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90歳近い親戚がふと話す”戦”中の話。洗い替えなく太平洋戦争を最後としたい

疎開の途中で、子供達が相撲をしていて、立ち止まって見ていたら、空襲警報が鳴った。その場の子供達が走って行く後を付いて走り、山に登った。

子供達は木の陰に隠れたり、木に登る。自分も真似して登った。が、おっと、漆の木だった。地元の子供は誰もその木には近づいていなかった。

案の定、漆かぶれになった。「あそこの小川で沢ガニを見つけて潰しなさい。その汁をかぶれたところにつけなさい。臭いけどもね」と見知らぬお婆さんに言われ、何も考えずに言われた通りに小川に入る。暑い夏。水が気持ち良かった。かぶれにも冷たい水が気持ち良かった。蛇がいそうでこわかった。沢ガニをどうにか4、5匹見つけ、潰してカラダに塗った。

不思議なことに治った気がした。


小川から戻ってお婆さんに、カニがいた。つぶして、塗った、と伝えた。ある時、空襲時に自分の手を引っ張って逃げてくれた近所のお婆さんが何かにあたって亡くなった。突然、引っ張る手が切り離された。。。そのお婆さんを思い出した。。。


疎開の途中の列車で、空襲になった。兄弟と自分は列車から飛び降り、そばを流れていた小川に入り込んで身を沈めた。多くのひとが小川に。空から見えないわけないな、と思いながら。母親と祖母は列車に残っていた。祖母は動けない。列車から飛び降り、小川まで坂を下り、水に身を沈めるなんてできない。母親は付き添った。。。この時はみな無事だった。。。離ればなれになる、どちらかが死ぬかも、なんて考える余裕なんてなかった。


90歳近い親戚からの話。日本被団協のノーベル平和賞の話から派生した。


こんな苦況、恐ろしさはもちろん戦争だけではない。地震や津波や、大変な苦難・苦況は今でもある。でも、戦争は、それが生む怖さ・苦労は、人災だ。

広島・長崎とともに東京・大阪大空襲など、若い世代に語りべをバトンタッチするのは大切だと思うのだ。後世がやるべきこと、だと思うのだ。

だが、どうしても対岸の火事になる。理性で正しいこととして活動する。が、心から感情的に沸き起こることにはなりにくい。そして、理性が働いて、体験者から話しを聞き、理解し、記憶し、伝言に努めるのも、まだ、上述の親戚のように実体験者が存在する、から、とも言える。しかし、10年、15年もすると実体験者がいなくなる。実体験の記憶は無くなる。

例えば、戦国時代の恐怖・苦況、切腹は今や問題にならない。もちろん、歴史は洗い替えされる。より最近の恐ろしい出来事を繰り返さないよう活動が起きる。日本の場合は太平洋戦争。


ある意味、いつまでもいつまでも、太平洋戦争について、原爆、空襲、その恐怖・苦難について語りつがれる社会が良いのでしょうね。被害ごとのみならず加害ごとも。誰も実体験していなくても、あるいは、実体験した人から直接話を聞いた人がいなくても、いつまでも、いつまでも。その後には、戦争・戦禍無し、という意味で、いつまでも、いつまでも、太平洋戦争についいて。。。


お読み頂きありがとうございます。
(v9_74)


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