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夢ある創業期から、ストレスばかりの”普通”の会社に成長するプロセス


1.会社が創業される。当然に、実現したい想い(=ビジョン)がそこにあるから

ビジョンでもパーパスでも存在意義でも何でも良いのですが、ボクは特に理由はないのですが「ビジョン」という言葉を使っています。

会社という無形の存在には、普通、「ビジョン」があります。というのも、誰かが、何かを世の中に提供しよう、それで多くのひとや社会の役に立とう、と思い立つからこそ、「ビジョン」があるからこそ、会社がつくられる、からです。会社設立の原動力は想い=「ビジョン」です。そして、その「ビジョン」があるから、共感・共鳴してくる仲間が集まってくれる。「ビジョン」が無いのに、曖昧なのに、一緒にいるのは前向きな理由ではないです。途中で離ればなれになります、だいたい。

ということで、ビジョンとは簡単には、
「誰かが人生をかけて何かを目指そうと思い立ち、その実現のために1人では何もできないから会社をつくってがんばろうとしたその理由」
という定義はどうでしょう。。。


2.でも、次第に、創業時の大切な「ビジョン」が消え、「戦略」に置き換わる


夢を、ビジョンを追いかけ、辛いことも多いけど、楽しく、助け合って頑張っていると、色んなラッキーもあり、会社が存続・成長していく。すると次に起きることは、こんなこと。

創業の原動力であり、仲間を集めるパワーである「ビジョン」が、何年か経つと消えて行きます。なぜなら「存続」「利益」の方が大切になってくるからです。当初の「ビジョン」は大切でなくなり、忘れ去られ、「戦略」なるものに置き換わる。誰に、何を、どのように売れば、稼げるか。もはや設立の想いは関係ない。目の前の利益。

でも、理解はできます。始めた事業からピボットしているかもしれませんし、当初の事業以外の事業売上・利益が大きくなっているかもしれません。創業者がいなくなっているかもしれませんし、創業者も人間です、想いがすっかり変わっているかも知れません。。。

なので、「ビジョン」はさようなら。お金が余った時に広告代理店などにお願いし、何千万円もお支払し、ビジョン、ミッション、バリュー、フィロソフィーとかとか、アレやコレやを絵的に美しく整理、お化粧。品ある自社ホームページになったけど、中身は無いから、その後、社員もお客様も誰も気にしない。

この弊害もあって、結局、「ビジョン」なんて要らないよね、となる。創業時の昔のビジョンはそもそも役に立たないし、代理店に大金払って表層的につくったアレコレも役に立たない。やっぱり肝要なのは「戦略」だね、って。


3.でも、「戦略」立案の難しさに耐えられず、簡単な「数値遊び」と「お尻叩き」に陥る


前述のように、創業時と状況が変わり、事業が複雑になり、「ビジョン」と実態にギャップがあり、メンバーも増え、期も重ねると、「ビジョン」で仲間を引っ張れなくなり、「稼ぐ」ことが主眼となり、「戦略」が跋扈する。

「戦略」って言葉、なんだかカッコいい。軍事用語ですね。戦争は嫌いだけど「戦略」という言葉はみんな大好き。なんでもかんでも、XX戦略と言えば箔が付く。

でも、その「戦略」を立案するのはかなり難易度が高い。そしてそれを合意し、それをベースに臨機応変に突き進むことも難しい。「戦略」を正しく立案できるひとは稀有だし、そもそも「正しい」立案方法も無いから、社内で現状課題を素直に見つめ、丁寧に思考し、試行錯誤してつくるしかない。

だけど、答えがある、正しいプロセスがあると思っている人が多いから、この行ったり来たりや自家製の戦略立案方法にイライラして、だいたい「数値遊び」に陥る。

去年の1.5倍にしたいよね、利益率30%を目指そう、ブランド認知50%を超えよう、累積赤字を脱却したいよね、という「数字遊び」の計画がはじまり、それが各部に、各メンバーのノルマに降りて行く。そして、ノルマを「目標設定」という聞こえの良い言葉に入れ替えて、1人1人に課していく。あとは、目標を”達成”しろ、とのお尻叩き。

「ビジョン」が消えて、「戦略」という名の「ノルマ」と「お尻叩き」。


4.こうして、”普通”の会社になりました。「ノルマ」と「お尻叩き」の場


これで、やっと無事に普通の会社になりました。社員はストレスが多く、仮面を被り、サラリーマンを演じる。最近は、コンプラで、パワハラ・セクハラは表面上は無くなって来ていますが、それも大企業での話。中小はそこまででもない。

何のためにそこで働いているのか。会社の利益を稼ぐため、つまり、ノルマを達成するため、ひいては自分の給料を稼ぐため。。。

「ノルマ」をうまく達成したり、「お尻叩き」の中で時折、褒められるとなんだかとても嬉しい! ボーナスもアップ! まるで催眠術。なんだか、良いのか悪いのか。。。


5.やっぱりビジョンは大切にしたいなと

上述の会社「成長」は好きじゃないのですが、そうなるのも理解はします。リーダーもひとりの人間で弱いもの。色んなプレッシャーから、純粋な創業の想いが、利益・存続に汚染されます。

だから、事業が複雑になっても、「ビジョン」って必要かなと思うのです。会社なのだから、どこまで行っても「ビジョン」に共感するひとを採用し、「ビジョン」で仲間を引っ張るべきであり、そのこと”も”努力すべき、だと思うのです。

会社で統一的な「ビジョン」を無理につくる必要はなく、事業ごとでいいのです。創業時はそもそも1つの事業しかないのですから。。。無理に会社やグループで1つの、美しく整理されたビジョン、ミッション、パーパス、バリュー、フィロソフィーとか訳分らない英語を並べる必要はなくて、たった1つでも良いのです。心が躍るビジョンを1つ。

そして、大切なのは、もはや創業時ではないのだから創業者の想いだけでは機能不全。

「今日、「ビジョンは企業のリーダーシップではおなじみの概念である。しかし、注意深く見てみると、ほとんどの「ビジョン」は1人の人間(あるいは1つの集団)のビジョンを組織に押しつけたものだとわかる。そのようなビジョンでは、せいぜい従うことを共有するくらいであり、我がこととして責任をもって取り組むこと(コミットメント)はおぼつかない。共有ビジョンは多くの人が心から打ち込めるビジョンであり、それは共有ビジョンに自分自身の個人ビジョンが反映されているからなのだ」

(「学習する組織」ピーター・M・センゲ著、枝廣 淳子他訳、英治出版)

巧みに「”共有”ビジョン」にしたいのです。コツがあるとしても、こちらも難しいものです。。。「戦略」づくりも、「ビジョン」づくりも難しい。でも、会社をつくったなら、会社を引っ張るなら、仲間を奴隷にして利益と存続を得ることで喜ばない志・責任が必要ですね。

ということで、少なくとも「戦略」をがんばってちゃんとつくるか、ビジョンをがんばってちゃんとつくるか。これが普通の会社からの脱却要素だと思うのでした。。。


読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_71)


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