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悩む選択 v2-100:「ソフィーの選択」を参考にする vs 未来は不明。自分の正しいで人生の選択を決める

今日の悩み:
A.自分が思う正しい選択をすれば良いし、他人を傷つけてでも、選択することはある。ただ、映画「ソフィーの選択」のような非情な苦痛の選択を他人に課す選択だけは回避すべき、と思い、気を付けて生きる。

B.映画「ソフィーの選択」のような、誰かに苦痛を課すこともあろうが、自分が思う正しい選択をすれば良い。将来、自分・他者への影響は今は明確にはわからないのだから。不明な未来を気にしていられない。未来をわかるなんてうぬぼれ。

人生って色んな悩みがありますね。ボク自身の悩みではないのですが、この1週間でも: 友人の弟さんが突然亡くなったり、友人が1年も経たずに離婚したり、仕事仲間が転職して2か月経過、せっかく給料は上がったけどどうも文化が違って、さずかに辞めはしないけど悩ましい、とか、友人の知り合いがお店を出したけど、そのまますぐにコロナに突入で、結局、2、3年を経てもう閉めることにした、とか。

皆さま、あの時、ああしておけばこんなことにならなかったかも、と涙ながらにお話しされたり、悔しがったり。過去の選択した時には、こんなことになるとは思っていないですね。当時はそれが自分が選んだ”正しい”選択だった。それが積み重なって、継続されて、望んでいない結果に至る。。。

別の選択をしていたら、どうだったのだろうか。もっと早くに望ましくない結果が訪れていたかもしれないし、未来永劫ハッピーだったかもしれない。

人生の色んな悩みの根源は、時は止められず・戻せず、だから、今、選べる道はひとつだけ、ということ。今、選ぶしかない。

映画の話ですが、「ソフィーの選択」というアメリカの1982年の作品があります。”選択”について考えさせられます。これが今回の100回のnoteのきっかけ、です。ウィリアム・スタイロンの同名の本が原作、メリル・ストリープがアカデミー主演女優賞を取った作品。ボクは本は読んだことはないのですが、映画を何度か見ています。まさに人生の苦痛の「選択」が多々出てきます。嘘と真実についても考えさせられます。ナチス、アウシュビッツに人生を文字通り死ぬほど翻弄される話。

以下のような選択肢、どうしますか。非情過ぎです:

・自分の大切な愛する二人の子供たちのどちらか一方を諦めないといけない、そんなありえない二者択一

・そんな選択幾つも経ながらもアウシュビッツを生き抜いた自分は、自分を慕ってくれるやさしい男性と一緒になる選択肢をとるべきか(資格があるのか)、絶対に上手くいかないとわかっているが、同じように心の苦痛を持つ男性と一緒にいるべきか

・生き抜くためにしょうがないけれどウソをついてきた、しょうがないけれど自分を捨てる選択をして来た、そんな自分は。。。生き続けるべきか、自ら命を絶つべきか。。。

考えさせられる映画。ソフィーの”選択”程ではないけれど、人生には重い結果につながる選択の機会が起きない訳ではない。

悩ましいのは、一瞬で選択の結果がでる場合もあるが、選択する今は、将来の結果がわからない場合が多い。そして、日々の他愛もない選択が、ジャブのように細かく細かく影響し、どこかで取り返しのつかないことになる。もちろん、逆に、すばらしい未来を作り出すことも。そして、自分の選択が、自分の未来だけなら、まだ良いけど、当然ながら、もちろん、他者の人生にも影響する。

でも、選択する、しかない。人生とはそういうもの。選択しないという選択の場合も、もちろん、それも含め、選択する。選択するしかないなら、何を選択するか。

今、自分が、世論ではなくて、周囲のひとではなくて、自分が正しいと思う道、自分が進みたいと思う道を選ぶしかない。他人の意見から謙虚に学ぶ姿勢を取り、参考にはすべき。最初から排除する理由はない。が、最後に選択するのは当然、自分しかいない。

・世論や周囲の意見なんて正しくわからない(統計とれるわけではない。そもそも世論って誰だ?)

・それに、世間や周囲はその後の引き続く自分の選択を毎度、助けてくれるわけがない(毎日・毎回、一緒に考えてくれるなんてわけがない)

・自分が選択したことによる自分の心の在り方は自分しかわからない。選択した道の上でもどのように歩むかも選択できるのだから(あっちの選択なら自分は燃える/こっちの選択ならやる気しない)

・自分の行動の結果の責任は自分しかとれない(誰かが常に責任をとってくれるわけがない)

ただ、自分で、自分が正しいと思う、好きな、自分の夢に近づく選択をすればよい、と思う、その一方で、ソフィーにありえない苦痛の選択を課した側になるような選択は取ってはいけない、と思う。

他人には迷惑をかけ、傷つけるのが人生というもの。失敗しながらも、学習して、防いでいきたい。だから、毎回ではなくても、この選択ってどういう影響が未来にあるかな、他人にあるかな、をふと考える時間があってもいい。仮説検証。学習になる。この繰り返しでソフィーの選択を防ぐことができると思う。

ただ、何かの幸せのために、自分を・誰かを傷つけることがわかっていても貫くこともある。それも選択。でも、そう思って貫くのと、無意識に、野放図に、あっちもこっちもを傷つけるのとは違う。

そして、人間とは、人生とは、自分のふとした選択がソフィーを生みえる、という意識を持って生きたい。この映画を見た価値を台無しにしてはダメと思っている。

今日の100回まで、職場や人生で出会う色んな二律背反・二者択一・トレードオフ、考え方の違いを徒然草してきました。ま、どっちでもいいのかもしれません。ボクはAだけど、他の人はBが正しいと思う。正しいかどうかはわからないけど、自分はそっちが好きに育ってきた、思考の癖がついてしまっている。どうも他の道はより良く見えない。自分は間違っているかもしれない、と客観視しながらも、でもやっぱり自分はAが合う。どうして他の人はBなんだろう、と思いながら。

内省したかったのは以下なのかな、と思います。

・世の中・社会は多様性のお陰で成り立っているのだから、答えが1つは良くない(自分に反する方々も沢山いることが価値)、そう思える知力。

・自分の選択に自信を持つべきだが、一方で誰かを傷つけえると思える知力

・自分や他者を傷つけても選ぶ道もあるけど、ソフィーほどの苦悩を生んではいけないと我慢できる知力


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