鮮やかな世界から目を背けるために、私は眼鏡を投げ捨てる。
ある日視力が2.0まで回復してしまったら、
私はもう生きていられないかもしれない。
***
目が悪いから、いつも眼鏡をかけている。
あるいはコンタクトをつけている。
視力は0.1あるかないか、それくらいだ。
眼鏡を外すと、視界は霞んで、うっすらと、ぼんやり、何がどこに行ったのか、手探りでしか物事は見えなくなる。
外の世界では困ることだらけだ。
信号は見えない。
看板も見えない。
待ち合わせで人を探すことができない。
景色を全体で見渡すこともできない。
スマホもパソコンも、画面が遠くてよく見えない。
危ない危ない。
なんて危ないんだ。
眼鏡がなくなったら、一体この世界の何万人、いや何億人が、不自由な生活を強いられることになるのか。
なんともありがたすぎる存在。
***
ありがたや、と神棚に飾って拝んでもおかしくないような、そんな眼鏡さまを、私は定期的に、投げ捨てる。(本当にごめんなさい)
見えることが苦しくなって、疎ましくて、このまま眼鏡をかけていたら、破壊せざるをえないような、ああもう見てられない!!と、そんな気持ちに支配されるのです。
見えることで生かされているのに。
見えることを殺そうとする。
どうにも世界は鮮明すぎて、刺激が多すぎて、目のやり場に困ってしまう。
***
9歳だったか、10歳だったか、その頃から視力が低下し、なんて面倒なことよ、と鬱陶しく感じる気持ちがほとんどだった。
まさか、自分の目が悪いことに救われる日が来るなんて。
視力は落ちても、物事を広く見る力は養われたのか。
あるいはただの天邪鬼か。
私には、後者の称号がぴったりだ。
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