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堂々と休み、そしてドンと受け止める

お寺で働く人のセルフケアというのをよく考える一年でした。
これはかなり根深い問題かも?と感じたのは、
グリーフケアの講師養成講座の発表に向けて、
幾人かのBMさんがたに聞き取りをしてから。
お寺というのは休んではいけないのだから、合間で上手く
休みながらも、休みはないということに堪え、
とにかくお寺に居なければならない。
というような、聞いていると辛くなるような前提条件を含んだ
話が多かったのです。
もちろん、わたしもそういうことを言いがちで、
辛いと主張したいわけでもないと思います。しかし、
出てくる言葉に、窮屈さがないとは言い切れませんでした。
お寺の仕事というものは、いや、お寺という存在そのものが、
なんとなく社会の動きの中では語られません。語られる場合は
葬儀の簡略化や墓じまいなどの問題ばかりで、
働き方なんてカテゴリで語られることはあまりありません。
がしかし、お寺の人が働く時間も、みなさんと同じ時間帯。
そして忘れてはならないのが、
死別を経験した方々、特にお葬式後のご遺族の中には、
お寺や仏教に何らかのヒントを期待している方が
存在しているということです。
残念ながら統計などによると、
そういう方は少ないそうですが、ゼロではありません。
ということは、少なくともそういう方には間違いなく、
仏教のひとかけらでもお寺の中で伝える義務がある。
そのためには、伝えられる場作りと、伝えられる余裕がなければならない。がまんして、とか、なんとかやりくりしてここにいます、というのはよくない。辛さを分かって、という相手への期待は、恐ろしいほど簡単に
ばれるものなので、やはりここで自身への視点が大切になると思います。
セルフケア、というとなんだかこそばゆいし仰々しいのなら、
心身の健康を管理する、と言ってもいいし、言い方はなんとでも。
まずは自分自身の安定があってこそ、不安定な時期を過ごされている方と
対話できるのだという事実とちゃんと向き合っていく。
来年は、そんなお寺での働き方改革について
もっと深堀りしてみたいなと感じております。
参考ラジオ ↓ ↓


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ナム子
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