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中年じじぃの(愉快な)主張vol.9

オタクについて (ニュータイプと部長になった弟について)

2024/10/2

私は残念ながら、何オタクでもない。
根気と集中力がないからだ。根気と集中力がない、つまり飽きっぽい私は、何にでも浅く広く手を出す、絵に描いたような軽薄な多趣味人間になってしまった。絵だとしても無価値だ。

その反対に、私の弟は幼少期からオタクだった。〝オタク〟という言葉が生まれる前からオタクだった。
関心をもったどんなことにものめり込み、のめり込むと周囲のことは全く目に入らず、寝食を忘れて集中した。

やがて幼少期を終えて10代に入った彼(と私)を待っていたのは、『機動戦士ガンダム』だった。

私は、クラスの友達と同じく〝ニュータイプ〟を自称し、『〇〇(私)行きます!』とか『見える!』とか『父さんにも殴られたことないのに!(あるが)』とかやっていた。

しかし、我が弟は違った。TVアニメにのめり込んでいたのは私と同じだが、ガンダムのプラモデルが発売されると、組み立てるのはもちろん、見たこともないような道具と、聞いたこともないような技法で、まるでジオン軍とガンダムが戦っている世界を、極狭の兄弟部屋に再現したのだ。

しかし私は、いつも頭が痛かった。比喩でなく、本当に痛かった。なぜなら、彼が作るプラモデルと、何らかの塗料のせいで、頭がガンダム、いやガンガンしたのだ(たぶん塗料のニオイだ)。

ついに私は耐えきれなくなり、ある日、彼にこう言った。「おい!いつもいつもお前のせいで頭が痛くて耐えられない!こんなに毎日、臭い部屋にいたら、頭が悪くなるぞ!」

やがて長じた私たちだが、彼は某有名一部上場企業の部長となり、私は絵に描いても無価値な、ただの中年会社員となった。
彼が〝ニュータイプ〟だったのだ。

それにしても世の中にオタクと言う人々が出現してからというもの、その文化というかカルチャーというか、世界の変わりようは凄まじい。

秋葉原は電気街から世界のオタク文化の中心地になったし、それに伴って日本中のいろんな街がオタク街になった。

私の若い頃のオタクといえば、銀ぶちメガネの小太りの、服装はダサさの極北で、どちらかといえばマイノリティだった。(弟よゴメン!)

しかし今や、お亡くなりになった元首相もマリオになってたし、新首相もなかなかのオタクだという。

TVゲームと同じく、オタク文化がここまでワールドワイドに市民権を得るとは、私は全く予想していなかった。
私は結局、〝オールドタイプ〟だったのだ。


ところで、〝オタク〟と〝ヲタク〟って何か明確な違いってあるんですかね?
最近よく、〝ヲタク〟という言葉を目にする。

ふと思うのは、〝オ〟と〝ヲ〟は、(〝ん〟を除くと)どちらも五十音図の左右の下隅ですよね。
なんだか、両者が言葉の世界を支えてるようで興味深いなぁ。

 

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