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空想で行く!時間旅行<大正篇>

空想だけなら自由自在。
時を越えて、行きたい所に行ってみよう。

という訳で、
今回は、大正時代(1912ー1926)の東京にいってきます。


【 準 備 】

*両替をしよう

以降、当時のおおよその物価は、<コインの散歩道>さんのサイトの「値段史」の頁 ↓↓↓ を参考にしていきます。
(載っていないものはその都度検索 or 現在の価格から推測)

それによると、大正時代の大卒初任給は、だいたい35円くらいとのこと。
現在は24万円くらいらしいので、まあその半分弱の10万円ほど持っていくとして、15円分の大正時代のお金が要ります。

<寺島コイン>さんで相場を見ると、<透かし大黒5円紙幣>というのが、セール価格で4万円くらいで売っています。(2025年1月末現在)
この値段で3枚買えたとして、合計12万円也。(セールじゃなかったら20万円くらいかかるかも)


*身なりを整えよう

未来人であることがバレたくないので、当時に馴染む服装を用意します。

[その1]銘仙&袴
当時のTシャツにジーンズみたいな。基本、動きやすい格好。

[その2]モガスタイル(ワンピース)
場所によっては要るかもしれない一張羅。
現代のモガ・<淺井カヨ>さんを参考に。

[その3]行商人スタイル(袢纏&股引&鳥打帽)
正直、こういうのが動きやすくていいんですが。浮くかな。

足元は共通で履けそうな短いブーツ。念のため、レトロデザインの白運動靴も用意。
あと、防犯対策の腹巻と、ペットボトルのお茶とかないから水筒も。
以上、古いものはネットオークション等でなんとか揃えましょう。


ひとくちに<大正>と言っても、15年ほどの幅があるため、そこは思いのままにワープできるものとします。(自由なのは時間の移動のみ)
ただし、旅人らしく距離的移動は自力で行います。

いっそのこと現地で自転車を買おうかなと思いましたが・・・

1919(大正8)で1台、45~60円。

レファレンス協同データベース

・・・高ぇ。

ので、なるだけ型の古い自転車を持っていきます。
【 準 備 】の項目に、できるだけ古い地図、方位磁針、レトロ自転車も追加)


【 出 発 】

[1日目]
1913年(大正2年)⇒1915年(大正4年)

まずは、浅草からスタート!

そもそも、なぜ旅行先に大正時代を選んだのか。
それは、連続活劇「プロテア」をリアルタイムで観てみたかったからです。映画館で、当時の雰囲気も味わいたい。

映画の前にちょっと浅草見物してみよう。

◆凌雲閣(浅草十二階)
当時の東京タワー的シンボルを生で見る。
ここには、日本初の電動式エレベーターがあったそうです。
入場料、大人8銭。

大正時代の東京を上から眺めてホー、となった所で、映画館へ。

◆電気館
向かうのは、日本初の映画専門劇場。
ここに行けば「プロテア」やってるかな。

浅草十二階・凌雲閣(現:台東区浅草2ー17)から
電気館(現:台東区浅草1丁目42ー4)まで、自転車1分、徒歩5分。
グーグルマップ使用、以下同じ

当時の映画館の入場料は、封切館並席で、30~50銭。東京・浅草だから、高めに50銭としておきます。
館内はどんな造りなんでしょう。ロビーのデザインとか、椅子の座り心地とか、照明の感じとか。無声映画だから、活弁士さんもいるはず。
と、ここで、
「お煎にキャラメル~、蜜柑水~」
映画のお供に何か買います。
今もある<森永のミルクキャラメル>20粒箱、10銭。(今より高級品)
令和のものと食べ比べてみましょか。

・・・そして、上映終了。
ああ、「プロテア」、やっぱよかったわァ、という感じで通りに戻り、ちょっと休憩しよかな、ということで、喫茶店へGо!

◆デンキヤホール
映画館も電気でしたが、こちらもデンキ。
元々電気屋さんということでこの名前らしいです。
1903年(明治36年)創業。そして、現在(2025年)も営業中!

電気館 から
デンキヤホール(台東区浅草4ー20ー3)まで、自転車3分、徒歩9分。

ここでいただくのは、珈琲と名物の、ゆであずき。
ゆであずきというのは、サラッとした汁粉風の甘味。その頃の夏の定番おやつだったそう。
これは、タイムトラベルしなくても食べられます。(いつか行きたい)

現在の料金から換算すると、珈琲5銭として、ゆであずき6銭で、合計11銭也。


ひと息ついた所で、早めに宿をおさえておきましょう。
と、ここで、2~3年ほど後にタイムワープ!
というのも、これから向かうホテルの開業が、1915年(大正4年)11月2日なのです。

最寄りの上野駅から電車で行けるのですが、駅に駐輪場があるかどうか不明なので、引き続きチャリをかっ飛ばして参りたいと思います。

◆東京ステーションホテル

デンキヤホール から
東京ステーションホテル(千代田区丸の内1丁目9ー1)まで、自転車26分。
漕ぐ漕ぐ。

このホテルは、江戸川乱歩のお気に入りで、旧216号室と旧218号室が定番の部屋だったそうです。(鉄道好きの百閒先生もご常連)
「怪人二十面相」(1936年)にも、<鉄道ホテル>という名前で登場します。

「おつかれのところをなんですが、もしおさしつかえなければ、ここの鉄道ホテルで、お茶を飲みながらお話したいのですが、けっしておてまはとらせません。」
鉄道ホテルですか。ホウ、鉄道ホテルでね。」
(中略)
名探偵と辻野氏とは、肩をならべ、さもしたしげに話しあいながら、地下道をぬけて、東京駅の二階にある鉄道ホテルへのぼっていきました。

江戸川乱歩「怪人二十面相」

乱歩「二銭銅貨」で作家デビューするのは、1923年(大正12年)のことなので、それよりちょっと前の時代。
先に216号室に泊まってしまおう。フフフ・・・(先回り的聖地巡礼)

それから、戦争で焼ける前はドーム型だったという屋根も、しっかり見ておかなければ。

しかし、高級ホテルなので、料金が気になる。(令和は10万円くらい)

同時代の(そして現代でも)高級ホテルである<帝国ホテル>の宿泊料金というのが、上記の ↑↑↑ <戦後昭和史>さんのサイトによると、1923年(大正12年)で1泊14円・・・えーー!

冒頭に貼った<コインの散歩道>さんの「値段史」によると、同時期1926年大正15年)の一般的なホテル代が7.2円ということなので、約2倍!!
ただし、1915年(大正4年)の一般的なホテル代を見ると、1.5円~3円となっているので、この10年ほどの間に物価がかなり上昇していることがわかります。

今、私がいるのは1915年(という設定)・・・
ということで、単純に、3円を2倍して、<東京ステーションホテル>1泊6円、いやちょっと多めに見積もって8円としときます!(無理矢理)

勝手にディスカウントしてしまったので、謙虚に素泊まりです。
夕飯がてら銀座に繰り出します。
自転車はホテルに預けて、銀ブラだ!

さっき、鉄道をスルーしてしまったので、短い区間ですが、ちょこっとだけ電車に乗ってみたいと思います。
東京駅から新橋駅まで~
当時の運賃は、新橋品川間が6銭ということなので、適当ですが三分の一にして2銭くらいかな。往復4銭。たぶん5分くらいで到着。
車窓からの眺め、座席の乗り心地、どんな感じなんでしょうか。
というか、あっという間!


◆銀座をブラブラ

銀座・銀座・銀座~♪(現実でも行ったことないのに~)

横浜と新橋をつなぐ、日本初の鉄道ができたのも明治5年のこと。新橋ステーションの駅前商店街ともいえる銀座には、西欧からの輸入商品や新しい商品を扱う商人たちが次々と店をひらきました。洋食屋、パン屋、鞄屋、牛鍋屋、時計商、西洋家具店、洋服店などなど。これら進取の気性に富んだ商人たちは店先にショーウィンドウを設け、江戸以前の座売りと違って、客が履物をはいたまま店内に気楽に入って商品を眺めることができるよう工夫をし、新しい商売の方法を切り開いていきました。
こうして、銀座は西欧風の街並みそのものを眺めて楽しんだり、ウィンドウショッピングを楽しむ街、すなわち、のちに「銀ぶら」と呼ばれる街歩きができる街となっていったのです。

また明治も後半になると、勸工場ができてきます。勸工場とは今で言う百貨店、あるいはテナント商業ビルのようなもの。一間半ほどの通路の両側に、おもちゃ、絵草紙、文房具等々さまざまな雑貨を売る小さな店が並び、なだらかな通路を螺旋状に登って行くといつのまにか建物最上階に到達し、そのままなだらかに降りて来る、という構造でできていました。明治35年(1902)頃には銀座通りに7軒の勸工場がありました。

GINZA OFFICIAL 銀座公式ウェブサイト

・・・これは、歩くだけでも楽しそうですね。
ここから先は思いつくままジャズィな感じで、あっちこっち行ってみましょう。

*百貨店を覗いてみよう

まず、行ってみたいのは、<白木屋>
(あれだ、寅さんの啖呵売に出てくる百貨店だ)

なぜかといいますと・・・

日本における「食品サンプル」と「食券販売」は、他店に先駆けて食堂を開いた白木屋発祥と言われています。大正半ば頃、海外のデリカテッセンを参考に、食堂の前のガラスケースにメニューの見本を陳列し、入口で食券を販売する方式を始めたところ、回転率が上がって売上も4倍になったそうです。白木屋の成功は瞬く間に評判となり、「見本棚」と「食券」は他の百貨店の食堂や全国各地の飲食店で採用されました。

国立国会図書館「本の万華鏡」第27回 百貨店ある記

ここの大食堂が発祥という、食品サンプルを見てみたいんです。
今でこそ本物そっくりの、ある意味芸術のような作品をどこの飲食店でも目にすることができますが、草創期の、おそらくもっと素朴でレトロな作品を見てみたい。そして、そのかわいらしさに悶えたい。
(時代的にはもう少し後みたいですが、そこはちょこっとワープする感じでまた戻る)

見るだけで食事はせず、活気だけ味わってそのまま屋上へ。

白木屋の屋上庭園には「清涼飲料水召し上がり所」「盆栽陳列場」が作られていたようです。

国立国会図書館「本の万華鏡」第27回 百貨店ある記 

ここで、盆栽を眺めながら、清涼飲料水を召し上がりたいと思います。
珈琲が5銭の時代だから、銀座の百貨店価格で10銭くらい?これで何か飲めますでしょうか。

当時の銀座の一流百貨店には、本物のモボ、モガがいっぱいいたことでしょう。ここでちょっと観察させてもらおう。

さて、お腹も空いてきた所で、通りに戻って洋食屋を探します。

*洋食ディナーを堪能しよう

大正時代に流行した洋食、トンカツ、コロッケ、ライスカレー。
これを全部注文してみたいと思います。(一日中動き回ったし)

明治時代からあるという<煉瓦亭>さんもいいけれど、

そんな店があったことを誰も覚えていないような、名もなき洋食屋さんとかで食べてみたいですね。どんなお店があったんでしょうか。

トンカツ13銭、コロッケ25銭、ライスカレー10銭・・・
って、コロッケが一番高いのか。意外。
合計48銭ですが、銀座ということで2倍にして96銭で。
想像だけで満腹です。

*カフェーでくつろごう

カフェープランタン
明治44年(1911)、洋行帰りの画家・松山省三は、パリのカフェーの雰囲気を再現しようとしました。命名者は小山内薫、内装は若き日の岸田劉生らが手伝いました。カフェーというものを知らない人が多いため、維持会員を募りましたがそのメンバーは、永井荷風森鴎外をはじめとするそうそうたる作家たち、それに新橋、赤坂のきれいどころも会員となりました。

GINZA OFFICIAL 銀座公式ウェブサイト

・・・あ、いや、ここは外から覗くだけにしとこう。
(一般の人は入りにくい店だった様子)

こちらにしましょう。<カフェーバウリスタ>

銀座でありながら、5銭の珈琲と5銭のドーナツが人気だったそう。
私もそのセットをひとつ。(別腹)

1911年(明治44年)、銀座に立て続けに三つのカフェーが誕生したそうです。
カフェーといっても、
<カフェープランタン>は、文化人御用達の会員制サロンで、
<カフェーライオン>は、ビアホールのようなアルコールがメインの店。
<カフェーバウリスタ>が、私たちがイメージする喫茶店という意味でのカフェーだったようです。銀ブラ(銀座でブラジル珈琲を飲む)の語源とも。

<銀座木村屋總本店>であんぱん買ってホテルに戻ります。翌朝用。

1個2.5銭を2個で5銭也。


◆東京ステーションホテルに戻る

ロビーの様子、客室の様子、ありとあらゆる豪華なしつらえを目に焼き付けます。怪しまれない範囲でうろうろしよう。
夜は興奮して眠れないかもしれない。

明日の活動内容にも関わってくるので、残金を計算しておきます。
15円-8円-(8+50+10+11+4+10+96+5+5+5)銭=4円96銭也


[2日目]
1915(大正4年)⇒1926年(大正15年)

チェックアウト。(自転車そのままちょっととめさせてもらいます)
歩いてすぐの所に寄りたいお店が。

◆港屋絵草紙店

竹久夢二の妻、たまきさんの雑貨店です。
こちらは、1914年(大正3年)にオープン。

東京ステーションホテル から
港屋絵草紙店(中央区八重洲1ー2ー1)まで、徒歩5分。

夢二がデザインした版画、千代紙、便せん、封筒、団扇、風呂敷、帯、浴衣、手拭い、絵本などの生活雑貨を販売し、当時の夢二人気にあやかって、店は大層繁盛した。

港屋絵草紙店 竹久夢二専門画廊 港屋 ウェブサイト

お土産用に、当時物の夢二グッズを1円分どーんと大人買いします。
夢二さんはいるかどうかわからないけれど、たまきさんには会えるかも。

さて、駅に戻ってタイムワープ。
一気に大正後期1926年(大正15年)に飛びます。
関東大震災後。
そこでちょっと見ておきたいものがあるんです。

1923年(大正12年)に発生した関東大震災では木造家屋が密集した市街地が大きな被害を受けた。同潤会は復興支援のために設立された団体であり、耐震・耐火の鉄筋コンクリート構造のアパートメントの建設は主要事業の1つであった。

同潤会アパート ‐ Wikipedia

震災復興事業の一つとして建てられた<同潤会アパート>です。
その一番最初が1926年(大正15年)に完成した<中之郷アパートメント>

ただ、アクセス方法がわらない。
市電?都電?バス?
震災で路面電車が使えなくなった後、応急処置的に導入された<円太郎バス>というのがあったらしいんですが・・・

行きたい場所まで路線があるのかわかりません。

仕方がない、自転車だ。(持ってきてよかった)

東京ステーションホテル から
中之郷アパートメント(現:東京都墨田区押上2ー12)まで、自転車28分。

お昼用に駅弁を買っておきます。1つ35銭。

それにしても、最初に観光した<凌雲閣(浅草十二階)>は、震災で崩れてしまったし、浅草の街並みも銀座も変わってしまったことでしょう。
昨日観光したばかりの場所だから、なんとも切ないことです。出会った皆さん無事だったろうか。(時間旅行のつらい部分です)

<中之郷アパートメント>も、役目を終えて、1988年(昭和63年)に解体されました。

悲しくなってきたので、買い物をして帰る準備にかかりましょう。
ええと、残金は、3円61銭。
とりあえず、東京駅に戻ってお店を探そう。

*買いたい物メモ

○カルピス(400ml大瓶) 1円60銭
1919年(大正8年)発売。
昭和生まれは、やっぱり瓶入りがしっくりきます。当時の味はどんなかな。

○雑誌・新聞
「新青年」
 1冊30銭
「婦人倶楽部」 1冊80銭
何か新聞 1部5銭
たまに、ネットオークションで大正から昭和にかけての雑誌を眺めるんですが、この「婦人倶楽部」系の料理のレシピの頁の、絵とも写真ともつかない絶妙な料理図が、レトロ感満載でたまらないんです。
(当時の雑誌の値段表 ↓↓↓)

○シャープペンシル 1本??円

日本初のシャープペンシルは、1915年(大正4年)に誕生していて、当初は<早川式繰出鉛筆>と言ったんだそうです。
この、大正の職人が仕上げた逸品が欲しいのですが、価格不明。
間違いなく高価なので、見るだけにします。また今度。

・・・さて、残金86銭で、最後に何か食べよう。

珈琲飲んでシベリア食べて、50銭残っていたら、もう一回「プロテア」観ようと思います。

弾丸で詰め込み過ぎましたが、1泊2日無事終了。
という訳で、思い出とお土産かかえて、2025年に帰ります。ビュン!!



・・・と以上、全部<空想>の<嘘>旅行記、長々と失礼いたしました。
書いていて感じたのは、嘘とはいえ、シミュレーションするのにむちゃくちゃ頭を使うということ。
あと、当時の詳細な記録がないと、書くに書けないということ。

今回は、インターネットの情報を参考に書いたのですが、これも出典不明であやふやな所があるので、本来なら、もっとこの時代の文献を集めた上で書いた方が、真に迫って面白かったんじゃないかと思います。
他に、持っていたムック本も参考にしました。
「大正浪漫100年の光と影」(2012年発行、徳間書店)

書き終えて、本当に旅行に行ったような疲れと、謎の達成感があります・・・(真剣に遊んだ感じ)
あと、空想であれ、旅というものには自分の趣味嗜好及び生活感が全て出てしまうということがわかりました。(お恥ずかしい)

それにしても、つくづく思うのは、旅行記というのは、やっぱり実際の体験があってこそですね。



リアルではあまり旅行に行かない出不精の私ですが、とあるクリエイターさんの記事を読むうちに、いちど旅行記というものを書いてみたいなあと思うようになりました。
そのお方とは・・・

Bell note さん!

これまでに、Bellさんご夫婦が行かれたあんな所、こんな所。
それら旅の様子がとても詳細に綴られているので、読んでいるだけで本当にその土地に行ったような気分になれます。

2025年最初の旅行記「トラベルノート」をご紹介しますと・・・

世界中のご馳走を集めに集めた豪華朝食ブッフェ。
ジャングル動物園の中にあるホテル。
普通に放し飼いのヒクイドリ。(心底仰天)
美麗にて荘厳なる王宮に寺院。
夜は電飾・ファイヤー・バリダンス、からの花火!!
そして、不思議な猿の森。
・・・とにかく内容も写真も盛りだくさん。臨場感たっぷりです。
細部まで丁寧に書かれた文章からは、その土地の空気感、温度、湿度、匂いまでもが伝わってくるようです。
また、ビザの手続き、スマホ通信の設定、現地通貨を出金するのに便利な口座のこと、入国審査の様子、現地での移動手段など、事前に知っておくと安心なこともわかりやすく解説されています。

「旅栞」というシリーズでは、これまでの「トラベルノート」をもとにして作成されたBellさんオリジナルのモデルコースが紹介されています。
経験した上でのプランなので、旅行雑誌よりリアリティがあって内容も濃く、実用性が高い。

それから、人生を旅とするならば、これもまたひとつのトラベルノート。
Bellさんが人生という旅の道中で出会った人々についてのエッセイ「人物月旦」シリーズも。

読んでいてしみじみ思ったのは、悲しい出会いほど、強く輝いていて、読む者の心に刻まれるということ。
「哀しき人生の軌跡のはなし」「義祖母のはなし」です。
読後、長く余韻が残りました。
もちろん、とても愉快な出会いもあって、読んでいて心がほっこりします。

・・・という訳で、

この先、本当にタイムマシンができたならば、
旅を創って味わって表現する達人・Bellさんの「時間旅行トラベルノート」、読んでみたいです。是非!

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