悩む選択 v2-60:自分の想い・理想に動かされている vs 批判・迷惑無きよう最低限をやっている
今日の悩み:
A.自分は、何かを実現・達成したい、作りたい、そんな純粋な自分の想い・理想に動かされている。
B.自分は、迷惑かけたり、批判されたり、落ちこぼれたり、取り残されたくないから、ある意味、恐怖心でやるべきことを最低限やっている。
知り合いのある会社の役員さんとランチしたのです。雑談しながら、「オレ、どんどん太っていくよ。」「うん、太ったな。顔色もな。。。」「だろ。まだまだ感染問題あるけど、会食たくさんだよ。高級料理もういいよ。飲んでフルコース。これ仕事か。会話も感謝ごとがほとんどで、将来の何かじゃないんだよな。ま、感謝し合うから将来が有るとも言えるけどな。」
「昔は、上司見て、飯ばかり食って太って、頭働くのか?大会社の役員なんて、社長になれなかったら、過去の業績で偉くなって、偉くなったら飯食うだけか、なんて揶揄ってたら、オレがそうだよ。今。なんのためにやっているのか? 下はあいつは役員なんだから働かせようぜ、って、アレもコレも会食入れてくるんだろ、どうせ。ま、しょうがないけどな。。。」
「迷惑かけないように食っているよ。ある意味、恐怖心だよな。使えない役員だ、って言われないようにな。普段は考える暇もないけど、おまえとで愚痴ちゃったよ。理想はどこにいったんだ?まったく。」
で、違う会社ですが昔の同僚ともばったり会ってお茶。「もうオレは終わったよ。サラリーマンはしょうがないな。もう先が見えてる。あと15年ぐらいは面倒見てもらって、なるべく本社じゃなくて、面倒な仕事が無い子会社がいいな。うまく生き抜いて、なるべく長くだな。偉くなったやつは給料もらっているんだから、こき使ってがんばってもらわないとな。」
「だから、変な批判だけが無いよう、最低限を、ローキーで。趣味が充実してきているよ。でも、老後に趣味が無いと、つまんないからな。いい状況だと思っているよ。本当はそう思っているの?なんて野暮な質問するなよ。ひとそれぞれだよ。しょうがない。」
組織の中で何が起きているかわかりませんが、お二方は幸せなのか、そうじゃないのか。本音か演技か。ま、本音だとして、こういう時期も人生の中ではありますね。一定の規模がある会社ではこういうものなのかしらね。どうにかしたいけど、どうにもならない、大きな動かせない岩が社内にいると感じるのでしょうね。
で、2人に同じ寓話を紹介したのです。「巨大で重い弾み車」の話
巨大で重い弾み車。金属製の巨大な輪っか。水平に取り付けられ、中心に軸がある。直径10m、厚さ60cm。重さは2トン!これをできるだけ早く、長期にわたって回し続ける。
必死になって押し始める。数センチ動く。ゆっくりゆっくり。動いているとも言えない。それでも押し続け、数時間で1回転。押し続ける。回転がちょっと速くなる。2回転、3回転。徐々に回転速度が速くなる。
10回転。勢いが付いてくる。20回転、50回転、100回転。。。
速くなってくる。そして突破段階に入る。勢いが勢いを呼んで、回転がどんどん速くなる。
弾み車の重さが有利になって、1,000回転、10,000回転。飛ぶように回って、止めようがないほどの勢いになる。
ここで誰かがやってきて質問。「どんな一押しで、ここまで回転を速めたのですか?」
で、この質問、当然ながら答えられない。1回目でも、2回目でも、1000回目でも、どれも違うから。どれかの一押しの問題ではない、から。
重要なのは、過去の全ての押しであり、同じ方向への押しを、くじけず、諦めず、愚直に、継続して積み重ねてきたこと。これが重要なこと(「ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則」(ジェームズCコリンズ著、日経BP)から)
「身体壊したらだめだよ。だから、ちょっとちょっと何かを変えてみたら。ちょっとのスタートが、変化を生むんじゃない? 弾み車を回してみたら?」って。
ま、そんなことわかっているよ。けど、変えられない、とのことでした。
でも、そんな「B.自分は、迷惑かけたり、批判されたり、落ちこぼれたり、取り残されたくないから、ある意味、恐怖心でやるべきことを最低限やっている」という今の状態が終わった時に、定年後に、今も実は心に持っている「やりたい想い・理想」に向けた活動を開始するのかもしれませんね。
今は、我慢の時期。理想に向けての準備期間、A.に向けてのB.の期間、とも言えます。
だから、外見だけで、あるいは、そのひとが発した言葉をそのまま受け取っただけで、不用意な批評・コメントはダメですね。
A.を進めている中で、B.の状態に今はある、そういうひと、もありえましょう。あるいは、A.がまだ見つからないので、B.を実は一生懸命やっていて、そこから何か気づきがあるかもしれないと、熱心にしているけど、控えめにB.的に発言するときもあるでしょう。もちろん、明らかにA.な状況が感じられるひともいますね。
みんなどこかで「A.自分は、何かを実現・達成したい、作りたい、そんな純粋な自分の想い・理想に動かされている。」という状態になりたいものですものね。
諦めているようで諦めていない、のだと思います。