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やさしいひと

やさしいひと、なんて、いないと思っていた。10年くらい前に妹が言った、「お姉ちゃん、世の中、嫌な人間ばっかだよ、ほとんどが嫌な人間で、ほんの一握りのいい人間がいるだけだよ」という言葉ほどではないにせよ、皆自分のことに精一杯すぎて、本当のところで他人を思える人なんて、いないと思っていた。なんにせよ私自身がその最たるもので、日常である程度いい顔をすることができていても、ここぞという時には自分のことを優先してしまう奴なので、他人も皆、そうなのだと思っていた。そうでないことを知った今では、これまたなんと身勝手な考えだろうと思うのだけど。

人は、人の中で生きている。そんなことは当たり前のことで、でもその当たり前を忘れている。職場の人、学校の人、毎朝同じホームで電車を待つ人、晩ご飯を買うコンビニの店員さん、バイト先の社長、昨年まで働いていた場所に残った先生、訪れた滝にいた先客。たくさんの繋がりがあって、自分の現在に近い順に、気を遣って配慮して機嫌を窺う。時にそれは優しさという形で現れる。大変だね、というねぎらいの言葉だったり、おやつのお裾分けだったり、過剰な称賛や卑下だったり。見聞きしていて、非常に、ひじょうに、心地の悪い類の優しさだ。

ではわたしの心地のよいやさしさとは何かというと、自分に利のないところに、言葉や甘いものや心づかいをすること。そういうひとたちを目にすると、嬉しくなる。むしろ気遣うことで、周りから奇異な目を向けられたり、謗られたり、することもあるとわかって、そんなことは関係ないと言い切れる強さを持ったやさしさ。

それは、自分に向けられたものでなくとも、誰かに向けられたものであるというだけで、私は、しあわせな気持ちになる。あったかい気持ちになる。そんなひとがそこに存在しているというだけで、うれしくなる。

そんなこころを、向けてもらえる人になりたい。そんなこころを、もっている人になりたい。
今は、そんなふうに思う。

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