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欲望のキャパシティ 資料 ②
大正時代(1912〜1926)
⚠️調べたものを箇条書きにしたものです。まだ調べている途中なので、抜けが多いです。
女性のファッション
女袴
男性用を羽織る
戦国武将が由来。江戸のときに芸者が始めたことが始まり。
一時期、幕府から禁止されていたこともある。
洋服、背広は維持費がかかる。和装がまだ根強い。
女学生は、着物に袴、中からはシャツなどは着ない。
カバンでなく、風呂敷に包んで学校へいく。
袴には、徽章(きしょう)をつけて学生だと判断する。
革靴
見え隠れしてオシャレ(ハイカット風)
大正時代の女性の革靴は、西洋文化が日本に浸透していく中で、洋装とともに普及し始めました。特に大正時代は、女性のファッションが大きく変化し、和装から洋装への転換期でもありました。以下はその時代に見られた女性の革靴の特徴です。
1. **パンプス**
- シンプルなデザインのパンプスが一般的でした。踵の高さは低めで、装飾は控えめなものが多く、日常の洋装に合わせて履かれていました。
2. **メリージェーン(ストラップシューズ)**
- メリージェーンは、甲の部分にストラップが付いた靴で、歩きやすさとデザイン性を兼ね備えていました。特に大正時代の女性たちには、シンプルでエレガントなデザインが好まれ、日常的に使用されました。
3. **ショートブーツ**
- 踝(くるぶし)までの長さのショートブーツも流行しました。これらは、冬の寒さから足を守るだけでなく、ファッションアイテムとしても人気がありました。紐で締めるタイプや、ボタンで留めるタイプがありました。
4. **編み上げブーツ**
- 編み上げブーツは、靴の前面に紐が付いていて、それを締めて履くスタイルの靴です。こちらも歩きやすく、洋装や活動的なファッションに合わせてよく着用されました。
5. **エナメル靴**
- 光沢のあるエナメル素材の靴も、大正時代には見られました。こちらは、特におしゃれを楽しむ女性たちに好まれ、フォーマルな場面や外出用の靴として用いられました。
6. **お出かけ靴**
- 特別な日やお出かけ用の靴として、レースやリボンなどの装飾が施されたものも人気でした。これらの靴は、洋装のドレスやスカートと合わせて履かれることが多く、ファッションの一部として重要な役割を果たしていました。
7. **サンダル**
- 暖かい季節には、革製のサンダルも選ばれました。こちらは、足の部分が露出するデザインで、リゾートや家庭内での使用に適していました。
大正時代の女性たちは、洋装とともに革靴を取り入れ、そのデザインや履き心地にこだわりを持っていました。これらの革靴は、女性の社会進出や都市化が進む中で、機能性とファッション性の両方を兼ね備えたものとして広がっていきました。
アクセサリーは、江戸までの長い間、空白期間がある。
太平になった世の中の風潮として楽しむ人が増えてきた。
人々の心に余裕が出てきてオシャレを楽しむ。
かんざし、櫛などの髪飾りが発展し芸術品になっていく。
西洋風のアクセサリーは、明治に入ってから。
結婚指輪の交換が一般に浸透していったのが、明治の終わりから大正になってからのこと。
スカートの是非
膝下踝までのスカートが一般的で、女性が素足を見せる風潮があまり好まれていない時代。
学校の制服としてセーラー服が京都の女学校が大正9年(1920に上下一体のタイプを採用したことで、名門学校に浸透していく。
髪型
大正には髷も結わなくなる。これは明治政府による「散髪脱刀令」から端を発する。禁止ではない。好きな髪型にしてよい。というもの。江戸のときのように、髷のタイプて格差が生まれないようにしたものと言われている。
女性は翌年の明治5年(1872)の4月5日に、当時の東京府から「女子断髪禁止令」
これは女性は髪を短くしてはいけないとの意見から取り入られた。現在のヘアカットの日です。
しかし、のちの社会進出の傾向に伴い、明治18年(1885)に「婦人束髪会」が発足。古くからの日本髪から束髪に変わっていく。これを端に、マーガレット、三つ編みからのアレンジでおだんご(ラジオ巻き)や耳隠しなどポマードて固めた髪型が考案されていく。
大正時代の流行語
大正時代には、日本が西洋文化の影響を強く受けた時期であり、多くの流行語が生まれました。これらの言葉は、西洋の文化やライフスタイルが急速に広がったことを反映しています。以下に代表的な流行語をいくつか紹介します。
1. **ハイカラ(ハイカラー)**
- 「ハイカラ」は「High Collar(高い襟)」が語源で、西洋風のファッションやライフスタイルを好む人々を指す言葉でした。特に、洋装や洋食を楽しむ都会的でモダンな人々を表す言葉として使われました。
2. **モガ・モボ**
- 「モガ」は「モダンガール(Modern Girl)」の略で、洋装を着こなし、西洋文化を取り入れた新しい時代の女性を指しました。「モボ」は「モダンボーイ(Modern Boy)」で、同様に西洋風の生活を好む男性を意味します。
3. **ダンスホール**
- ダンスホールは、欧米で流行したダンスを楽しむための場所で、特に都市部の若者の間で人気がありました。ダンスホールでの社交ダンスが一種のブームとなり、「ダンス」という言葉も流行しました。
4. **カフェー**
- カフェーは、コーヒーや軽食を楽しむ喫茶店のことです。大正時代には、多くのカフェーが都市部に開業し、特に若者や芸術家たちの社交場となりました。この時期、カフェーで働く女性を「カフェー嬢」と呼びました。
5. **エログロ**
- 「エログロ」は「エロティシズム」と「グロテスク」を合わせた造語で、大正末期から昭和初期にかけて流行しました。文学や芸術の分野で、性的表現や奇妙で不気味なものを扱った作品に対して使われました。
6. **文明開化**
- 文明開化は、明治時代から使われていた言葉ですが、大正時代にも引き続き使われ、西洋文化や技術の導入による日本社会の変革を指しました。この言葉は、新しい文化や考え方を積極的に受け入れる風潮を象徴しています。
7. **ブルジョワ**
- 「ブルジョワ」は、フランス語の「bourgeoisie(ブルジョワジー)」から来ており、裕福な中産階級や資本家階級を指しました。大正時代の日本では、都市化が進む中で、新しい富裕層や社会的成功者を指す言葉として使われました。
これらの言葉は、大正時代の日本社会における西洋文化の浸透や都市化、モダンライフスタイルの象徴であり、その時代の雰囲気や価値観を反映しています。
女性の社会的地位
女性も政治に参加
西洋文化に憧れる
婦人解放運動、社会運動
大正デモクラシー 戦後
離婚権
普通選挙
労働運動
教育権
日本での大事件
第一世界大戦1914〜18
関東大震災 1923.9.1.11時58分
大正デモクラシー
婦人解放運動
女性が憧れた職業
事務員
電話交換手
看護師
教師
女学校、専門学校に通う
芸術家、作家
恋愛感
自由恋愛、結婚式
家事手伝い、親が決めた結婚
手紙、電話で連絡し合う
離婚再婚は困難、家事育児に翻弄
嗜好品と文化
カレー、コロッケ
浅草、凌雲閣
喫茶店、レストラン
映画、演劇、音楽ジャズ 華やかでモダン
遊園地、公園ピクニック
海水浴、スキー
浅草 凌雲閣の諸事情
浅草の凌雲閣(りょううんかく)は、関東大震災によって**全壊**しました。
凌雲閣は「浅草十二階」とも呼ばれる日本初の高層建築で、1890年に開業しましたが、1923年の関東大震災で甚大な被害を受けました。地震によって建物の上部が崩れ落ちたため、完全に崩壊したとされます。震災後、凌雲閣は再建されることなく、そのまま取り壊されました。 アニメ版の鬼滅の刃にも、この凌雲閣は綺麗に再現されています。アニメ制作に携わった方の細かいまでの設定に脱帽します。
明治、大正の浅草のシンボルだった凌雲閣
明治23年(1890)から大正12年(1923)の関東大震災で全壊するまでの33年間、浅草のシンボルでしたが、後期になると荒れていたようです。今でいう東横です。
それまでは、美人コンテスト(アイドル総選挙)などの催しなどのポスターが貼られたりして入場券やエレベーター使用の運賃1銭(100〜200円)による収入で運営されていたようです。
エレベーター(稼働期間6カ月)は構造上の不完全が発覚により、閉鎖してしまうことになる。日本初の電動式エレベーターが売り文句だっただけに痛い損失だったに違いない。
大正9年になると、凌雲閣の周辺一帯の風紀が乱れてしまい、近くにあった吉原からの娼婦(私娼窟)が(凌雲閣下)商売を始めたことに端を発して、凌雲閣周辺はいかがわしいとの噂がたち、客足も遠のいていったようです。そこにきて、関東大震災により8階から上が崩壊して見物していた客の12.3人は即死してしまい、それから23日後の9月23日に爆破解体されることになります。震災後は、浅草より先に復旧した銀座に繁華街が移ることになります。
女性の社会進出
法律や制度の面で権利や自由がそのうちに広がる
選挙権、離婚権、就職、教育、同等の機会や権利を得る
家族法、労働法の改正、女性の保護や福利厚生
医師、弁護士、政治家、経営者
旅行、スポーツ、芸術、学問
個性的で多様なライフスタイル
結婚出産、
ファッション、メイク
歌人、小説家、画家、女優
自分たちの人生を自分たちで切り拓いた
芥川龍之介、与謝野晶子、樋口一葉、平塚らいてうなど
図書館での出会い恋に発展する
図書館は出会いの場
100年後の未来予想
対面電話
音楽が普及
一般人の桜の撮影、写真は高度な技術が必要
大音量の蓄音機
料理屋に時間制限設ける
女性警察官、女性議員質疑応答
女性の社会進出一般化
上野公園が博物館化
図書館美術館、文化施設
海底水族館、義首の発明、整形
空中で葬式、乗り合い飛行船
自動で動く乗り物の一般化
自動式移動家屋
極端な自然破壊
労働成果の平等配分
美術省
文字が横書きの欧米風
※ほぼ、的中させているから驚かされる。
第一世界大戦
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)は、1914年から1918年にかけて主にヨーロッパを舞台に戦われた大規模な国際紛争です。多くの国が参戦し、約1,500万人が死亡するなど、当時の世界に大きな影響を与えました。
第一次世界大戦において、日本から派遣された人々の多くは軍人でしたが、民間人も含まれていました。
1. **軍人**
- 日本は第一次世界大戦において、連合国側として参戦し、主にドイツのアジア太平洋地域の植民地や拠点を攻撃しました。これにより、多くの日本兵が出征しました。特に、1914年に行われた青島(中国のドイツ領)攻略戦では、日本陸軍と海軍が関与しました。
2. **民間人**
- 一方で、戦争に関連して海外に渡った民間人もいました。彼らの多くは、以下のような目的で派遣されました:
- **外交官・通訳**: 日本政府はヨーロッパに外交官や通訳を派遣し、戦時下の外交活動や情報収集を行いました。
- **医療関係者**: 赤十字の看護師や医師が戦地に派遣され、連合国軍の負傷者の治療にあたりました。また、日本赤十字社はヨーロッパに医療団を派遣して、戦争の犠牲者の救援活動を行いました。
- **商人・技術者**: 戦争による経済の変動に対応し、物資の供給やビジネスチャンスを求めて海外に渡った商人や技術者もいました。特に、ヨーロッパとの貿易に関わる商人が多かったです。
したがって、第一次世界大戦において日本から派遣されたのは、主に軍人でしたが、戦争に関与する形で海外に派遣された民間人も存在しました。彼らは、外交、医療、ビジネスなどさまざまな役割を果たし、戦時中の日本の国際的な活動に貢献しました。
大正時代の主な歴史
大正時代(たいしょうじだい)は、日本の歴史における1912年(大正元年)から1926年(大正15年)までの約15年間を指します。この時代は、日本の第123代天皇である大正天皇(よしひと)の治世にあたります。
主な特徴と出来事
1. **大正デモクラシー**:
- 大正時代は「大正デモクラシー」と呼ばれる、民主主義や自由主義が強調された時期でした。政治においては、政党政治が進展し、普通選挙や議会政治の強化が図られました。1925年には普通選挙法が成立し、25歳以上の全ての男子に選挙権が与えられました。
2. **社会と文化の変化**:
- 西洋文化の影響が強まり、都市部ではモダンなライフスタイルが広がりました。ファッションや芸術、文学、音楽においても、洋風のスタイルが取り入れられました。また、雑誌や新聞、映画が普及し、都市の中産階級を中心に大衆文化が発展しました。
3. **第一次世界大戦と日本**:
- 大正時代は第一次世界大戦(1914-1918)の時期と重なり、日本は連合国側として参戦しました。戦争を通じて、日本は経済的に成長し、アジア・太平洋地域における影響力を強化しました。
4. **関東大震災**:
- 1923年9月1日、関東地方を襲った関東大震災は、東京や横浜を中心に甚大な被害をもたらしました。震災後には都市の再建が進められ、近代的な都市計画が取り入れられました。
5. **政党政治の進展**:
- 大正時代の政治は政党が主導し、内閣が政党によって形成されることが一般化しました。しかし、政党政治は内部の腐敗や経済的な混乱を引き起こし、後に軍部が台頭する基盤となりました。
6. **文化の隆盛**:
- 文学では芥川龍之介や谷崎潤一郎などの作家が活躍し、モダニズム文学が盛んになりました。また、西洋音楽が広く受け入れられ、クラシック音楽やジャズが人気を博しました。
7. **女性の社会進出**:
- 女性の社会進出も進み、教育を受ける女性が増え、働く女性も増加しました。また、婦人運動が活発になり、女性の権利向上が叫ばれるようになりました。
大正時代の終焉
1926年に大正天皇が崩御し、昭和天皇(裕仁)が即位したことで、大正時代は終わり、昭和時代が始まりました。大正時代は比較的短い期間でしたが、日本の近代化が進み、社会や文化においても多くの変化が起こった時期として、今なお重要視されています。