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これはホロコーストの問題だけではない。さしずめ日本で言うならホリエモン、ひろゆき、成田悠輔らの【関心の領域】外にある社会に対する利己主義と橋下らの維新であるところの右派ポピュリズムへの警鐘である。
ネットを介してホリエモン、ひろゆき、また新たに加わった「オデンメガネ」こと成田悠輔。最近は情報系番組ーこれは汎ゆるニュースが単なる横一列の情報と言うコンテンツ化され消費されるー特にネツト情報の後塵を拝しているこの手の番組ではコメンテーターとして彼らは重宝がられる。そしてこの度話題の映画「関心領域」である。これはあのアウシュビッツ強制収容所の隣で暮ら収容所長ヘスとその一家のユダヤ人殺害と言う搾取によって得られた平穏な暮らしを描いた作品である。当初この映画はホロコーストを「関心領域」の外に置くことで事実に向き合わないヘス一家(特殊な一家ではなくごく普通のドイツ人一家として描かれている)しかしこの映画は単なるホロコーストの悲劇を描いただけではない。ホロコーストを描いた多くの作品がホロコーストの悲劇を絵がいた果にユダヤ主義に陥る事もなく仕上つている。このあたりがいかにも今日的である。私が感じたのは欧米に広く拡散した新自由主義が齎した人々の分断と対立である。勿論欧米だけではなくこの日本とて例外ではない。ネットによるグローバル化が齎した熱度以來の有名人(ホリエモン、ひろゆき、成田悠輔など)がネットのみならずマスコミの寵児として画面を賑わせる。彼らにマスコミが求めるコメントは彼らの利己主義的思考のフィルターを通した冷ややかな笑いでしかない。つまり彼らには社会的生活を営む人々は自己の「関心領域」から外れた存在なのだ。彼らにマスコミが求めたコメントとは無関心から生まれたものなのだ。無関心脳冷笑から生まれたものには人の血は通わない。彼らにとって人という存在はマネキンと大差ない。値の通わない冷ややかな笑いは誰も幸福にはしないのだ。この話は未来永劫どの国でも起きうることのだ。