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「人生における真の喜び」は何?

「人生における真の喜び。それは、すばらしいと思える目的のために自分を捧げることである」

とは、ジョージ・バーナード・ショーの言葉とのこと。

この言葉、彼の本では見つけられないのだけど「サーバントリーダーシップ(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井 壽宏、他訳、英治出版)」にありました。


これができたら素敵だなと思います。もちろん「すばらしい」はひとそれぞれ。ひとそれぞれのすばらしいと思える目的。使命ともビジョンとも言えますね。


色んな言い方があるのでしょうが、とにかく明確なことは「受け身」ではないということ。「能動的」です。「Giveされる」ではないですね。「Giveする」。

人生から何を得よう、社会から何を得よう、ひとから何を得よう、何をGiveしてもらおう、お得なことはないかなぁ、そんな「くれくれ、欲しい欲しい、得させて得させて」マインドではないですね。

逆です。自分には何が必要とされているだろう。もしかしたら思い込みかもしれません、誰も自分に何も期待していないかもしれません。でもいいのでしょうね。勝手ながら?自分の使命はこれだ!


でも、この「使命」と言うなんだか厳かなもの、なかなか見つからないですね。これが私の使命です!とはなかなか言えない。でも、考え方次第でそうでもないように思います。

子供がいると明確ですよね。両親には育てる使命が!そして、もう一つ明確だと思うのは、仕事です。仕事は使命になりえると思うのです。

使命なんて全く考慮せずに就職したとしても、仕事に真剣に取り組めば、使命を果たしていることになる。誰かが、それを使命に、創業して、それが継続している、のだから。

これが仕事ということの偉大な価値、だと思うのです。


自分で創業する場合は、もはやそれが使命。何かに気づき、何かの実現に向けて人生を賭けようとして起業するのですから。

起業せず、サラリーマンであっても、共感・共鳴できるビジョンを持って、素敵なリーダーがいる会社で、一生懸命にそのビジョンの実現をがんばるならば、使命を果たしています。

冒頭のバーナード・ショーの言葉のとおり「すばらしいと思える」会社のビジョンであることが条件ですけれど。

でも、会社とは多くが、社会に対してすばらしい使命を果たそうとしているものです。サラリーマンであれば、その使命の一部を担うという使命を果たせる、のです。

リーダーなら、創業者なら、その会社の使命を継続的に、色んな場面で社内外へ魅力的に伝えて欲しいものです。


ところで、ボクの祖母、96歳の人生だった。自分の息子(ボクの父)よりも長生き。自分の息子亡き後、その奥さん、つまり、義理の娘(ボクの母)と2人暮らし。働きに出て忙しい義理の娘のためにと、掃除に食事に家をきれいにしようと努めていた。元気だった。とても元気だった。自分の勝手ながらの使命をそこに感じていたから、とボクは思うのです。日々やるべきことがあるから元気。

そして、その義理の娘も早くに亡くなってしまった。1人残された祖母。仕方なく特養に入った。が、数ヶ月ぐらいだったか、誤嚥性肺炎で亡くなった。使命が失われ、ケアされる立場になり、自分で自分の存在意義が薄れた、と思ったのかななんて思うのです。



「すばらしいと思える目的」「使命」「ビジョン」。これが見つかると人生を歩む力になる。

自分の内なる正直な声に耳を傾け、自分と向きあって、答えを見つけたい。色んな会社のビジョンも参考にしながら、他者の生き方も参考にしながら、刺激にしながら、でも自分に正直に、自分に必要とされていること、そんな思い込み、勝手ながらの思い込み、見つけたい。



お読み頂きありがとうございます。
(v9_41)



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