経営者である前に人間。業績至上主義も良いけど、人格的成長も大切ね。
お客様の社長さんが「会社を経営していて、大切なことってたくさんあるよね」とのこと。もちろんです。「一生懸命勉強しているつもりだし、経験からも多々、大切と思える気づきがある」とのこと。
だけど:よしこうしよう!よしああしよう!と思うけど、すぐに忘れてしまう。そう言えば、こうしようと決意したのにな、とふとしたきっかけで思い出す。そんな繰り返しだ。
一方で:なぜか染みついている自分のクセは抜けない。座学で勉強し、経験で学び、自分のあるべき姿・めざす姿、経営スタイルを自分なりにアップグレードしようとしているつもりなのだが、なぜか自分のスタイルができあがっている。それが変わらない。会社を成長させる限界を感じてしまう。本当に自分で大丈夫なのだろうかって。。。
三つ子の魂、百までも、なのか。「変わりたい」けど「変わらない」とのこと。
ボクが思うに、こういう類いの発言をする人は「変わらない」のだ。
だって「考えて」話をしているだけだから。心底、自然に心がそう感じていて、どうしようもなくて「変わる」訳ではないから。
まず:一定の知的レベルがあると、「変わる」ということは、アップグレードで、正しいこと、人生で追いかけるべき、なんて頭で定義している。だから、そういう自分を演じるためにも、そう口に出すだけ。本当に「変わろう」とはしていない。
それに:本を読んだり、積極的に色々な経験をしたり、誰かのアドバイスも素直に聞いて、勉強熱心だから、たいていのことでビックリしない。多くが想定内。だから、自分の言動を「変わらせる」ほどのインパクトに出会わない。
更には:上記と似ているけど、相反する意見・スタイルでも、それぞれに成功している例を多々知る。だから、「これが正しい!」と一つ選ぶのが苦手。臨機応変になる。口で言うほど「よしこうしよう!よしああしよう!」なんてスタイルを決めることに本気ではない。頭で思っているだけで、心は無い。都度都度の柔軟になりがち。
こんな風に「変われない」がための、経営の限界は、確かにある。発展しない。現状維持。繰り返し。だけれども、その限界すらも別に実はそこまで課題ではないのだ。口ではアレコレ言うけど、実は現状で満足しているのだ。それにニーズが無いから、ニーズを起こせないから潰れるのだ。それでいいのだ。無駄に地球の資源を使って不要な製品・サービスを頑張って売っても無駄。。。
いずれによせ、変われず、経営の限界を感じるなんて口で言ってても、実は心は満足している、はず。
だから、社長さんにはこう伝えたのです:
「だいじょうぶです。頭で考えている間は変わらないし、現状で良いと本当は思っているのだから。本当にヤバい業績なのか、社員が全員いなくなるとか、ショックな出来事があったら変わりますよ。それまで待って、今は、自分らしさで良いと思って、無理に変えようとしないでコツコツ・日々愚直にやりましょう。でも、だからと、学びを止めたら人格的にも知性的にも落ち目になって、”両方”終わると思うんです」と。
ま、これを伝えるのが良かったのかは、わかりませんけれどもね。
「変わる」には、まるでショックを受けたような、心に響く気づきが必要だもの。そしたら「変わる」。「変わる」しかないから。それが無いなら「変われない」。
でも、経営ということから離れて、勉強をし続けていると、変化には気づかないけれど、素敵な人格者になっていくものなのだ。一歩一歩。脳みそって裏切らないのだ(と信じたい)。
でも、人格者だからと、尊敬できるひとだからと、ビジネスを「成功」させられるかは別問題だけど。
後世に名を残した、記録を残した野球選手やオリンピアン”だけ”が、努力してがんばってきたのではない、のとの同じ。そこそこな選手も、残念ながらケガなどの理由で早めにリタイヤした選手だって、がんばってきたのだ。自分なりに。
人生はそういうことなのだ。だって、「成功」は外から決められるものだから。メダルの色やホームラン数や資産の額など。
ということで、経営者だからと業績至上主義でいるのは良いのだけれど、同時に、人間的に人格者になることを疎かにしてはダメなのだ。経営者である前に人間なのだから。
そして経営は不確実だけど、勉強は裏切らないのだから。その結果、自分の行動が即変化するかなんて気にしないで、自分が好きな勉強を続ければよいのだ。続けないといけないのだ。人間だから。そう思うのでした。。。
お読み頂きありがとうございます。
(v9_98)