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リーダーなんて非合理で非ロジカル。間違う選択ばかり。どうしよう。(素敵なリーダーになりたい編_v4-53)

以前にも何度かnoteネタにした、昔、学生時代に経済学を学んでいた時に思った不思議。つまり、経済学が前提とする、人間はみな等しく合理的、”正しい”選択をする、って不思議。

本当に不思議だ。人間はそんな訳、全くない。合理的の逆だ。サンタだって寒がり屋だ(ふと本屋で目にした絵本を拝借。ま、これは別に合理、非合理じゃないか・・・)。

当時の経済学いわく、人間は合理的に動く、個人差無く、例えば、100円の価値はみな同じ、乞食も億万長者も100円は100円、それに、1億円儲かるも、1億円損するも同じ、なんて前提。違和感ですよね。

もちろん学生に基礎を教えるならわかりやすくする「前提」は必要だし、複雑にしたところで、世界中にロジカルな人はほとんどいないので、どのスイッチを押してもどうなるか本当は全く分らないから、現実を受け入れたら”理論”が作れない。だから、それでは学問にならないのでしょう。”理論”無ければ学問にならず。だから、しょうがないのですね。「経済行動学」でノーベル賞が与えられるのも、その証左かなと。ダメダメ経済学をより良くしたね、って評価。

先日、海外赴任する先輩と、日本企業の海外M&Aの8割は失敗と定義されるね、って会話。ま、いつ時点で、投資額がどう減損したら失敗とするのか、って定義次第だけど、ま、詳細は横において置き、ざっくり、まぁ、海外の会社を買うなんて、とてもとても難しいということです。

でも、時間を買う、売上を増やす、もしかしたら化けることを夢見て、自分の判断は他の人とは違って正しいんだ、と勘違いして、経営者は海外買収が比較的好きですね。投資する金があるんだから、いいじゃない。ま、「ドブに捨てる結果かもだけど、今は金があるんだからマインド」ですね。上述の経済学が前提とする人間像とは違いますね。合理的ではないですから。

同じくベンチャー企業なんてほとんど失敗です。5年生き残れるのは10-15%、20年になると1%を切ります。20年もたってベンチャーって呼ばれるってなんだ?って思うけど。とは言いながら、今、ボクも後輩が創業したベンチャーと言われる会社に縁あって所属しております。ま、バラ色なことは全くもってないですね。いつ消えるのか。

でも、なぜか投資する会社がある。VCなんて業界も。エンジェル投資家なる人々も。お金が余っているから、別に良いとも言えますね。上述の基本的な経済学の人間像と違って、100億円の現金を持っているひとの1億円と、給料800万円のひとの1億円の“価値”は、ぜんぜん、ぜんぜん、違いますね。限界効用逓減。

なので、そもそも立ち上げる方も、出資する方も、そして、勤める方もロジカルではありません。しかし、自分は他人とは違う。自分はできる。他のひとよりもうまくできる!なんて楽観的マインドで突き進みます。このマインドが比較的強い人たちの集まりです。しかし、ほとんどが、世界や自国の経済変化や競合・代替サービスの良し悪し、顧客の経済状況に簡単に左右されます。行動するには良いマインドですが、だからと言って自分だけが外部環境に関係なく優れていて、結果を常にだせる、なんてことはありません。自信過剰、起業家妄想と言われる心理ですね。これまた経済学が前提とする人間像とは違いますね。合理的ではないですから。

ベンチャーやスタートアップと称されない類でも、自分で会社を作るなんてことも、もちろん推薦されません。その人が持つ今の能力・知識・行動力・コンピテンシーをサラリーマンとして活用した方がとても高い給料がもらえます。ちまたには上場して大金持ちになった創業者の話が腐るほどあります、目がくらみます。優秀だからというより幸運だったと認識すべきなのに、自分もできる、と勘違い。知っている情報が全てと勘違いし、未知の山ほどある失敗例は、未知ゆえに検討できません。

400万社ほどの日本で存続する会社の7割は赤字(赤字に意図的にしている会社もありましょうが)。とにかくほとんど上手く行っていない。それに、誰も知らずに消滅していったところもその倍以上はあるのでしょう。サラリーマンになったとはいえその所属会社が存続するかはもちろんわかりませんが、転職すればよいとも言えますね。自分で会社を興すより給料が良い。これは統計的な事実でしょう。なので、会社を興すひとも、上述の経済学が前提とする人間像とは違いますね。合理的ではないですから。

でも、そういうボクも全く不合理な選択を繰り返しています。大学卒業後はいわゆる上場大企業に入るという賢く合理的な選択をした。学生時代には情報が特に無く、何も考えずに線路の上を歩いていたから。が、その後は、いろんな会社の情報や経営者や創業者の本などを読んだり、聞いたり、勘違いのソースになる情報が積まれる。でも、未知は未知のまま。特定の知識だけ増える。で、外資系や、さらには日本市場に来たばかりの外資に転職したり、会社おこしたり、ベンチャーに行ったり、またまた会社おこしたり。外資は簡単に日本から撤退します、自分でおこしても失敗がほとんど。ベンチャーも失敗がほとんど。。。

どうして、本を読んでは、ふむふむ、その通りだ、と思い、統計的な外部情報(自分の心ではなくて)に触れると、ボクの選択と真逆の方が相対的に成功(金銭的な意味で)できるはずだ、の思えるのに、実際にはそういう道を行かないのか。

野球しか知らないから、テニスもゴルフもスケートもバスケもマラソンも、あれもこれも楽しいかもしれないのに、野球が最高のスポーツだと思って、9人×2チームを集め、場所を探し、予約するなんて苦労をしては野球だけをプレーする、みたいな。テニス、ゴルフ、バスケ、マラソンなんてもっともっと容易に楽しめるのに。。。

やっぱり人間なんてどう考えても経済学の言う合理的な存在ではありません。合理的であることの価値は、太古の昔のホモサピエンスには不要だったのでしょう。地球を、自然を、風を、雨を、雷を、太陽を、季節を、自分たちを餌食にする肉食動物や、毒キノコなどの情報を十分に集められる訳も無い。だから、分析し、ロジカルに判断することなんてできない。だから、直感的に頼るしかなく、それが発達し、進化したのでしょう。

よくわからんけど逃げろ、これは食べられる/食べられない、などを直感的で繰り返してきた(失敗もかさねて経験してきた。考えたわけではなく経験)、その結果が今の人間なのでしょう。なぜか直感・短絡的思考に脳みそが占有される。科学や学者などが出てきたいのはここ数千年なのでしょうから、人類500、600万年の歴史ではごくわずかな年数。だから、ボクは合理的・ロジカルにはなれない。趣向・嗜好・選好に左右されます。

ですので、もはやボクは、ボクが合理的になることを「諦め」です。

でも、どうしたら、ロジカルになり、より正しい選択をして、年金が期待できない不安なこの先で、AIにどう考えても仕事を奪われる不安なこの先で、完全に干される迄の間により稼げるのか、って、心配になる、のも事実。

自分は正しい選択ができないと「諦め」ているくせに、それが将来不安を引き出している原因とわかっているのに、将来が心配になる。支離滅裂。

心理学では、同じ思考・行動を繰り返しながら、同じ結果に悩む・悔やむのは「キチガイ」と定義されるという話を聞きました。まさにこれですね。あれ、非ロジカルはつまりキチガイなのか。人間はほぼキチガイか。ボクは少なくともキチガイか。

さて、会社のリーダー。どうしよう。非ロジカルでは困ります、って思うけど、残念ながらリーダーだって人間なので、非ロジカルです。部下も、仲間も、みんな非ロジカル。でも、取引先もお客様も非ロジカル。偏差値高いひとは、自分は違うよ、って思っていても”気づけない”だけで、そんなもの。人間だから。

ならば、それを自覚して、正しいやり方なんて難しい。だから、現場の都度都度の、対峙する課題・お客様の要望などを捉えて、真実の瞬間に臨機応変にこれと思うことをがんばるしかない。リーダーの仕事は、基本方針は出すけど、現場を信じる、これに尽きる。非ロジカルな自分と、現場を仲間を部下を信じる、ってこと。失敗しながら、信じ続けて、歩むしかない。

非ロジカルだから、人間的だから、キチガイだからと言って、リーダーが掲げ、皆で追い求めているビジョンは実現できない、って訳ではない。別問題。だって、それで、500万年だか600万年だか人間社会はやって来たのですから。ただ、現場の仲間を信じないなら、ビジョンはいつ迄経っても遠い存在、と思う。この点は「諦め」ないで、気を付けて歩んで行きたい。

「素敵なリーダー」:「キチガイ」ながら、「非ロジカル」ながら、人間的に、夢・ビジョンを追い求め、仲間と信じ合い・助け合い、皆で歩んでいく。ダメになったらごめんなさい。ボクはどうにか生きて行きます。皆もどうにか生きて行ってね。でも、同じ会社で仲間でいる間は、皆の知性、人格を成長させるべき、次に生きていける強いチカラが付くように取り組みます、「諦め」ずに、ってことかしら。キチガイで非ロジカルだけど、知性はあって、人格者。これなら転職できるでしょう。これがリーダーができる最良なこと、かな。

こんな素敵なリーダーになりたいですね。

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