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「私は運が良い」という人が近くに多いこと。周りの評価を気にしないコツとは?

精神保健福祉士の和賀です。

「私は運が良い」とわりと小さい時から思っていました。「やった!ラッキー!」と言ったり思ったりすることが多い。大きなことではなく、日常に起こるちょっとしたこと。誰かにそう言った方が良いよと言われたということではなく、自然にそう思っていました。

ところが「私は運が良い」と言い切る人がそう多くもないことを年齢を重ねると知ることになります。
環境によっては全くそう思えないことも確かにある。それでも感じ方は、個人の自由であり、過酷な環境や周りの評価は関係のないことだったりもします。

例えば、「一人っ子はかわいそう」と私は小さい時によく言われました。いつも不思議だったのですが、なぜかわいそうなのかがわからない。むしろ私は「友達みたいにお菓子を兄弟で分け合う喧嘩になるなら、好きなお菓子を分けなくて良いからラッキー」と思っていたのです。かわいそう、という文脈が人は好きなのだなとも思います。

何かある度に、ラッキーと思ってきたことを口に出すことは、時に反感を買うことを段々と理解しました。そこは謙遜するところ、と言われたりもしました。
サラリーマンを卒業して5年、福祉職以外の他業種の人たち、起業家や経営者の人たちと出会う機会が急激に増えました。サラリーマン時代は医療や福祉の専門職が、出会いの中心だったので大きな変化です。
雰囲気や言葉、思考なども含めてサラリーマン時代とは出会う人たちが良くいうセリフ。それは、「自分は運が良い」です。

びっくりするくらい、年齢や性別に限らず自然に言うのです。そして、その言葉を言い切る人は、基本ネガティブなことは言わない。おそらく意識してネガティブな言葉を使わないようにしているんだろうとも思います。
シンプルに自己暗示的でもあり、そして自己暗示を意識するからこそそのイメージに近づくこと、そして言動が身体に染み込むこと。

初めましての人が多い日に、その方がそれぞれのシチュエーションで「私は運がいいんだよね」と言っていました。
にっこりと笑顔でサラッと、そして強く言い切るのです。
この景色はなんだろうか?と驚きました。

私は、運が良い、ということと同時に感謝というワードも浮かび上がります。これは私の解釈ですが、「運が良いんです」という言葉には一人で成し遂げられることではなく、必ず人が介在している。だからこそ人への感謝が生まれる。そんなイメージです。

世の中や人は、立場、年収や年商がいくらかとか、有名人なのかなど目に見えるものに価値を置きがちです。
運って、目に見えるものでもなく、数字でもない。あるのはその人の主観です。目に見えないことだけど、あるものとしてみること。
そして、まずはその主観を大事にしていること。
主観バンザイと思いました。

そうは言っても、周りの目を気にしないってなかなか出来ないと思います。それは、人は人との関係性で生きているから。
気にせずに、と言っても気になるのが人間。
それでも、主観は自分のもので自分の感覚。
これは人の目を気にせずに感じるもので自由であること。

「私は運が良い」はあくまでも一例ですが、その言葉に価値を置いて主観を大切にして言い切ってしまうこと。
人の評価をいつも第一選択肢にしないことはとても大切だと思います。


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