったので、運動をしたかったのですが、小さな東洋人が必死に逆流にもまれて流されようとしているのが不憫だったのか、複数のプールの監視員さんに何度も「あっちに行ったらゆっくりできるよ!」と話しかけられました。「私はトレーニングしたいんです」と意地を張って歩き続けていましたから、プールから出た後はへとへとです。後で出されたジンジャーティーが温かくてとても美味しく、プールで冷えた体をホカホカと温めてくれました。
途中リゾートから抜けて、「クタ」という街を歩きました。途中でどうしてもトイレに行きたくなって、とあるブティックで借りたトイレが衝撃的でビックリしました。ただの桶のようなトイレだったのです。そして別の桶に水が張ってあって、どうやら柄杓で水をすくい、おしりを洗うらしいのですが、とてもそんな勇気が出ずに、そそくさと出てきてしまいました。最初に見たのがリゾートだったので、街中のトイレ環境はまだまだこういう状況なのだと初めて知りました。
それに観光客は乗り物に乗っていることが多く、あまり街中を歩いている姿を見ません。クタのショッピング通りなどには沢山西洋人らしき観光客もいましたが、目的地への移動の間の通りにはほとんどいません。日程の最後の方で町を歩く機会がありましたが、何となく町の中の人々の視線が刺さり、自分が浮いているような雰囲気を感じ、走って逃げ去って急いでお店に入った記憶があります。これは日本では全く感じたことのない、雰囲気でした。東南アジアなどを旅すると日常茶飯事かもしれませんが、バリ島に来てずっとリゾートにいた、リゾートしか知らなかった自分には街を歩くということはどういうことか、日本以外の国を旅するということはどういうことか考えさせられた機会でした。
日程の途中でバリニーズのオイルマッサージを楽しんだりしましたが、それもホテルまですべて送迎がありましたし、オプショナルツアーで行った、ショッピングモールや、ブルガリホテルバリのハイティーやウルワツ寺院散策も全て送迎です。それ以降何度か海外に行きましたし、他にも「怖いなあ」とう経験はありましたが、この時が1番恐怖を感じた時でした。
ブルガリホテルのハイティーは、ペンシルママの別記事「海外ホテルのアフタヌーンティー」でも書いたので省略します。
夕食は何度かホテルを出て取りましたが、地元のマーケットにいく勇気がなく、ジンバランにある「ペペネロ」というイタリアンレストランへ入りました。クタでもイタリアンに入り、ラザニアを食べました。イタリアンは世界中どこでも美味しいのでしょうか(*'ω'*)イタリアンは、インドネシア料理を食べられないペンシルママの救世主となりました。
2か所目のホテル「セントレジス」も外観から美しい、シックなホテルでした。こちらはお部屋内にプールがついていたので、部屋のプールで過ごしましたが、部屋の外にも沢山プールがあります。この時は1泊だけでリゾート内のプールを見て回ることが出来なかったのが残念です。ですが、夕食も朝食も部屋で頂きましたし、素敵な思い出となりました。食事もとても美味しくて良かったですし、パトラーサービスで飲み物を持ってきてくださるところも良かったです。
この時の思い出は後に旅行記としてアルバムにまとめました。そして恥ずかしいことにその当時のペンシルママは、それを友人たちに見せていたのです。若いって怖いです(;^_^A
今思うと顔から火が出そうな恥ずかしさですが、友人たちみんなが笑って付き合ってくれたことには、感謝です。苦笑いだったかもしれませんが(;^_^A
実家にも持って行って母にも見せようとしたのですが、その時に母から「忙しいから後で」と断られ、そのままアルバムを持って帰ってきました。その為母にはまだ見せていないようです。先日そのように、母から聞きました。ペンシルママはすっかり忘れていました。10年前の出来事ですから。それで「今度こそ見たいから、帰ってくるときにアルバム持ってきてね」と言われたのです。10年前の旅行記を持っていくのはなんだか照れくさいですが、遠い故郷に住む母です。1年に1回しか帰省できないとすると、あと十何回会えることか分かりません。今度こそ見てもらおうとアルバムを持っていこうと決めました。