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悩む選択 v2-6:自分の「好き」を仕事に?「得意」を仕事に?

ボクともぐらさん、「やさしいひとになり、そう有り続け、やさしいリーダーになり、組織をやさしさで強くする」、という夢を共通に持ち、「ぼくモグラキツネ馬」という絵本、やさしさの価値を素敵に謳っている、が大好きな2人。職場での悩みを整理し、どうあるとやさしいリーダーに近づけるかを整理中。

で、しばらくは職場や人生での悩ましい「どっちを選択?問題」についての徒然草。

今日の悩み:

A.自分の「好き」を仕事にすべき。「好き」こそものの上手なれ、だ。

B.「好き」なことを仕事にするのは良くない。上手く行かなかったら、「好き」も嫌いになりえる。「得意」を仕事にすべきだ。

ボクはずっと自分はA.だと思っていた。まさに、「好き」だから努力(そもそもが努力とすら思わないかも)するし、継続しえる。知恵や知識やチカラが蓄積。「得意」だったら「好き」になりがちだけど、決して同じではない。何と比較して「得意」なのか、が大問題。他人との比較で心から自分は「得意」だ、なんて思えることが人生ではなかなか限定的ではないだろうか。自分自身がそうだった(自分がそうだから世の中そうなんてことはもちろんありませんが)。。。

例えば、英語がこの学校内では点数良いけど、帰国子女と比べたら全然ダメ、とか、サッカーをずっとやって来て上手いと言われ続けたけど、Jリーガーになれるレベルではなかった、とか。自分の中では「得意」だけど、世の中と比較したら、残念です。。。みたいな。だから自分の中では「得意」かもしれないが、仕事として勝負できるほどではない。。。

もちろん、自分の「得意」分野を他者と比較しても一流の兆しがあって、だから「好き」じゃないけど、その「得意」への努力を続けて、結果、一流になる、というケースはありえる。けど、こんな「好き」じゃないけど「得意」なだけで継続して一流になる、はあまり無さそう。

「好き」って、自分から「好き」になって行こうと思って「好き」になることもできるが、概して、生きてきて、小さい頃に気づいたらなぜか「好き」になっていて、自分でも理由がわからなかったり、様々なきっかけ、経験で「好き」になるのだけど、計画的・意図的ではなかったり、偶然の積み重ねで「好き」になっていくが普通かと思う。

ボクの場合、人生気づいたときには「好き」があって、それが就職に影響した。理由不明ながら、小学生の時に気づいたらアメリカが「好き」だった。最初は映画。次に音楽聞いて。中学・高校ぐらいになると米国史の本やスタインベックやヘミングウェイ読んだり、アメリカの学者や記者の本読んだり。英語の勉強が「好き」で留学したり。英語話す自分が日本語話す自分と違うキャラになれ、それが不思議ながら心地良かったり。

だから、英語に接しられ、海外の人と接しられる仕事がイイと思い、卒業後はそんな機会がありそうな会社に就職した。「好き」を仕事にした。正直「得意」ではなかった。。。上には上はいるし、と思っていたし。

ボクのようないわゆる「総合職」的なサラリーマンと違って、専門職と言われる方々も多々いらっしゃいます。美容師さんとか、公認会計士とか、社労士とか、教育の先生とか、お医者さんとか、理学療法士・作業療法士さんとか、運動トレーナーとか介護士さんとか、調理師さんやパティシエさん。なんらかの運転手さん・飛行機のパイロットさん、設計や職人さん。

その方々はもっと特化した「業務」が「仕事」になっているように想像しますが、いずれにせよ、飛行機が「好き」だからパイロットになりたい、とか、困ったひとを助けたい(「好き」)から医者になる、とか、あの先輩についていきたい(「好き」)からお笑い芸人になる、とか。「好き」が原点で、それらを学べる専門の教育機関で学んだり、就職したりなのかなぁー、なんて思います。

もちろん、本当に本当に心から「好き」で、そうなりたい、と思ったわけではない、かもしれない。いろんな進路を悩む中での選択。絶対的ではなく相対的だったかもしれないし、”しょうがなく”かもしれない。でも、選択肢の中でも、それが「好き」な方だった、という意味も含めて、「好き」ではあったから選んだのかなと。

だから、程度はあるけど「好き」で仕事は選ばれるものであり、そうあるべきであり、それ以外の選択は、イレギュラーが無い限り、あまり無い、と思っていた。で、「好き」を続けていたら、一定のレベルの「得意」にはなる。ただ、誰にも負けない「得意」になるかは不明だけど。

でも、社会人になってしばらく仕事をしていると、2つの気づきがあった。パラダイムシフト的な。ま、そんな大それたことじゃないかもですが、自分的には大きな気付き。で、結果として「得意」の価値がとても増したのです。

①:他者との比較はあまり意味が無い。今、自分の中で「得意」だと思えるものがあれば、仮にもし他者比較では下にランクされるかもしれないけど、自分が「得意」と思うなら、それは「得意」でいい。他人と比較する人生は幸せを運ばない。

②:「好き」は自分視点。他者は関係しない。「得意」は他者が関係しえる。他者への貢献視点が可能。「好き」は他者に役立てるかわからないけど、「得意」は役立てる可能性を持つ

仕事って、人生って、他人に周囲に社会に大切なひとに、役立てるか、が目的のように思うのです。社会人になってこれに気づいたのです。だから、自分が周りに役立て、周りを幸せにできる、自分の中で選べる、精一杯の、一番の「得意」を有効活用するのもベターアイデアだ、と思い直したのです。

上述のようにボクは普通のサラリーマン。英語が「好き」で選んで就職。だけど、当然だけど、仕事は別に英語とは関係ないことたくさん。英語で話したり、英文書類もつくるけど、総じて、”仕事”とはそういうことではない。”業務”としてそうなだけ。英語を使うこと・海外の方と接することなどは部分的な部分的な部分。

もっと広い概念でいうところの”仕事”とはそういうことではない。「好き」が「仕事」ってかなり絞られた、限定的な業務が仕事の場合にはありえそうだけど、普通のサラリーマンでは難しいように思えた、のだった。

社会人、大人なるものは、いかに他者に貢献できるか、が最も重要な価値、だとボクは思った(気づいた)。自分の「好き」なことを追求して「得意」になっての社会貢献ももちろん良い。だけど、今、これが「得意」!があるなら、それで大切なひとや周囲のひとを幸せできる可能性が相対的に高いなら、それに特化しつつ継続努力していく、ということも大いなる価値だ。

もちろん、自分の中で「得意」だと思っているだけで(周囲からそう評価されているだけで)、その「得意」がもっと「得意」な人は世の中にたくさんたくさんいる。当然だ。

でも、でも、それでもいいのだ。自分のチカラの中ではその「得意」が一番、最も、貢献できる可能性が高いのだから。「好き」を「得意」に昇華するのに、時間がかかる、その気がない、のであれば、「得意」の方で「仕事・業務=社会や周囲、大切なひとへの貢献」につなげていこう。

ボクの中では、つまり、若い時はAだけと思っていたが、今はBでもOKとなった。他人と比較しない自分の中の「得意」って素敵なことだ、と思えるようになった、ということ。

あれ、もしかしたら単に、若さ・年齢の問題??? 年取ってきたから得意がわかって、そう思うようになっただけかしら。20、30代なら「好き」を仕事にして、「得意」へと高めていく。40代を越えたら「得意」でがんばろう、ってことか。でも、脱サラしたなら40代を越えても「好き」を高めるのも良い、かな。あれ。何でもイイのかな。自分次第ってことか。

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