小学2年生、昼休み。
物心がついたのはいつだったか。
正確には分からないが、「私」がスタートしたのは幼稚園生の頃だった。
大人になった今でさえ、日々たくさんのことを経験しては忘れる。
古い記憶になればなるほど、忘れてしまったことも増えていく。
ところが、まだ小さかった私の身に、あの日起きたこと、言われたこと、言ったこと、感じたこと、いつまでも鮮明に残りつづけている「あの日」も、ある。
当時は言葉も知らないし、自分の気持ちを上手に表現することはできなかった。
まして、それらが一体どんな意味を持つのか、私にとって何をもたらすのかなんて、考えることはできない。
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小学2年生、季節は少し肌寒さを覚える秋だったと思う。
幼稚園の頃から、私は中遊びが好きだった。
学校の休み時間になると、こぞって外遊びをしにいく友達を見ていて、ただ不思議に感じていた。
しかし私の小学校では、外で遊びたがる子が大多数で、休み時間の教室は大抵すっからかんだった。
小学2年生の私が好きだったのは、図書室で本を読むこと、教室のオルガンを弾くこと、ブンブンごまを作ること。
泥だんごも好きだった。
砂場で黙々と金の泥だんごを作ろうとコロコロ土を転がす。
ああいう瞬間に、私の「好き」は詰まっていた。
だから私は、雨の日と大貧民が大好きになった。
雨の日は、みんなも教室の中で遊ぶ。
中で遊びたがることは、なにもおかしくない。
「外に行こう」と誘われることもない。
クラスの中で大貧民が流行った時だけ、みんながトランプに食いつく。
サッカーより、ドッチボールより、登り棒より、ブランコより、トランプの方が上になれる。
みんなと一緒でいられる。
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小学2年生、ある日の昼休み。
担任の先生が私に声をかけてくれた。
その少し前から、私は友達に誘われても、外に遊びに行くことが嫌で、なんだか曖昧に断り、教室遊びが好きな少数派の子に混ざってトランプ遊びをしていた。
それすらせずに、何もしていない休み時間もあった。
先生は、「みんなと一緒に、外に遊びに行ってみたら?」と声をかけてくれた。
それはきっととても優しくて、愛の詰まった言葉と声で、しかし小学2年生の私には、複雑だった。
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あの頃の私は、生まれてはじめて、みんなと違うことに対する違和感と戦っていたのだろう。
「どうしてみんなは外遊びが好きなんだろう。
私は教室でみんなとトランプがしたいのに。」
だったら、教室遊びが好きな少数派の子とずっと遊んでいれば良かったじゃない?と、そうは問屋が卸さない。
小学2年生にして既に、「外遊びをしないとみんなと離れてしまう」と気づいていたのだ。
きっとすごく怖かった。
みんなが「好き」と言うものに迎合することで、私は小学2年生を乗り越えたのだろう。
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記憶とはなんとも適当で曖昧なもので、私はこの日からどのように自分の葛藤を克服したのか、まったく覚えていない。
ただ、この日を越えて、適度に周囲に迎合し、しかしその中に自分の主張も混ぜ込み、かつ周囲に嫌われないように、しかし舐められないように、なんてことを覚え、今日の私に一歩近づいたのだろう。
果たして、それが大人への一歩だったのかと言えば、そうは思えない。
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鮮明なあの日は、私にとって大きな経験だった。
小学2年生の私が何の気なしに乗り越えてくれたあの日のなかには、今日の私が詰まっている。
こうして私は、鮮明な記憶の中にまた一つの「私」を見つけ出し、今日を進む。
大人への道を進んでいるのかは、分からない。
正解も不正解も、何も見えやしない。
だからこそ、年月を重ね、言葉という手段を得た私にできることは、当時の私の言葉を代弁することだろう。
そして、今日この一日もまた、いつかの私にとっての「鮮明なあの日」になりうる。
その期待が、今日も私を生かしてくれる。
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