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オレの相棒(あいぼう) 第12回




ハチは、いつもと同じように、
何の疑いも抱かず、

ムシャムシャと、
いつもと同じように食べ始めた・・・。


だが、その食事には、
白刃しらは の猛毒”
硝酸ストリキニーネが潜んでいた・・・


(#白刃の猛毒 = 鋭い刃のように避けがたく、
           確実に命を奪うこと)



投与から1~2分後・・・(初期症状)


ハチ「!?」



ハチは・・・突然、
食べてる物に違和感を覚えた。
硝酸ストリキニーネは、
強烈な苦みを持つ。


だが、空腹の為、
違和感を少し感じていたが、
そのまま食事を続けていた。



が・・・




ハチ「グエェェェ~~~~!!」




ハチは、激しく嘔吐おうと した。



ストリキニーネは、強烈な苦みを持つ。
苦みが強いので、吐き出したのだ。
ただ、ストリキニーネは、
神経系の毒であるため、
胃や腸を傷つけるものではないので、
吐血する可能性は極めて低い。



飼育員「ハチ~~~~~!」




背を向けていた
ハチ担当飼育員が、
突然の激しい嘔吐に、
振り返って絶叫する・・・


ハチは、体がこわばり
興奮状態になっていった・・・



ハチ「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・」



呼吸が荒くなり、
よだれをたらし始める。


ストリキーネの初期症状だ。



3~5分後(けいれん発作の開始)


”ピクッ!ピクッ!”


ハチの意思とは関係なく、
前足と後ろ足が、
けいれんし始める。


ギュッ!



突然、全身の筋肉が激しく収縮した・・・


”ドタン!”



獣舎にハチが倒れる音
大きく響き渡る。


ハチ「ゼェ・・ゼェ・・・ゼェ・・・」


目を見開いたまま固まり、
やがて、アゴが閉じにくくなったのか、
口は半開きのままになっていった。


ハチ「グゥ~~・・・」


低いうなり声や苦しい鳴き声を、
断続的に出すようになった。


あたかもその声は、
苦しみの果てにすがるような
絶望的な悲鳴だった・・・



飼育員「もう見ていられません!」



涙を流しながら、
怒りにも似た声を発し、
担当飼育員は、
獣舎から立ち去ろうとした。



”グィ!”



立ち去ろうとする担当飼育員を
すぐに追いかけて、
その腕を強く掴んで止めたのは福田だった。



福田「待つんだ!待ちたまえ!」



飼育員「放してください!無理です!」



福田「キミは、”ただの動物好きか?”」



突然出た福田の予想もしない質問に、
興奮状態の飼育員は戸惑った。



飼育員「え!?」



福田「上野動物園の・・・
   ”動物園の飼育員”じゃなかったのか?」



飼育員「も・・・もちろんです!」



福田「だったら残りなさい。
   ここから立ち去っていいのは、
   ただの動物好きだけだ!

   ・・・飼育員としての責任を果たしなさい。」



飼育員「飼育員としての責任は・・・
    今まで・・・きちんと世話をして、
    愛情を込めて、動物たちを飼育してきました!


    でも・・・こんなの無理です!
    ハチを・・・世話をしてきた動物を・・・

    殺すなんて無理ですよ!園長代理!」
    



福田は、飼育員の腕を放し、
正面を向かせると、飼育員の目をじっと見た。



福田「殺すのも、飼育員の責任なんだよ。」



飼育員「え?」



福田「我が子同然に育ててきた、
   動物を”自らの手で殺す”のも、
   ・・・・飼育員としての責任なんだよ。」



飼育員は、福田が何を言っているのか、
まったく理解できなかった。



飼育員「何を言ってるのか、わかりませんよ!」



理解できない事が、怒りにも似た声になった。



その怒りの声に対して福田は、
穏やかな口調で、だが力強く言葉を続けた。



福田「いいかい。落ち着いて聞いてくれよ。
   確かにキミの言う通りで、
   動物に愛情を注いで、
   健康管理、エサやり、掃除、繁殖など、
   
   
   預かった命を管理するという責任。
   これだけでも、ただ動物が好きなだけじゃ
   できない事だよね。間違っていない。」

  
   


飼育員は、
何か言おうとしたが、
福田の自分を見る
力強い眼差 まなざしに、
何も言えなかった。



福田「飼育員の責任は、
   先言った、預かった命の管理、
   動物を世話することだよね。

   でもね・・・ 
   もう一つあるんだよ。」



飼育員「もう一つの責任・・・ですか?」



福田「うん・・・   
   

   ”必要ならばその命を絶つ覚悟を持つこと!”

   
   
   これも動物園の飼育員としての責任なんだよ。」



飼育員は、何も言わずに、
福田の目をじっと見た・・・



福田「今回なら、空襲で檻が破壊され、
   猛獣たちが脱走してしまった場合、
   人間たちに危害を加える可能性は大きい。
 
   
   
   そんな時は、我々、動物園の飼育員が、
   我が子同然に育てた動物たちを、
   この手で殺さなくちゃいけないんだ・・・。

   
   
   ロンドン、ベルリンの動物園で、
   飼育員たちがやった事は、
   動物園の飼育員としての、
   責任を果たしたということなんだよ!」



飼育員「責任を果たした・・・」



福田「確かに大達東京都長官から、
   出された命令かもしれない。

   
   受け入れがたく、
   私だって本心を言えばイヤだ・・・

   
   でもね、万が一にも檻が破壊され、
   猛獣たちが街中に出たら、
   殺される人間、ケガをする人間、
   たくさん出ることだろう・・・

   
   その時に彼らを殺すのは、
   我々の責任なんだ・・・

   
   万が一に備えて
   やらなくてはならないのは、
   我々の責任なんだよ。」



本心を打ち明けてくれた福田に対して、
飼育員は、言葉を挟むことなく、
一つ一つの言葉に、黙ってうなずいていた。



福田「国が違っても
   100年後、200年後でも、
   動物園がある限り、

   
   人間に危害を与えたり、
   与えそうになった時は、

   
   我々、飼育員が、
   手塩にかけた動物たちを
   この手で殺さなければいけない
   責任があるんだよ・・・。


   
   動物園の飼育員、
   全てが背負わなくちゃいけない

   ・・・宿命なんだよ。」
   
   


飼育員は、くるりと福田に背を向けると、
流していた涙の跡を袖口で拭き、
背を向けたままで・・・



飼育員「まだ私には全部を受け入れられませんが、
    とにかく戻ります!

    
    今は・・・あいつのそばにいていやりたいんです。」



福田「そうだね。戻ろうか。
   ハチは、一人ぼっちでここに来たんだ。
   
   
   せめて最期は私たちで・・・」




”ドン!”



”ドン!”




突如、ハチのいる獣舎から、
何度も大きな音が聞こえた。
   


福田と飼育員は
互いに顔を見合わせる。



飼育員「戻りましょう!」


福田「うん。戻ろう」


駆けてゆく若い飼育員の後を、
福田もついてゆこうとした時、
ふと足元を見た。


福田「アリか・・・」



急いで戻らねばならぬのに、
福田自身にも、理由はわからないが、
足元でせわしなく動く、
アリの行列を見ていた。



遠くで、昼間とはまた違う
セミの鳴き声が響いている・・・


福田は思った・・・


ハチや猛獣たちが、
足元をゆく、
このアリであったなら、
何処へなりとも逃がしてやれるのに・・・



”ハァ~~~!”




福田は、思ったことを口にする虚しさに気づき、
大きなため息だけをして、
急いでハチの獣舎に戻った。



”ドン!”


”ドン!”




獣舎に戻った福田が目にしたのは、
何度も立ち上がり、
その度に倒れるハチの音だった・・・



飼育員「もういい!もういいんだ!ハチ!」



何度倒れても止めないハチに、
たまりかねた福田も声をかけた。



福田「もういいんだよ。ハチ!
   起き上がらなくていいんだよ・・・」



”ドン!”



福田が声をかけた後、
起き上がったハチが、
また倒れた時だった・・・



倒れたハチの体が、弓なりに反り返り始めた・・・



原因は、ストリキニーネが脊髄の神経を過剰に刺激し、
筋肉が同時に収縮するために起こる症状で、



オピストトヌス(医学用語)と呼ばれている。



筋肉の異常な緊張によって、背中が後方に強く反る症状。
この反り返りは、弓のように体が反り返ることから、
”弓なり”に見えるため、この名前がついた。


特に神経系の疾患、ストリキニーネ中毒や、
てんかん発作、髄膜炎などで見られる。


特に、ストリキニーネによる中毒死の際に顕著に現れ、
死の直前まで続く・・・。



6~10分後(強直性けいれんの進行)



倒れたハチの体は、
極限まで弓のように反り返る。


オピストトヌスの症状が現れ、
四肢は、ピンと伸びきった状態になる・・・


ハチ「グゥ~~、グゥ~~~・・・」


やがて呼吸困難になり、
喉から苦しげな音を発する・・・


ハチの瞳孔は拡大し、
一点を見つめるようになる。


福田も飼育員も、
もう何も言葉を発することはせず、
ただ、両の拳を、
あらん限りの力で握って、
目の前にいるハチを、じっと見守るだけであった。




11~15分後(発作の激化と絶命が近づく)



ブルブルブル・・・・



ビクン!ビクン!




強直性けいれんが頂点に達し、


やがて、ハチは完全に動けなくなる・・・



プルプルプルプル・・・・




全身が硬直したまま、小刻みに震えるような発作が起きる。



ハチ「・・・・・ハァ・・・・ハァ・・・・・」



呼吸が極端に不規則になり、
長い呼吸停止の合間に短い呼吸をし、
呼吸不全におちい る・・・









ハチの意識は、
もう夢か現実か、
わからない世界にいる・・・







意識を取り戻したハチが、
周囲を見渡す・・・


ハチ「あれ?ここは・・・」



懐かしい風のにおい、
ふと、足元をみると、
どこまでも続く
青草が広がる草原の絨毯じゅうたん


見覚えのある風景だった・・・


ハチは、うれしくなって
気がついたら駆け出していた。


上野動物園に来てからは、
床はずっとコンクリートだったので、
こうやって、足の裏に、
土や草を感じる事はなかった。


日本に来る前は、
いつもこうやって、
自由に草原を駆けていたのだ。


駆けながら足元に目をやると、
冬枯れの根本から、鮮やかな緑の新芽が、
伸ばし始めていた。



ハチ「もしかして・・・」


ハチは、覚えていたのだ。
新芽が、やっと目につくころ、
増水期が訪れて、
この草原一帯は、水没してしまうのだ。


草原を夢中で駆けていた、
ハチの視線の先に
ニレの木を見つけた。



ハチ「ああ!やっぱりそうだ!
   帰って来たんだ!」



ハチは、ニレの木を見て確信した。
どうやって帰って来たのか、
わからないけれど、


なつかしい陽新ようしん 県(中国湖北省)の、
第8中隊兵舎に、
帰って来たんだと。


ハチは、いつもしていたように、
サッとニレの木に登った。
ここからなが める風景が大好きだった。



ハチは、あることを思い出した。
大きくなってから、
理由はわからないが、
毎日のように、ニレの木に登ると、
何度も大きな声で、雄叫おたけ びをあげていたのだ。



目覚めた野生の雄叫びなのか?
年頃になったので、異性を求めての雄叫びなのか?
それは、ハチ自身にもわからなかった。
無性にえたくなったのだ。



とにかく大きな声で響くので、
近くを通る中国人たちがおび えて、
第8中隊に助けを求めるので、
成岡や隊の誰かが来て、
ハチを叱って、兵舎まで誘導して連れ帰るのだ。



そんな事を思い出しながら、
周りを見渡した。
先から来る途中もだが、
隊の人間も、中国人も、
誰も見かけなかった・・・


どうしたんだろう?
何で誰もいないんだろう?


そんなことを思っているうちに、
だんだんと寂しくなってきた・・・



ハチ「そうだ!
   ここで大きな声で吼えれば、
   きっと誰かが、ボクを叱りにくるぞ。
   よ~~~し!」



ハチは、前みたいに吼えれば、
隊の誰かが、叱りに来るはずだと思い、
思いっきり吼えてみることにした・・・



ハチ「お父さ~~~ん!


   ボクね~~~!


   帰って来たよ~~~!」




ハチの声だけが大きく響いた。



・・・だが、しばらく待っても誰も来なかった。



誰も来ないので、
ハチは先よりもっと寂しくなって、
また、大きな声で吼え始めた・・・




ハチ「みんな~~~!


   いないの~~~!


   ボク、帰って来たんだよ~~~!」





周囲を見渡しても、
しばらく待ってみても、
やっぱり誰も来なかった・・・




ハチ「どうしてなの?

   どうして誰もいないの?

   
   ・・・お父さん

   みんな・・・

   ボク・・・帰って来たんだよ・・・」



ハチは、ずっと会いたかった、
成岡や隊員たちが、
誰もいないので、とても悲しくなった。



ハチの瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちた・・・




ハチ「どうして・・・誰もいないの・・・」



大好きなここからのなが めも、
涙で歪んで見えるだけだった・・・




ハチ「お父~~~さん~~~!


   みんな~~~~!


   会いたいよ~~~~!」





ハチは、泣きながら大きな声で、
思いっきり叫んだ・・・








”コラァ~~~!


   ハチ~~~!

       

    やめんか~~~!”






ハチ「え!?」



ハチの後方から、
突如、聞き覚えのある大きな声がした。



ハチは、すぐに振り向いた・・・




ハチ「あっ!」




振り返ると、
少し離れた所に、
ニヤニヤとした顔で、


成岡正久や、スズメ撃ち名人の橋田寛一、
ハチと命名してくれた尾崎曹長
上野動物園で会った、
吉村重隆までいた。




成岡「おかえりハチ!

   待ってたぜ!ご苦労様!」




ハチは、うれしくなって、
小気味よく木を降りると、
成岡めがけ勢いよく
駆け出した・・・




ハチ「うわぁ~~~!


    お父さ~~~ん!」





疾風の如き走りで、
その距離は瞬時にして縮まり
あっという間に、成岡の広い胸に飛び込んだ!



”ドン!”




成岡を押し倒すと、その特徴的な長い顔を、
ハチは、いつもしていたように、
何度も何度も、うれしそうになめまわした。




”ペロッ!・・・ザラッ!・・・ペロッ!”




成岡「イテテテ・・・
   ハチ、ザラザラして相変わらずてえな!

   わかった。わかったから。
   よく上野動物園で、いい子にしてたな。
   おりこうだぞ、ハチ!」




成岡の大きな手で、
以前、毎日そうしてくれたように、
ハチの頭をクシャクシャに撫でた。



ハチ「うん!ボクね!
   おりこうにしてたよ。

   毎日、たくさんの人が、
   ボクを見に来てたんだよ!」



成岡「そうだな。吉村孔明先生から聞いたよ。
   新聞も見たぞ、いい男に写ってたぞハチ!

   空襲で爆弾の音が、毎日していたと聞いた。
   怖くなかったか?大丈夫だったか?」




ハチ「うん。全然大丈夫だよ!
   お父さんたちといた時に、
   たくさん大きな音を聞いて・・・


   

  ・・・あれ!



   

  お父さん、ボクの言葉がわかるの?」





成岡「へっへっ。驚いただろ?
   実はな、ハチが上野動物園で
   いい子にして、頑張ったから、

   神様がな、お前と話せるように
   してくれたんだよ。スゴイだろ?

   オレだけじゃないぜ。
   橋田や尾崎、吉村。
   みんな、お前と話せるんだぜ。」



ハチは、橋田たちの顔を見上げた。



橋田「おかえりハチ!
   モズに山鳩やまばと
   野鹿にキジ・・・
   お前の大好物用意してあるぜ。」



尾崎「よく頑張ったな。ハチ!
   それにしても、
   随分とやせたなあ。
   こっちは、まだ食料があるから、
   たくさん食べて元気になれよ!」



吉村「上野動物園では、
   お前と会えてうれしかったよ。

   覚えていてくれてありがとう。
   ハチ、おかえり!」

   



ハチ「ただいま!みんな!」



成岡は、上半身を起こすと、
あらん限りの力で、
思いっきりハチを抱きしめた。




成岡「お帰り!オレの相棒ハチ !」




成岡の瞳からは、一筋の涙がこぼれ落ちた。



ハチ「ただいま・・・お父さん。


   ボクねえ・・・ずっと・・・


   ずっと・・・ず~~~っと、


   さみしかったんだよ!」




成岡「悪かった。悪かったなハチ。
   その代わりな、
   これからは、ずっと一緒だぞ。」

 



ハチ「え!?ホントに!
   お父さんとこれからは、
   ずっと一緒にいられるの?」



成岡「ああ、ホントさ!
   どんな事があろうと、
   この先、オレが死ぬまで、
   ずっと一緒だぞ。ハチ!」



ハチ「これからは、
   

   ずっと・・・


   ずっと、ず~~~っと、


   

   お父さんと、一緒にいられるんだね!



   ・・・ボク、うれしい!」





いつもそうしていたように、
ハチは、長い尾をゆらゆらと
揺らして喜びを表現した・・・













15分~20分後(呼吸停止~死亡)


ハチは、最後のけいれんを起こした・・・
全身が弓なりに硬直したまま、
完全に動かなくなった。



窒息ちっそく ・・・
または、心停止が死因として考えられる。


死亡後も筋肉が硬直したままであり、

死後硬直しごこうちょく が、即座に始まった証拠だ。


口の中に入った異物を取りのぞ こうとするかのように、
前両足は、口元で動きを止めていたという。




昭和18年8月18日



ハチ、毒殺により絶命する。



しくも、



ハチの名に通じる”8”が、



3つ並ぶ日であった。




牛頭山で、成岡と出会ってから2年6か月。
ハチは、悲劇的な最期を迎えた・・・








ここで物語は、第10回冒頭の後へとつながる・・・


昭和18年8月26日



華々しい武勲を立て続けた
成岡正久は、1か月の休暇を与えられ、
4年ぶりに、故郷高知にいる。


母親の具合が悪いために、
ハチが待つ、帝都東京にある、
上野動物園を後回しにせざるを得なかった。


両親に先に会った後に、
ハチの所へと行くつもりであった・・・


待ちきれない気持ちを抑えきれない
成岡は、ハチの安否照会のために、
上野動物園宛に、電報を打った。




「ハチ ケンザイナリヤ ナリオカ」




ところがである。
いつまで経っても、
電報の返事はこなかった。



成岡「遅い・・・遅すぎる。


   どうなっていやがるんだ。福田さんよ。」




それから、気の遠くなるような時間を、
成岡は、更に待つことになる・・・



不安だけがつの る、長い長い時間であった。



長い不安の時間とき を耐えた末に、
待ちに待った返信が来た。



そこには・・・



「八ガ  ツ十九ヒド   クサツス」




成岡が予想だにしていない、
情け容赦の無い内容が書かれていたのであった。


ちなみに、やや読みづらいと思うので、
分かりやすく直すと、



「8月19日 毒殺す」



と、いう事になる。
読者は、既にお気づきのように、
8月18日ではなく、
8月19日となってる。


私は、成岡のセリフで
「福田さんよ」と使っているが、
電報を返信したのが、
福田であるか、動物園職員の誰か、


どの本にも、どの資料にも無かったので、
確定は出来なかった。


福田が、返信したと書いている本もあったが、
福田の著書全てを見たわけではないが、
該当するような記述は、見当たらないので、


その電報を誰が打ったのか、あえて明言しない事にする。


この1日のずれが、単なるミスなのか?
8の字が重なる事への、成岡に対しての配慮なのか?

これについても、確かめるすべが無く、
真相を追求できぬまま載せることを、
読者には、深くお詫びする。



ちなみに・・・
この時点において、猛獣殺処分の命令は、
一般国民には、知らされていない。


9月4日に、慰霊祭が行われるが、
新聞などを通じて、一般国民は、
この日以降から知ると思われるので、
成岡も、この時点ではむろん知らない。



成岡「毒殺・・・って何だよ・・・

   オレが日本に帰って来る、
   1週間前には、もうハチは、

   この世には、いなかったのかよ・・・」



なぜ、上野動物園で殺されねばならなかったのか?
なぜ、毒殺されねばならなかったのか?
理解できぬ現実に、成岡は怒りと悲しみで一杯になった。



成岡「ハチ・・・・

   もう、お前はいないのか・・・

   想像すらもできぬ毒殺・・・

   どんなに苦しかったことか・・・


   苦しかったなあ・・・ハチ・・・

   スマン・・・すまねえ・・・ハチ。

   ごめんよ・・・ごめんな・・・

   オレのせいだ・・・オレの・・・

   日本になんか行かせなければ・・・




成岡の瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた・・・



成岡「お前の幸福を願い・・・

   オレが無事生還出来たなら、
   再会出来ると思って・・・

   日本に送ったのに・・・

   まさか・・・こんな事に・・・

   こんな事になるなんてよぉ!

   

  チクショウ!!                
                  

                      
                           




成岡は、激しい後悔の念に押し潰されそうになった。




成岡「こんなことなら・・・

 
   生まれ故郷の山中にでも放してやった方が、


   よっぽど幸せだったろうに・・・

   
   すまん・・・ハチよ・・・」




成岡の脳裏に、在りし日のハチの姿が、
走馬灯のように、次々と思い出された。










オスのチビヒョウ







ボク、ハチです。ヨロシクネ!







ミヤセンセ!ゲンキになってネ。

 






犬のおじさん!”お父さん”の悪口は、ボクが許さないよ!








ご苦労様!先に帰ってたヨ!ボク!








お父さん、早く元気になってね!








お父さんをイジめるな!







ボク、”あいぼう”になったよ。








お父さん、ボク、日本で待ってるよ!迎えに来てね。





成岡は後年、自著の中でこの時のことを、
このように、書いている・・・






得難いハチの生命は、わず か二年と六か月にして、
地球上から消えてしまったのでした。

私は、動物園当局の無慈悲な処置に一時は怒り、
誹謗憤慨ひぼうふんがい しました。

しかし考えて見れば、これも「戦争」というものの
おかした罪悪とも思えました。

ハチばかりでなく、他の猛獣すべてが犠牲になったのですから、
動物園当局を責めるのも、無理というものかもしれません。


私とハチが、戦争のおかげでう事が出来、
また戦争のために、別れなければならなかったということも、
悲しい宿命というべきなのかもしれません。

引用元 全集日本動物誌4 成岡正久著「豹と兵隊」 P216(講談社)





成岡の自著を含め、既出のハチに関連する本では、
その全てを見たわけではないが、
成岡が電報を打って、
返信でハチの死を知るという形になっている。



先ほど、私が返信相手が福田だと、
断定しなかった理由が別にある。
それは、福田の自著に、
以下のような記述があったからだ。





九月六日頃、電話で「八紘(ヒョウ)」の、
寄贈者成岡氏から、ヒョウは元気でいるか、
との連絡があったが、処置をしたわけを返事した。

引用元 全集日本動物誌4 福田三郎著「実録上野動物園」P102(講談社)




これによると、
日付が、9月6日。
そして、電報ではなくて電話。
直接、成岡とやりとりしている。


今となっては、
どちらが正しいか調べようがないが、
猛獣殺処分については、
秘密裏に行われたが、


反対に、猛獣慰霊祭については、
積極的に宣伝されている。



9月3日に、新聞において、
「あす、上野動物園で慰霊祭」
などと報じられて、
5日には、各新聞ともに、
大々的に報道された。


このことを考えると、
成岡が、9月26日まで
休暇中だとして、日本にいるとしても、


新聞は、読むだろうと思うし、
読まなくても、誰かから伝わり
当然、成岡は知るはずではないだろうか。


いささかの疑問は残るが、
どちらが正しいか間違っているか、
というのも、無粋に感じられるので、
読者が納得のいく方を、選んでいただければと思う。




一か月の休暇を、成岡は、傷心のままうつ ろな毎日を過ごした。




成岡「戦友たちの所へ戻らなくちゃいけねえ。
   オレだけ、のんびりするわけにもいかねえからな。

   
   生きて日本に帰って来ても、ハチ・・・
   お前がいないんじゃ、帰る理由が無くなっちまったぜ。

   
   まあ、その前に戻れば生きて帰れる保証なんか
   これからは、益々無くなっちまうがな。

   
   でも、あんまり早く再会しちまうと、
   お前に怒られそうな気もするしな・・・

   
   
   まあ、やるだけやってみるよ。

   
   
   陽新の頃は、街中に行くとよ、
   知らぬ間に、お前が後ろからついて来て、
   オレを守ってくれたよな。

   
   本音をいえば、戦場でも、
   オレの後ろにいて、守って欲しいけど・・・

   
   もう・・・もうお前を戦争に巻き込みたくない。
   一人で何とか生き抜いてみせるからよ、
   空の上から、見守っていてくれよな。

   
   ・・・お前を守ってやれなかったが、
   一人でも多く、生き残って故郷に帰れるよう、
   お前の分まで、戦友たちを守ってやるつもりだ。

   
   お前へのつぐな いになるとは思ってねえけど、
   とりあえず、行ってくるよ・・・

   

   じゃあな、ハチ!
   
   オレは、戻るぜ・・・戦場へ。」




帽子を深くかぶり直すと、
成岡は、中国戦線へと再び戻って行った・・・






ハチの上野動物園行きに尽力した
宮先生こと、宮操子が、
猛獣殺処分と、ハチの死について、
後年出した本の中でこのように書いている。


引用した本からの引用であるが、
少し長いが、最後に紹介したい。




あの当時、人間が生きのびるためには、
やむを得ない処置であったかもしれない。


しかし私は、人間のために動物が犠牲になるのは、
当たり前だとは決して思わない。
本当はいやだ。
いやでたまらない。


しかし、そうするより仕方がなかった、やむを得なかった。
辛いけど、動物を皆殺しにしなければならなかった。
そこまでしなければならなかったことに、
私は痛みを感じるのだ。


この世に生を受けた以上、動物の命だって、
人間の命と同じようにとうといはずだ。
生き続ける権利は、彼らにだってあるはずなのに・・・」

引用元 祓川学著 「兵隊さんに愛されたヒョウのハチ」 P115(ハート出版) 




更に、続けてハチのことに触れる・・・





兵隊さんたちの無償の愛につつまれて育ったハチは、
これまで一度も人を疑ったことはなかったと思う。


毒入りのエサを持って係員がやって来たときも、
おそらく尻尾を振って迎えたのだろう。
ハチは死ぬ直前に何を思っただろう・・・。


”なぜ、ボクが何をしたの・・・”


もしハチがしゃべることができたら、
そんなことを問うたのではないか・・・。

引用元 祓川学著 「兵隊さんに愛されたヒョウのハチ」 P115~116(ハート出版)





宮先生も、ハチの死に、
ひどく心を痛めた一人であった。




<第13回へつづく・・・>




「読者のみなさまへ」


本作品は、
実話を基にしていますが、
会話など脚色を加えてあります。


また、いつもと違い、
連載形式なので、
その都度で、明記する時もありますが、
作品の内容を、順番にお知り頂きたいので、
最終回に、参考文献や参考サイト様など、
まとめて明記したいと思っております。
ご了承下さいませ。





(少しロングなあとがき)



毎週金曜に整体に通っているのですが、
1月31日に行って帰って来たあと、
ひどく体が重たくなり、
そのまま具合が悪くなってしまった。


ちょうど、この回を書き始めたばかりで、
2月3日くらいまで、
汚い話で申し訳ないが、
ゲー、ゲーとやっていて
医者で点滴などしてもらい治り始めた。



序盤のハチがストリキニーネのため、
嘔吐おうと している場面は、
ちょうど私もゲーっとしてる頃で、
馬鹿みたいに思われるかもしれないが、


ゲーッとしながら、
こんな音が使えるな。
こんな感じか。
と吐きながら、思っていたのでした。


白刃の毒を、何で見たのか忘れましたが、
その時に思い出して、白刃の猛毒と、
自らの気分も含め、考えたものです。


前回も話しましたが、困ったことに、
具合が悪い時ほど、えてしまう。
PCの前に座れない時は、
病床でメモ帳に、思いついたことを書く。


序盤は、少し調子のいい時に、
それらをジグソーパズルのように、
組み合わせて書き上げたものです。


その時に、前回は何も感じなかった、
「チャイコフスキーの交響曲第六番 悲愴」を、
違う楽団が演奏したのを流しながら書いたのですが、


ロシアの楽団だったか、前回と違い、
何かズッシリと来るものがあり、
筆がはかどるなんていうと古い言い方だけど、
なかなか進むので、この回を書くときは必ず
最初に通しで全部聴くことにしていました。


不思議なことに、この回を執筆中に、
2回ほど、地上波とBSで手塚治虫先生自らが、
出演している番組が、放送していました。


地上波は、何度も観た番組で、
BSは、初めてみる番組で、
手塚治虫先生が30分くらい
一人でしゃべっている内容でした。


その中で、2つほど
これは!と思うお言葉がありました。
それが、以下のお言葉なのですが、


「他の人間に出来ないことを、オレはやる!」


「自分でそれをやらなければ、誰がやるか!」



この2つのお言葉を聞いた時に、
ああっ!これだ!って思いまして、
考えていたハチの最期を大幅に変更しました。


当初は、他の猛獣たちと同じように、
ストリキニーネの時間経過を淡々と書く、
そんな感じにして進めていたのですが、


手塚治虫先生のお言葉に、感じるところがありまして、
それじゃあ、今出ている多くの本と同じじゃないか?
冷たい感じで、悲しい感じでハチの最期にしていいのか?


それなら、オレがそれを書く意味はあるのか?


私は、従来出てる本と違って、
読者がハチのことや成岡さんのことを、
思い出す時に、
戦争中に殺されたとか、
悲しい気持ちで思い出すのではなくて、


私が目指す所は、顔がほころぶような、
温かい気持ちになるような。
元気一杯のハチを思い出してくれるような・・・


確かに戦争中の悲劇による、
とても悲しいお話なんですが、
上手く伝わるか、わからないのですが、
既存の本や資料にはない、
そういう所を目指して、1話から始めました。



そういうのを、手塚治虫先生のお言葉で考えた時に、
オレにしか書けないハチの最期とは何であろうか?
何日も、他の箇所を書きながら悩んで考えました。


その答えが、先ほどご覧いただいた、
ハチが途中で夢の世界とでもいいましょうか、

その中でしゃべり、成岡さんたちと再会して、
同じ言葉でしゃべったり、触れ合ったりするシーンでした。


そうだ!今までハチがしゃべることは、
オレしかやって来ていない、これだ。

そう思って、このシーンを追加しました。


特にこのシーンですが、
他にもハチが絶命するまでの箇所は、
何か書いていても、自分が書いてないような、
不思議な感覚が、何度かありまして、


私の勝手な思い込みですが、
手塚治虫先生が、手伝ってくれたのかなあ

なんて思っておりますがw
ご覧いただいたみなさまは、
どうお感じになったでしょうか?



福田さんと、担当飼育員とのやりとりは、
猛獣殺処分や、殺処分せねばならなかった
飼育員のことなどを、昔から色々考えていて、
それの私なりの答えです。



ハチの物語を書いていて、
何度か、書きながら泣いてしまったことが、
情けないかなあるのですが、


本当に悲しいと泣けないのか、
それとも、悲しいまま終わらせないという、
決意したからなのか、
不思議と涙は流さなかったです。



いつもより長いあとがきになったので、
このあたりで、終わりにしようと思います。



次回、改めて上野動物園における
27頭の猛獣殺処分、
全部を時系列的に、
やっていきたいなと思っております。


今回は、悲しい場面も多く、
ご覧いただくのが、
つらい所もあったかと思いますが、
最後までご覧いただきまして、
本当にありがとうございました。


ハチの最期を書いて、
胸にぽっかりと穴が、
あいてしまった心境ですが、


もう一人の主人公、成岡さんや、
他の猛獣殺処分された猛獣のことも、
まだありますので、
引き続き、書いていこうと思っております。



毎度、長編にも関わらず、
最後までご覧いただきまして、
本当にありがとうございます。


では、第13回でお会いしましょう!



さようなら!お元気で!






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坂本猫馬
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