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2024年9月18日

今回の日記は長くなりそうなのでテキストにて。

バトンタッチ、という発想に救われる。

今、スランプに陥っています。モヤモヤから抜け出せない、とも言えるかもしれません。でも、今日は友人から言われた「バトンタッチ」という言葉がきっかけで、少しだけ気持ちが楽になりました。

あまり具体的には書けませんが、今年の5月、ある出来事によって自分の居場所を失ってしまいました。
それまではそこで働くのが楽しかったし、お金を稼ぐ以外にもそこで働く意義を見出していて、とても充実していました。お給料は決して満足いくほどではなかったけど、いつかもっとたくさんもらえると信じていました。
ところが、それがあっけなく崩れ去ってしまい、今いる場所で働く意味がわからなくなってしまいました。
途端に周りの人たちが敵なんじゃないかとも思ったし、みんなが仲良くしている輪の中に入りたいとも思いませんでした。自分にとって彼らは自分の居場所を奪った張本人だと思っているから当然です。ここから逃げたい、と何度も思いました。

とはいえ、逃げたところで他に働くアテもなく、しんどくともそこで働く以外に選択肢がないので仕方なくズルズルと今いる場所に留まっていました。
今までの自分では信じられないくらい、今の自分は暗く、つまらなそうな顔をして過ごしているだろうと思います。

そんな状態で過ごして3ヶ月以上が経った今、だんだんつまらない顔して過ごすのにも飽きてきました。知らないうちにメンタル不調が回復したのかもしれません(メンタルヘルスについて全く詳しくないので、あくまで推測みたいなものですが)。
そして今日、少し前に友達からもらったメッセージの中に書いてあった「バトンタッチ」という言葉を思い出して、自分の中で反芻してました。なんとなく、その言葉が気になっていたからです。

バトンタッチ、という言葉は、以下の流れで出てきました。

自分「今、新しい人が職場に来てくれたから、この仕事は今彼がやっていて、僕はもうやってないんだよね。」
友達「そっか。じゃあ、その仕事は新しい子にバトンタッチですね!」

初めは特になんとも思いませんでした。その通りだな、と思ったくらい。
でも、次第にその言葉によって今の状況に対する解釈が変わりました。

初め:居場所をとられた。絶望。
今:もう今いる場所にこだわらなくていい。自由。希望。

こんな感じです。
今までやっていた仕事に執着しすぎていましたが、よくよく考えてみると、その仕事は、何も一生かけてやりたい仕事ではないのです。むしろ、いつかはやめて違うことしたいなぁ、と思っていたほど。
でも、やめたくても代わりにやってくれる人がいない。
だから、自分がやっていくしかなかった。
そうしてずっとその仕事を続けていくうちに、
「これこそが自分の仕事なんだ」と勘違いしていたみたいです。
そして、他の人にその仕事を取られてしまい、憤りを感じ、絶望していました。
本当は喜ぶべきことだったはずなのに!
惰性で続けていくうちに、いつの間にか考えが変な方向に染まっていたみたいです。
後から来た人に仕事を取られるのは悔しい。
でも、それは裏を返せば
「これで自分はいつでもどこにでも行ける!」
ということでもあります。
新しい人にバトンタッチしたのだから!

もちろん、じゃあここを離れてどこに行こうか?というと、やはりいくアテはないです。完全に何かが解決したわけではありません。

でも、気持ちは以前よりはだいぶ軽いです。

こんなふうに、久しぶりにnoteになにか日記でも書こうかな、と思うくらいには元気です。

これから、いきたいと思えば、きっとどこにでも行けるはず!
そのための一歩として、まずは日々考えたことを書いてみようと思いました。
でも、あまり文章を書くのは好きなものの得意ではないので、練習がてら毎日何か書こうと思いました。
書くと、頭の中が整理されていってる気がするので好きです。
どんどん頭の中がスッキリして、その先にどんな考えに至るのか。そしてここから離れて何をしてるのか。未来の自分に少しだけワクワクしてます。

今日も書きながら、
「なんかもっといい感じに文章書けないかなぁ」
と悔しがりながら書いてます笑

だから今は、とにかく毎日書いて、少しずつでもいいから文章が上達したらいいなぁ、と思います。練習あるのみです。
また明日!

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