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会社組織(=上下関係)だけど、「誰もが誰に対しても力を持たない」のが良い

時折、昔に読んだ本を読み直す。
時折、昔に見た映画を再度見る。

「存在の耐えられない軽さ」(ミラン・クンデラ著)を読み返し、今日、やっと読み終わった。ちょっと時間がかかってしまったけど、気づきがある。


今回、気になったフレーズは:
「誰もが誰に対しても力を持たない」

前回、と言っても15年ぐらい前で記憶は不確か。が、前回はここで立ち止まった気はしない。だって、職場でチカラを振るえる立場に魅力を感じて生きていたから。


誰かの存在が”重”過ぎて自分の思考・行動が指図され、イヤイヤ影響されることもなく、自分の存在が”軽”過ぎと感じ、それを屈辱に、路傍の石のように感じ、そんな気持ちにさせる誰かに結局、影響される、なんてこともなく。


で、職場もそうあるべき、と思ったのだ。会社なのに、組織なのに、職場なのに、「誰もが誰に対しても力を持たない」。

・上下関係が当たり前なのに、
・指示命令が当たり前なのに、
・下は上のために走って討ち死にするのが当たり前なのに、
・強制・圧制・高圧があたり前なのに、
・そして、これらをあたり前に実行するのが経営だ!なんて勘違いしている経営層が跋扈しているのがあたり前なのに、
(嫌味で書いてます)

でも、「誰もが誰に対しても力を持たない」。


「誰もが誰に対しても力を持たない」。
そんな組織/会社/職場が、目指す姿だと思う。

利他なビジョンに向けて設立された会社なるものに、そのビジョンに共感する人が集まって、仲間となり、ビジョンの実現に向けて自立的に、自発的に、助け合って、支え合って、自走する努力をする、という意味の「社員」という個人名の下に別の名称の傘を持って思考・行動する。ならば「誰もが誰に対しても力を持たない」でも動くはず。それぞれがパズルのピースなだけなのだから。でも、幼稚な、ナイーブな、実行性の無い考えかなぁ?


でも、

「偉大な企業では、社員と会社の関係は「仕事と引き換えにお金をもらっている」といった従来型メンタリティとは大きく異なる」

「真のリーダーシップとは、従わない自由があるにもかかわらず、人々が付いてくること」

とは、「ビジョナリー・カンパニー」シリーズ(ジム・コリンズ著、日経BP出版)からの引用で、ここには「誰もが誰に対しても力を持たない」を感じてしまう。”偉大”(偉大って何だ?はさておいて)な企業には、あるのでしょう、「誰もが誰に対しても力を持たない」環境が。


現代の大概の会社は、リーダーシップではなくて、リーダーからの「コンプラ推進・パワハラ排除・セクハラ排除」の大号令で社員を律しようとしています。これこそがまるで幼稚園? でも、しょうがないか。こうして「誰もが誰に対しても力を持たない」中での企業成長を実現しようとしている。

でも、こういうことではないんだよなぁ、目指すのは。むむむ、「目指すのは」、ではなくて、「ボクが勝手に目指したいのは」だけど。。。


とにかく、時に、好きな本を読み返す、はイイですね。”過去”に好きだった理由を再確認でき、”今”の自分にあった新たな気づきに出会えるかもしれない。そして、最低でも、あれ、なんで昔は好きだったんだ?という自分の変化(成長)にも気づけます。

今回は、「誰もが誰に対しても力を持たない」に立ち止まり、その真逆の存在の組織こそが、そうあるべきだ、と思い、その価値・実行性・パワーを認識し、そして志向するリーダーが必要だ、と思ったのでした。。。

お読み頂きありがとうございます。
(v10_39)


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