欧州では「定量評価」以外は法律違反!? 「目標設定・評価」って不毛?
1.欧州は「定量評価」だけなのですって
ドイツから一時帰国のお友達とお話。
欧州の各国の法律では、組織が社員を評価する際、売上とか販売数とか誰が評価しても差が出ない、評価する側も、される側も納得し得る、「定量評価」でしか評価してはいけない、らしい。だから、定性評価は基本ダメなのだが、定性評価する場合は組合との事前合意が必要、らしい。
だから、1.定量評価するか、2.事前に組合と合意して定性評価するか、3.まったく評価しないか、らしい。
そしてこの3.「評価しない」場合も普通にある、らしい。評価されずに会社生活を過ごす。。。相互に悪くないような。。。
2.どうして部下は「評価」されるのだろう
なお、細かくこの話を議論した訳ではないので詳細は分らない。定量がどの程度なのか、各国と言ってもどこの国なのか、業界によるのか、組合が複数ある場合はどうするのか、組合との合意は簡単にできるものなのか、罰則はどのような内容なのか、などなど。。。
この話を聞いていて、ふと思う。。。そもそもなんで会社では部下は評価されるのだろう。評価されないといけないのだろう。
3.会社が要求する「目標」を”自ら”設定する(させられる)から
「目標設定」とその「評価」、2つはセット。で、数値的な目標とその評価と、プロセス目標・評価とか呼ばれる定性的な類いの2種。
数値的な目標は、最終的には、会社全体の目標が分解されて各部署や各個人へ割り当てられる様相になる。下から積上げる場合もあるようで実はない。会社や部署からの強制感をカモフラージュして、個人から立案させる傾向。最終的には「折り合い」がつく。そんな感じ。
全体主義がノルマ(=ロシア語)を押し付けることと同義なのに、「目標設定」をあたかも正当的で、民主的で、個人を大切に感で、「自発的」を装っている。
現実は多くが”自ら”設定している、とは言えない。。。
4.こんな「目標」を”自ら”設定するのは不毛
そもそも、こんな目標をあたかも社員に自発的に作らせたかのようにして課さないとダメ? そうしないと社員は動かない? この過程を経ると各個人のモチベーションはあがる?
そんなことないですよね。
会社の一員なんだから、そのビジョンに共感してそこにいるのだから、ビジョンに共感なんてしていないとしても、それならそれで妥協だろうけど、それでもそこにいるのだから、そんな面倒なプロセスを経由しなくても、誰かが決めた「会社が目指そうとすること」を割り当てられた目標を分けられてもがんばりますよね。給料を貰う”プロ”なんだもの。もちろん、上手くいくときも、失敗するときも結果は様々だけど、がんばります。
だから、あなたにはこれをお願いします、って、言ってくれたらいいじゃない。そう思います。数値目標も、思考・行動指針も両方とも。
それに、異常にストレッチした無理な目標を個人に課すことは普通ありえません。そんな意味は、リーダーにも会社にもないのだから。真っ当なリーダーなら無謀な目標を課すことはない(はず)。
リーダー(会社)は、投資家に、予算・目標、今年度はこれをがんばります!と公表するのだから、それが無謀だったら疑心になるし、自分の首を絞める。だから、それを個人に無謀に下ろせない(はず)。。。
とは言っても、世の中は素敵なリーダーだけではないですからね。なんでもありではあります。。。とほほ。
5.でも、こんな「目標」設定ならあり!?
でも、一方で、支離滅裂?だけど、社員個々人が目標設定するのは、とても良いこと、だと思うのです。
会社の数値目標や行動指針が降りてきて、それを自発的に設定したかのようにする煙に巻く目標設定、ではなく、自由に、この会社にいる間を有効活用して、この1年間にがんばりたいこと、毎日がんばること、を設定する。
会社にとやかく言われることではなくて、自分が心からやりたいこと。
だから、会社やリーダーは何も言わない。信頼できる上司や先輩がいるなら、メンター的に相談に乗って貰うはもちろん自由。自分の夢やビジョンに寄与するだろうことで、この会社生活でできること。
もちろん1人でこっそり目標設定してがんばるのもいいのだけど、誰かに見られる、共有する、相互に約束ということも大切かなと思うのです。人間弱いのでなまけちゃうもの。それに会社も一定程度の支援をする。
会社が上から課すだけなんて一方通行で独り善がりで格好悪い。
そんな目標を期初に設定し、仲間と(部署で)共有し、年度終りに、どうだった?と相互に見直し。そして、来年度に向け、また設定。せっかく、長い時間を、そこで、仲間と、過ごす、のですから。
読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_48)