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教えて下さい87:人生の最後。引き延ばすべき?(v5_もぐらさんの悩み)

9月26日。火曜日。早朝に親戚が亡くなった。大切なひとが今年も遠くへ。喪服を何回着たか。。。今年では無いが、母も父も60歳ほどで肺ガンで亡くなった。ちょっと早いよね。人生全うできたかな。幸せだったかな。充実してたかな。気になって気になって。。。

父の時:「もう無理です。延命策無し。痛み止め(モルヒネ)を(大量に)投与しないとかわいそうです。ただ、そうするともう会話も何もできず、最後まで見守るだけです。」 非常に苦しそうな父を前に、医師からこんな話。え、昨日までは元気というか普通に会話しご飯もしていたのに? 人生での最も悩ましい選択。。。で、もうお疲れ様と休んで頂くことにした。2週間無意識が続き、静かに亡くなった。

母の時:「例の新しい抗がん剤ですが、体質的には合うことがわかりました。投与するか本人とも確認します。が、副作用が出ると、それで終りになるかもしれません。」 まだ元気ながらベッドから出られない母。医師から事前にこんな話。で、母は前向き。病院もビジネス。投与しないなら(点数にならないから・治療が終るから)、ホスピスの病院を探し(紹介はするけど)、移ってね、とのこと。ボクは緩和ケアを選択したかった。薬を信じていない。結果、母の意見を尊重。ボクはなんとなくこれで最後だろうと腹を括る。結局、その通りに。投与し効果無く副作用でさようなら。

もっともっと辛い経験の方もたくさんいらっしゃるでしょう。でも、こんな終りでよかったのか悩みます。

今日の悩み: ”命ある間は自分が失われても諦めず挑戦すべき。なのか、自分らしく生きられないなら延命不要。なのか”

案1:
本当に本当に辛い苦しいこともある。どうしようもない病気の時もある。本人次第と言いたいが、本人が判断出来ない時もある。本人は今はとてもとても辛いけど将来はそうではなくなる可能性もあるが、独りではそう考えられないときもある。人間とは、やっぱり自分で終りを選択するのはダメだと定義し、それに従うしかない。自然の摂理に逆らっているように思う時もあるが、より永くにトライすべき。トライしてみようじゃないか。

あるいは

案2:
父も母も入院中に違う選択をしていたら確実にもう数ヶ月は長く生きていられたような。。。無理にアレコレ挑戦した結果、短くした気がする。気がするだけで、もはや何もわからない。過去は戻らない。ボクは、意識が無いなら、ボクが自分で意志決定できないなら、そばに居てくれる誰かに任せるよ。自分らしく無いならばもはや誰かに任せるよ。右でも左でも恨みっこ無し。そのためにも、死ぬ間際に無闇な挑戦をしなくて良いように、今、色々と挑戦し、わくわくし、充実した生活を送らないとね。

ま、案1でも案2でも、どっちでも良いかな。ひとそれぞれ。第3の選択肢もありえる。人生に「正しい答え」無し。

大切なのは:
1.
どっちか悩む/どっちもあり/変化する、そんな自分を知ること
2.そして、自分と違う他人がいても、差別せず受け入れること
3.そして、大切な家族/恋人/仲間が悩み、辛く感じるその時に、案1、2のどっちがより心を落ち着かせ、安心させられる温かい言葉になるかを考えてプレゼントすること

そんな風に思ったりします。

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