看護師さんのマスク越しの笑顔. 先生の「一緒に泣いてしまおうか」ということば. 「たぶん誰もいないから大丈夫ですよ」というささやき. お大事に、と言わずにいてくれたこと. 3月の不安と、さびしさと、PMS. 重なったけれど、ちいさな救いで、今日は.
人は時々、他人からの優しさがほしくなる。 人の気分の機微を察知し、誰かが落ち込んでいるときはやたら明るく振る舞う母がいても、 沈んだ顔をした娘には何一つ声をかけないことで気を遣う父がいても、 せめて帰省の2日間だけは楽しい話に務めようという妹がいても、 夜中の長電話に付き合ってくれる叔母がいても、 それでも人は、誰か他人の、自分の非日常にいる他人からの優しさが欲しくなるのだ。 それは日常を出たところにも、 自分の居場所があると思いたいからなのかもしれない。 あるいは人
「あたしは、ない袖は振れないと思っているから、正直に言うしかありませんでした」 私はこの半年、資格を取るために週に3回から4回、講座を受けている。 スクーリングは全部で7科目あり、科目によって受講生の顔ぶれが変わる。 先の台詞は、2週間前に始まった科目で知り合った女性が言った言葉だ。 これはお金のことではない。自分が持っている能力ことだ。 彼女は、その身ひとつで生きることができる。芸、などと言っては失礼なその能力で、16の頃から生きてきたと言った。 しかし、その本業は人
やさしいひと、なんて、いないと思っていた。10年くらい前に妹が言った、「お姉ちゃん、世の中、嫌な人間ばっかだよ、ほとんどが嫌な人間で、ほんの一握りのいい人間がいるだけだよ」という言葉ほどではないにせよ、皆自分のことに精一杯すぎて、本当のところで他人を思える人なんて、いないと思っていた。なんにせよ私自身がその最たるもので、日常である程度いい顔をすることができていても、ここぞという時には自分のことを優先してしまう奴なので、他人も皆、そうなのだと思っていた。そうでないことを知った今
初めて会った先週、彼女はカーキ色のワイドパンツに黒いTシャツを着ていて、足元はビーチサンダルだった。ひっつめたように髪は後ろでひとつに束ねられて、首元にほつれ毛がもれていた。マスクで隠れた顔の下半身はわからなかったが、少なくとも眉と目元はすっぴんで、目を引くほどの姿勢の良さが、それと意識していない自信を感じさせた。 アパートの荒いひと部屋を想像した。衣食住、委細構わず、ただ日々を生きている人だと思った。街中で時々見かける、格好良くて羨ましくて苦手なタイプの人間に見えた。
ずっと見ることのできなかった写真がある。押入れの中の段ボールの中にあることはわかっていたのに、どんな写真かもわかっているのに、何年も、どうしても見ることができなかった。 昨日の午前中はやっぱり雨が降っていて、家を囲んだ木の葉から落ちる雨粒の音や、腐りかけた落ち葉の湿った匂いを聴きながら、蜂蜜を塗った食パンを食べるような気軽さで、写真を引っ張り出した。なんの迷いもなく。何年ぶりかにそれを見ていたら、写っている時間の楽しさを思い出したのか笑っていた。いつの間にか笑っていたなん
珍しく、元気ないの。 高校時代から繋がりの残っている数少ない友人に連絡をしたら、そんな返事が送られてきたのは2週間ほど前のこと。理由を聞いても言いたくない、と頑なで、けれど眠れないとか食べられないとか死にたくなるとかいう現状は伝えてくれるので、どうしたらいいかまったくわからなかった。そういう表し方をする人ではないから尚更必要以上に近づくこともできず、ましてや原因がよくわからないから共感も慰めもできなかった。私は彼女が沈んでいくのを知りながら、知っていることしかできなか
尿意に促されて覚醒して、いつもよりも目がすっきりしていたのでそのまま階下に降りた。廊下にあるはずのスリッパはなくて、母がトイレに行っているのだな、と思った。茶の間の掛け時計を横目に二階に戻り、ろくじまえ、と呟く。 窓の外でさわさわ音がする。雨が降っていた。 階下の気配を探りながら寝転んでいると、はっきりと感じていたはずの尿意は消えていった。 人に好ましいと思われている気がすることが増えたように思う。あるいは、好きだとかいいねとか、実際言われることが増えたのかもしれな
時々、思う。綺麗なものだけに囲まれて生きたい。漢字で書いた綺麗、のように、直線と角で成り立つような分かりやすい綺麗、に、囲まれて生きたい。そして出来ることなら、私自身がその綺麗、になってしまいたい。和語と漢語と外来語とでは、和語の意味範囲が最も広いのです、と書かれてあるのを見たとき、本当にそうか?と疑問に思った。でも確かに、形容詞が含み持つ内容の広さは計り知れない。美しい、なんて、感性そのものを示している気がして恐ろしくて使えない。 わかりやすいものがいい。雨を吸った土の