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「自信」ない社員ばかり、と嘆く大企業の方。でも「自信」って本当に必要?

「社員に「自信」がない。若手も、中堅も、おじさんも、おばさんも」と言うのは、ある大企業の50代後半の方。ま、よく聞く話ではあります。



ちなみに、原因はこう思う、とのこと。

1.家父長制の崩壊
良いか悪いかは別にして、自分の父親には根拠のない強さがあった。それに従う、あるいは反発を源泉に、何かに真剣に取り組み達成して来た。精神の「強さ」を身につけ、「自信」になってきた。

しかし、自分が働き出してからは30年の経済停滞であり、共働き(これ自体は女性が活躍していて良いことながら)であり、家庭内で自分(=父親)に意味不明なチカラはもはやない。チカラを子供達に発揮しようというマインドもない。学生までは自信があったが、社会に出てどんどん喪失。デジタルデバイドもある。生活のあらゆる面で重要なデジタルツールについては子供達に敵わない。いいお父さんとは思うが、「自信」を育成できていない。

2.「企業戦士」にならせない/なれない/なりたくない
上記の1.の背景にある、とのことで、こんな説明も。

自分が社会人になりバブル崩壊。イケイケからリスク管理の時代に。役割・責任が分散され、リスクが分散され、1人に任せる業務が一部になり、チェック機能は二重三重。行動に対するルールが明確になる。能天気なバブル時代の投資の焦げ付きやら不祥事から会社は学び、こんな分散とルールで制御する業務プロセスに進化?してきた。結果、仕事しても、「これは私のチカラだ!」と思えなくなる。60歳近くになり、さて一体、自分が何を成し遂げたのか? 自問するがわからない。

つまり、古臭い言葉を使うと、「企業戦士」になれない。ならせてはいけないし、もはや誰もなりたいなんて思わない。そんな風潮。だから「自信」が持てず、自分の子供達にも「自信」を上手く伝えられない。

3.競争がない/少ない、子供~学生時代
若者について言えば、ま、よく言われるけど、いわゆるゆとり教育以降の個性重視・不必要な競争回避の社会の影響で(これ自体は良いことと評価するけれど)、競争が限定され、自信が持てる経験が全くないわけではないけど、少ない可能性がある。競争以外でも自信はつくが、競争はつきやすい。負けることもあるけど、勝つ、前回より良い順位などで、「自信」につながる。受験も、若者人口が減っているので、推薦やらエスカレーターやら、なんやかんやで、つらい勉強を経なくても、合格で「自信」がつく過程が減っている。そう見えてしまう、とのこと。


4.デジタル

同じく若者について言えば、生活の多くで必要なデジタル知識・技能を知らず知らずに身につけているから、便利に、効率的に、簡単に、色んなコトができ、「苦労・努力・不便」知らず。だから、何事にも、自分のチカラ・成長を認識しずらいのでは? とのこと。

なるほど、そうなのでしょうね。



で、さらに、ボクはこう思うのです。
嘆く必要ないと。

だって:
・大企業(の社員)には「自信」は不要だもの。
・だから大企業に属すと「自信」は喪失していく。

「自信」が多くの社員にない、とこの方は言う。でも、それでも、その会社は成り立っている、継続している。

だって、大企業の社員に文字通りの「自信」は必要ないんだもの。細分化された、分散された業務を、ルールに基づいて実行しているのだから。

もちろん日々大変、忙しい、ストレス、プレッシャーも多々。でも、ミスっても、首にはならないし、周囲には同じ仲間(競争相手とも言えるが)がいっぱい。誰もがやれるレベルに仕事を分解する。真の挑戦は限定的。だから「自信」自体は不要。

それに、大企業と大企業同士で、ビジネスが回っている。政府や役所からも情報を優先的に得て、それらの信用も活用し、同じく大企業である金融機関のサポートもあって、大企業同士でぐるぐる。で、気になるベンチャーやスタートアップがあったら買収し、大企業の一部に組み込み、有効活用。

一定レベルの偏差値の人達が、法律・制度・ルールのもとで、社内外で協力しあいながら、リスクを相互に分散し、ビジネスしていく。

もちろん失敗も多い。M&Aなんて8割失敗。でも、それもリスク管理の中で、やっていること。想定内。

本当にヤバくなったら、事業を売るか、給料を下げるか、リストラ。

ということで、こんな大企業では「自信」は必要ではない。
「大企業」そのものが「自信」を喪失させている。



でも、大企業を揶揄していたり、負け惜しみしているわけではないのです。中小、ベンチャー、スタートアップだって同じと思うのです。ここでも「自信」は必要ない。

だって「自信」が、ビジョンや、創業や、日々の仕事を突き動かしているわけではないのだもの。自信がある/ない、を凌駕している精神状態で「やりたい」と思ったから、本当に心からそう思ったから、スタート。あるいは、二世、三世は「やらねば」という思いで動いている。そして、そこの社員も大企業のそれと変わらない。



「勝つ自信はありますか?」なんて質問は愚問。「はい」と答えても、「いいえ」と答えても、やる。やりたいから。「はい」と答えたら勝てるわけでなく、「自信」がなくても一生懸命やれば勝てる。

って、自分で書いておきながら、ビジネスで「勝つ」という概念がそもそもおかしい。誰かを負かそうと思っている競技・スポーツとは違う。社会に役立ちたいと思って日々活動しているのが、ビジネスなのだから。


ということで、「自信」がない、と沈む必要ないのです。「自信」は必要ないのだもの。こう思うと、うん、なんか気楽。

自分が有能かどうかわからなくても、自分が常に正しいかどうかわからなくても、自分に価値があるかどうかわからなくても(自信がなくても)、いいのです。

だって、有能なんて常に相対的だし、常に自分が正しいなんてことはありえないし、一方で、自分に価値は常にあるのだから、ならば気にする必要もないのだもの。


「自信」とは関係なく、これやりたい!これが好き!に出会えたのならば、それに突き進めばいいだけ。「自信」を気にするならそこまで好きじゃないような。。。

ふと、そう思ったのでした。。。なんか変かな???




お読み頂きありがとうございます。
(v9_36)



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