見出し画像

ボツっていいとも?


やあ!皆さん。
私の研究所へ、再びようこそ!

まさか、こうして、
皆様と、この研究所で、
再会出来るとは、
思ってもいませんでした。

今回は、うれしいご報告があります。

「マカっていいとも?」が、

おかげ様で、
230ビュー達成しました。

正直、内容が内容なだけにw
20人くらいの方が、
読んで下さればいいなと、
思っていたので、
大変感謝しています。

更に、嘘のような話ですが、
坂本猫馬の記事の中で、
なんと、
一番読まれてる記事なのですw

今回は、急遽ですが、
進めてた記事を変更しまして、
感謝の記事+α的な感じで、
お送りしたいと思います。


感謝すべきお二方




もちろん、
読んで頂いた、
全てのみなさまに、
感謝するのは、当然ですが、

特に、お名前を挙げて
感謝したい、
お二方がおられます。

まず、お一人目は、

唯一無二のクリエーター


「ミント様」

で、あります。
あの記事でも、
書いた通り、

たくさんの方に、
読んで頂けたのは、

99%。

ミント様の素晴らしい
見出し画像のお陰です。

改めて、御礼申し上げます。

今回の見出し画像は、
何も考える事なく、
ミント様の画像と、
最初から決めておりました。

お前のような、
マニア向けの記事に、
使ってくれるなと、
お叱りを受けそうですが(汗)

あなた様の
素晴らしい画像の
魅力には勝てず、

またこうして、
使わさせて頂きました。
どうか、お許し下さい。


そして、お二人目。

名前を挙げていい物なのか、
だいぶ悩みましたが、
この方、普段はコメントが
出来ない仕様らしくて、
御礼の言葉が、まだ言えてないので、

出過ぎた真似をと、
叱られるのを覚悟で、
御礼を言わさせて下さい。

自分の中で、勝手にですが、
石原プロの小林正彦専務
(#ご存知ない方へ
   ”剛腕専務”だと思って下さい。)
のような存在だと、思ってますw

この方に、
気に入ってもらえる
記事を書くと、
物凄く色々な方面へ宣伝(紹介)、
して頂けるんですよね。

宣伝して頂けると、
とたんにビュー数が、
伸びるんですよね。

「また、専務が宣伝してくれた!」

と、私はいつも喜び感謝します。

いつも宣伝して頂いてるので、
今回は、私から宣伝させて下さい。

色々なジャンルの記事を、
書かれてるので、
まだ読まれてない方は、
ぜひ、訪問されて下さい。

私にとっての、小林専務です。
ご紹介しましょう。

ゆうもあ倶楽部様

です。

本当に、いつも
ありがとうございます。
また気に入って
頂けるような、
記事が書けると、
いいなと思います。

素晴らしいお二方に、
改めて感謝したいと思います。
ありがとうございました。


前フリ


さて、長くなるので、
早速、次に進みましょう。

少し前の事ですが、
東京の方で、
何やら、

「R」

の事で、色々ありましたが。
日本人全体で、
本当の「R」を、
忘れてはいませんか?

という事で、
研究者のはしくれとして、
一石を投じたい
と、思いまして、


今からお見せする、
「とあるボツ原稿」
通しまして、思い出して
頂けたら幸いだと思います。

このボツ原稿というのは、
現実の私は、
最近、色々とお仕事を
している中で、

たまに、書くお仕事を
頂けそうだなっていた時に、
他の方に、
決まってしまって、
メモ帳の中で、
行き場を失ってしまった
ボツ原稿です。

駆け出しなので、
noteでよく書かれてるような
ああいう、一流どこじゃないので、
お題みたいのがあって、
10人募集とか、そういう初心者のです。

最初、よくわからなくてw
書いてから、作業するみたいな
ボタン押すかと思ってたので、

書きあがったら、満員になってた。
みたいな、初心者ミスでしたw

「赤坂について」
という題だったので、
私にとって、赤坂とは、
これしかないなと、
思って書きました。

短い文なので、
すぐ、読み終わると、
思います。


では、本編スタートです!


ボツっていいとも?第1回




「赤坂と伝説の
    プロレスラー 力道山」


昭和30年代、
熱狂的なプロレスブームを起こした
伝説の英雄レスラー

「力道山」


まずは、大使館も多い、
赤坂7丁目に、
現在も存在する
閑静な住宅街に、

「R」の文字が、存在感ありすぎの、

「赤坂リキマンション」

レスラーとしてではなく、
実業家としても大活躍していて、
時代を先取りし過ぎた彼の片鱗が、
このマンションにも、
見ることが出来る。

平穏無事に引退していたら、
相当な実業家として、
歴史に名を残したであろうと思う。

そして、なんといっても、
力道山の運命を決定づけた
刺傷事件の舞台となった

1962年3月27日に、
希代の映画スター
「市川雷蔵」
が、
結婚披露宴を挙げるなど、

有名なホテルニュージャパンの
地下にあった高級ナイトクラブ

「ニューラテンクォーター」

が、存在したのもこの赤坂であった。
運命の日となった、

1963年12月8日。
午後10時半頃に、
入店したと記録がある。

やや余談ではあるが、
入店する前に、
泥酔してお蔵入りとなったが、
TBSラジオ「朝丘雪路ショー」
の収録に臨んでいる。
こちらも赤坂なので、
力道山と赤坂の
縁の深い一面を伺わせる。

その後の力道山、
いや、
日本プロレス界の
運命を決定づけた
舞台となった赤坂。

プロレスファンなら一度は、
この地に訪れて、自らの足で、
伝説のレスラーの足跡を巡りたいと
誰しも思うであろう。





以上が、
このボツ原稿の全てです。
力道山や、
昭和プロレスについては、
若い頃に、
プロレス関係のサイトを
やっていた関係で、
色々と覚えてる事も多く、
比較的、すぐ書きあがりました。

そうです。
みなさんに
思い出して頂きたい

「R」は、

力道山のRです。

不動産屋さんのを、
勝手に載せると
お叱りを受けるかと
思って、

ご紹介できる物がないかと、
探しましたらありました。



「赤坂リキマンション(物件写真ネット様より)」



物件写真ネット様の方で、
お借りできましたので、
ご紹介できました。

こちらが、
「赤坂リキマンション」
です。

現在も、不動産屋さんの
サイトにあり、
住めるそうです。

また、
ご紹介できるボツが、
生まれましたら、
第2回が、あるかもしれませんw

最後までお読み頂き、
今回も、ありがとうございました。

今日は、このあたりで失礼します。
また、この研究室で、
お待ちしております。
さようなら!



あとがきに代えて



さて、今回は、
あとがきに代えまして、
一冊の本を、
皆様に紹介させて
頂きたいと思います。



こちらの本。

「力道山未亡人 」
 
 細田 昌志 (著)
  

小学館から、発売中です。


図書館で、借りたのですが、
面白い本です!

また、借りようと思ったら、
たくさん予約が入っていて、
細かく、書評出来なかったので、
覚えてる範囲で、軽くご紹介。


“戦後復興のシンボル”力道山が他界して60年。

妻・田中敬子は80歳を越えた今も亡き夫の想い出を語り歩く。

しかし、夫の死後、22歳にして5つの会社の社長に就任、
30億円もの負債を背負い、
4人の子の母親となった「その後の人生」については
ほとんど語られていない──。

引用元 Amazonの紹介文より一部抜粋


この紹介文だけでも、スゲェーなって、
みなさん、思いませんか?
結婚して半年で、力道山と永遠の別れを
迎える訳なんですけどね。

結婚したら、前妻(前々かな。確か)との間に、
前妻以外にも数人女性が、おられたのですが(汗)
3人の子供がいる事を、知らされて。
4人って書いてあるのは、
ご自分でその後、お産みになられる訳です。

スチュワーデスをやられていて、
なんと、同僚には、
作家の安部譲二氏が、
客室乗務員として、おられました。

敬子氏は、最後まで、
「暴力団員」であった事を、
知らなかったそうです。
育ちのいい山の手のおぼっちゃまかしら?
みたいな感じで。まあ、凄い世界。

確か、仮出所中だったとかで、
そういう身分を隠して
航空会社に勤めていたのですが、

力道山と敬子さんの結婚式に、
出席してたら、

当時の興行ってのは、
今では、ダメないわいる、
そっち系な、組関係の方と、
密接な関係だったのですが、

プロレス興行も、
当然、そういう方々の
お陰なわけですから、
出席なされてるわけで。

「昔の知り合いがいて、
 バレちゃうじゃねーか」
と、

安部譲二さんが、
語っている所なども、ありましたw

ついでにいいますと、
興行的な関係で、
かの有名な美空ひばりも、
同じ組関係ので、
お世話になった所から、

そういう縁かと思いますが、
力道山とも親交が深く。
本人主演の自伝映画みたいのに、
出演されるほどの仲です。

元々は、力道山が、
美空ひばりの大ファンだった
との事ですが、あつい友情で
結ばれた友人となりました。

敬子さんのお父様が、
神奈川県警の警視であり、
茅ヶ崎警察署長
でして、

全く相いれない組織の方々が、
反発しあうのは当然で、
力道山の葬儀における
お焼香の順番
だったと思いますが、

お父様としては、
当然、1番だろうと
思ってたらしいのですが、

親分関係の世界で、
向こうでも1番にしないと、
顔が立たないとかあって、
まあ、ここでも凄い。

(たぶんだけど)
任侠映画の、
鶴田浩二
みたいな人が、
上手く切り盛りして、
大親分が2人くらいいて、
一人の方は、引退されてるので、

お父様のメンツもありましょうが、
こちらの大親分は、
引退されてますので、
こちらを1番になさいまして、

お父様は、2番。
たぶんだけど、鶴田浩二みたい
と書いたのが、もう一人の大親分
だったと思うので、

私が、3番という事でどうでしょうか?
みたいな事をいって、
本当に、こういう所が実話だから
凄い世界なんですよねえ。

読んでいただけば、
わかるのですが、
この敬子夫人が、凄すぎて。

力道山がビジネスを広げ過ぎて
その借金を返すだけで、もう凄い世界。

豊登(とよのぼり)という方が、
おられたのですが。
まさに、力道山の後継者で。
文句なかったのですが。

敬子さんに、
社長を譲ってくれ
いう感じでお願いにきて、
他にも色々と事業があったりで、
日本プロレスを任せるのですが・・。

入って来るお金が、
入ってこない・・・。

豊登さん、
いい人で憎めないのですが。
いかんせん・・・。
ギャンブルに目がないんですよ。

会社のお金を横領してしまって、
競馬、競輪など、
ギャンブルに流用してしまって。
結局、追放されてしまいます。

ですが、この豊登さん。
晩年になって、
もう見る影もない程、
やせ衰えていて、
自分の最期が近いと感じたのか。

敬子夫人に、謝りに行くんですよね。
お許しをもらえて、
よかったね。豊さん。

覚えてる中で、
さわりだけ、書きました。
間違いが、あると思います。

この本は、プロレスを知らない方も、
楽しめると思います。
女性の方も、楽しめると思いますよ。

面白かったので、図書館で、
再度予約したのですが、
当分先で、買おうかしらと
思っています。

また、借りたり買った時にでも、
細かく、ご紹介したいと思いますが、
何か読む本ないかな?って
探してる方が、おられましたら
ぜひ、おすすめしたい一冊です。

初めて、書評の真似事を
してみたのですが、
みなさまに、
この本の魅力が、
伝わったでしょうか?

では、また次の記事で!!










力道山は、帰って来る!!!




力道山先生


えー、私がAI画伯と何度も相談しながら、
イメージとしては、私が子供の頃に、
梶原一騎先生やその弟さん原作で、
劇画プロレスまんがが、幾つかあったのですが、

劇画風でと、お願いしたら・・。
なんだか、私の大好きなゲーム、
「ファイヤープロレスリング」の、
ストーリーモードに出てくるような感じに・・。


本物の写真を使うと、
怒られてしまうだろうから、
私の記事内では、
力道山先生は、この方になりますw

「力道山未亡人」を、
夢中で読みながら、
力道山、
昭和プロレス熱が、
再燃しまして。

若い頃、
たくさん研究したので、
やってみようかなーと
少し火がついてます。


グンマーは、現在、
灼熱地獄でして、
毎日が、
「Dead or Alive」

ですので、
少し涼しくなってから
やろうかなと、
思いますが、

何やるか決めてませんが、
見たいよって人がいれば
早くやるかもです。


それでは、
今度こそ本当に、
さようなら!!!
また、次の記事で
お会いしましょう!!


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坂本猫馬
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