ウクライナのロシア「占領」1カ月 何が起きたのか 戦争へどう影響?
▽筆者・岡野直(9月8日)
【全般】
2024年8月6日、ウクライナ軍が初めて越境し、ロシア領・クルスク州へ侵入した。一カ月を過ぎた今も、東京23区の約2倍の土地を保持している。ウクライナ側は、この「占領」を、ロシアに終戦を強いる第一歩と位置づける。この作戦が停戦に結びつくのかは不明だが、今後の戦況について、「もしロシア側がクルスク州の土地奪還を狙うなら大きな兵力が必要になり、すでに兵力不足ぎみのロシア軍には、かなりの影響が出かねない」との見方も生まれている。
【何が起きたのか(経緯)】
ウクライナ軍が8月6日、国境を越え、ロシア・クルスク州に侵入した。その時、ロシア軍の抵抗は、ほぼ航空戦力とドローンのみで、国境守備に当たっていた、徴兵され間もない徴集兵たちの多くが投降した。
ロシア軍司令部は、軽武装の車列を向かわせたが、展開に数日間かかった。その間、ウクライナ軍は無人機でロシア軍の進入路を叩きながら、国境地帯要衝のロシアの町、スジャを押さえた。
しかし、1週間たつと、ロシア軍は、空挺部隊を含む予備兵力を投入。ドローン攻撃も激化させた。ウクライナ軍は、これを撃ち落とせる対空装備の展開が遅れた。それでも、ウクライナ軍は兵力をさらにロシア領内へ送り込み、国境沿いに占領地を拡大しようとした。
その一環で、ウクライナ軍はスジャの西約30キロのセイム川の橋を落とし、川付近にいるロシア軍の孤立化を目指す。一方、スジャから東方への進軍も目指したが、ロシア軍の反攻で、その距離は数キロにとどまった。一方、スジャの北方へは国境から三十数キロまで進み、その後、支配下に置いた。(注1)
クルスク作戦での、ウクライナ軍の兵力は1万〜1万数千人である。
ロシア軍の兵力については、ウクライナ側が「6万人」(ゼレンスキー大統領)、「3万人」(シルスキー軍総司令官)と発表しているが(注2)
、おそらく過大な見積もりだろう。ロシアの兵力が数倍なら、ウクライナ軍をある程度押し返しているはず。現実はむしろ、9月6日現在もウクライナ軍がクルスク州で、小規模ではあるが攻勢をかけている。
【ウクライナの越境作戦の狙い 政治面】
ゼレンスキー大統領は9月4日、米国NBCのインタビューに、「ロシアへの越境作戦は、『勝利のプラン』の一部だ。その実現のため、今のところ、それ(ロシア領)を保持することが必要だ」と述べた。
「勝利のプラン」の狙いにつき、大統領は、「心理的にロシア社会に働きかけること」をあげた。
「ロシア人に、『プーチンはクルスク住民を全く大切にしない、彼の目的は、ウクライナを強奪する戦争のみだ』と分からせる。また、ロシア軍は彼のいうほど強くない、と知らせるのだ」
ゼレンスキー氏は「(ロシアの)領土は必要ない」と言う一方、「ロシアはウクライナの破壊を目指しており、ロシアが我が領土へ戦争を持ち込むなら、それを彼らの領土へお返しする、ということだ」とも述べた。
また、「ウクライナの領土の一体性を回復すること、捕虜交換のためのロシア兵の捕虜を獲得すること」も、この作戦の目的としてあげた。
ゼレンスキー氏は、「今、戦争終結へと向かっているのだろうか?」との記者の質問に、「我々の側は、本当に戦争を終結させたいのだ。『勝利のプラン』は私の計画で、ロシアに終戦を強いるもの。彼らロシア人がやっていることはナンセンスだと彼らに分からせるのだ」と述べた。(注3)
【ウクライナの越境作戦の狙い 軍事面】
ウクライナ軍のシルスキー総司令官は、クルスク州への越境作戦の主な目的は、
◇ロシア軍がクルスク州を聖域化し、そこでウクライナ攻撃の準備をするのを阻止、
◇ロシア軍部隊をウクライナの他の戦線から引きはがすこと、
◇「安全地帯」を作ること、
◇ウクライナ人の士気を高めること
などだった、と述べた。
(9月5日、CNNインタビュー 注4)
【プーチン大統領の反応】
プーチン氏は9月5日、ウラジオストクでの会見で、
「ウクライナは、クルスクなど国境地帯への攻撃で、東部ドンバス戦線からロシア軍部隊をひきつけようとした。それは失敗し、ロシア軍は攻勢を(ドンバス地方で)加速した。ウクライナ軍の損失は大きく、まもなく戦闘能力を失うかもしれない」と述べた。
【焦点のドンバス・ポクロフスク市 ウクライナ軍の立て直し】
同じ日、放映されたCNNのインタビューで、ウクライナ軍のシルスキー総司令官は、「たとえポクロフスク市を失った場合でも、クルスク州への越境攻撃は成功だったと言えるか」との質問を受けた。
東部ドンバス・ドネツク州のポクロフスク市(人口6万人)は現在、ロシア軍が陥落を狙う、要衝の都市。シルスキー総司令官は、クルスク州に越境攻撃をかけることにより、ポクロフスク方面から兵力を転移させ、ポクロフスク市を救うことも目指していた、とされる。
シルスキー総司令官は、ロシア軍の兵力の転移があまり起きなかったことを認めつつ、
「ウクライナ軍は、ポクロフスク方面の防衛を強化している。直近の6日間、ポクロフスクへロシア軍は1メートルも前進していない。彼らは予備兵力を、以前のように投入することができないでいる」
「ポクロフスク方面の防衛は、大きな課題であり続けている。他の戦線では、ロシアの砲撃数は減り、安定してきた。よって、この(越境)戦略は正しいと考える」と答えた。
ウクライナ軍は世界で初めて、「無人機軍」を(陸軍、海軍などと並ぶ)独立した軍種として設立した。この点につき、シルスキー総司令官は、次のように述べた。
「敵は、航空機、砲、ミサイル、戦車、歩兵戦闘車などで優位に立つ。これは、我々のモティベーションともなっている。つまり、敵と同じような戦い方はできない。そのため、工学や技術上の優位性を生かし、ハイテク武器にフォーカスしたのだ。その無人機軍をポクロフスク方面に投入している」
ポクロフスク方面全体をみると依然、ロシアが優勢だが、ウクライナは、ポクロフスク市の手前の町で、ロシアの進軍を防ぐことに成功しているようだ。
【ロシアには長期的影響も - 「戦争研究所」の論評】
米国をベースとする「戦争研究所」は9月5日、ウクライナ軍のクルスク州への越境作戦について、以下のように論評した。
プーチン大統領の意図につき、
「プーチンはクルスク州からウクライナ軍を押し出すことよりも、ポクロフスク方面でのロシアの攻勢を優先している可能性が高い」
また、プーチン氏は、「ウクライナ軍が長期間ロシアの領土を保持することを容認しているように見える」という。その背景の一つに、プーチン氏が、「欧米の意思決定者たちに、ウクライナに圧力をかけてクルスク州から軍を撤退させるよう促すことができ、そうなれば、ロシアがクルスク州に部隊の追加配備をすることなく攻撃を続けられる、と考えている」可能性をあげる。
しかし、そうなると、「ロシアの国境の不可侵性についての長年のレトリック・ドクトリンを覆すことになり、ロシアの『レッドライン』の意義にも疑問が生まれる」と指摘する。
将来、ロシアがクルスク州の領土を奪還しようとするケースについて、「ほぼ間違いなく、ウクライナの他の前線からロシア軍の大部隊を引き抜き、再配置する必要が出てくる。これは、ロシアの攻勢と、将来の作戦準備能力に大きな影響を与えるだろう」という。
そして、ウクライナ軍のクルスク州侵攻は、かなり長期の効果を狙ったものであり、「その評価は時期尚早である」と結論づける。
【これから半年間の展開?】
先のCNNインタビューで、ウクライナ軍のシルスキー総司令官は、「今後の6カ月で、戦争はどう動くのか」と尋ねられ、笑みを浮かべながら「長期のことは、難しい」と答えたうえで(無骨な人物で、メディアを前にほほ笑むのは珍しい)、「我々のケイパビリティ―(能力)を適切に作り上げる」と述べた。
その前提の一つには、政治・外交が機能することがあるだろう。ゼレンスキー大統領の「勝利のプラン」が今後どのように展開されるのか、注目される。
注1)「メドゥーザ」https://www.youtube.com/watch?v=2As73l2wSEM&t=15s
注2)https://www.kyivpost.com/post/38534
注3)https://www.youtube.com/watch?v=I4DAy-WRL1g
注4)https://edition.cnn.com/2024/09/05/world/video/ukraine-russia-war-syrskyi-amanpour-ldn-digvid