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人間に、人間同士の「顔」の識別力が無かったら、楽しいかなぁ・・・

大人数の前で話す機会があると、その前に1人で練習する。
1人だと恥ずかしくない。録音して聞き直す。
若かりし頃、よくやったもの。

えー、あー、えっと、は言わないよう。
低く説得力ある声。
間をつくるのはどこがいいかな。
などなど。

録音は良い勉強。誰も周りにいないから間違いを気にせず録音。聞き直して。またしゃべって録音。


さて、今日、動画を撮った。スマホの画面に向かってしゃべる。

なんと難しいことか。撮影中、自分の顔が画面に写っているから。顔が気になる。異常に。

いやぁ、この顔というもの、なんと邪魔なのか。思考の、お喋りの邪魔。しゃべることへの集中から自分の顔に集中が奪われる。

そして、録画したのを見返さねばならない。より良くするために。聞き返す、ではなく、見返す。でも、見たくない。声だけ聞こうとするも、顔を見てしまう。いや、顔って邪魔だなぁ。恥ずかしい。声だけの録音を聞き直すのとは違う恥ずかしさ。そして気になる点が倍増!


昔、気になる女性と初デートした際に、「私、男性の顔を気にしないの。イケメンが好きとかないの。イケメンでもいいのよ。でも、顔は、自分でも理由はわからないけど、ぜんぜん重要じゃないの」と、言われた。それはラッキーと思うと共に、何でもイイというのも悲しい。嘘でも好きな顔と言われたいもの。「え、それって、つまり、のっぺらぼーでも、へのへのもへじでも何でもいいの?」って、嫌われる質問したら、ツマラナイ質問ね、と嫌われた。でも、やっぱり顔を気にしているんだな、と思った。。。


人間は視覚優位。目で生きている。人間同士の顔認識/識別は高度に進化。ちなみに壁の汚れにも、空の雲にも、岸壁にも、リビングの雑貨の配置にも、人間の顔みたいな像を勝手に目と脳が見つける。「壁の汚れが笑顔に見えない?」みたいな。

顔が大切だから。年齢、性別、強さ、受容性などを顔を見て判断するから。これらが遺伝子を残すのに大切な条件。性別を間違えて、笑顔と怒りを間違えたら大変だもの。目と脳と共に顔も進化。相乗的でしょうね(勉強したことないので勝手な想像)。


あ、でも、人間に顔の違いがわかる識別力がなかったら、人生が楽かも! 注目されないし、悪さしてもバレない? 顔の違いがわからないから悪さもできないか。。。

自分という個体が、個性が、誰からもわかるということが、人生の価値でもあり、一方で、息苦しさでもあるかな。仮面パーティは楽しそうで、緊張がなくなりそうで、好き勝手できそうで、同時に、確実につまらなそう(したことないけど)。

なるべく顔を見ない生活か、自分の顔をどうにか好きなるか、韓国に行くしかないのかな。


という、中身のない話でした。

noteを毎日書く、という自分との約束を守るために、何も思いつかない今宵に、中身がないことで切り抜ける魂胆。これは自分との約束を守っているのか。誰かの時間を無駄にさせている独り善がり。自分でも反省しながら書いているから、顔を見たくないのと同じく、これも読み返さないこと確実。読み返しても、無責任はダメ、という当たり前で、且つ、再確認もしたくない、そんな気づきをするだけ、だから。ひどい話。


お読み頂き、すいません、本当にありがとうございます。
(v10_98)


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