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教えて下さい55: 利と信。まずは信用?救われる?いえいえ馬鹿を見る?(v5_もぐらさんの悩み)

8月25日。金曜日。昨晩、キーファー・サザーランド(米国の俳優)が主役の「designated survivor」なるドラマをうっかり見てしまった。Netflexをパラパラしていたら、なんとなく目についた、だけで、見たいからではない。感情的でもなくロジカルでもなく、なぜか選ぶ。ちょっと最近、英語聞いてないな、的な。で、自分でもなぜ選んだかよくわからない。ま、ひとは合理的からはほど遠い。で、2話見た。テロで米国の大統領から議員のメンバーまで全員死亡。「単なる」住宅都市開発長官なる人物が継承の順序から大統領になってしまう、という話。で、ありがちながら側近の信じるべき人が裏切ったり、信頼した「いいひと」がそうでもなかったり。

今日の悩み: ”利と信。信用が先。利益は後から付いてくる。なのか、あるいは、甘ったるい。信じる者だからと言って救われはしない。警戒しながら自己利益を優先・確保を忘れてはダメだ、なのか”

案1:
政治ドラマを見ると、主人公が概してしたたかだ。裏切り、妥協し、計算し、交渉し、ゆすぶり。。。誰に何の恩赦を与えて、誰を裏切り、誰を見捨て、誰から助けてもらい、誰に媚を売り。。。全くもって感心する。そんなことばかりを良く記憶しているなと。複雑を巧みにパズルし、ビリヤードの玉を3、4回当てて、目的を達成している。読みが確実だ。しかしこれは小説だからか? 現実もそうなのか? よくわからない。

ボクが学生時代に習った経済学はまだ、経済主体は合理的に動くが前提だった。経済行動学(人間はテキトーだと定義する)も出て来てはいたが、授業で学ぶ基本は、ひとは理性的で合理的に動くを前提の経済学だった。びっくりした。そんな訳がない。ひとは矛盾・非ロジカル・感情的・可変だ。昨日のボクは今日のボクではない。

ビリヤードの玉は、不正なければ、同素材、同形状、同サイズ、同重量、同硬度で、完全な球。まるでボクが教わった経済学の人間と同じた。物理的に正しく動く。ロジカルだ。政治ドラマはまるでこんなビリヤード。でも、思う、現実は違う、と。だから、こんなドラマやビリヤードのようにはいかない、だからこそ、単純に皆を信じる、でいいじゃないか、そう思う。相手を信じ、信用し、自分の信用を与える。それでいい。

あいつは信じる、あいつの今日は信じる、あいつの今は信じる、一方で、あいつは信じない、でも、あいつがこうしたら信じる、あいつがこうしたときにあいつがこうしなかったらあいつを信じる。こんなのは訳わからなくなるのだから。小説家以外にこんな人生で結果をコントロールなんてできない。それに、そもそもコントロールしているようで、そういう自分も非ロジカルで常に変わるのだから。。。

だから、繰り返す、信じるでいい。単純。みなを信じ、自分の信用を与える。善きサマリア人になる。それで良い。

あるいは

案2:
皆をいつでも信じて動く。自分を信用してもらうよう動く。これは高貴に見え、人格的で、正しく見える。が、単なるナイーブ思考た。上手く行く時もあるだろうが、損が多くなる。「ちょっと損する人生が良い」なんて主張もあるし、カッコよく聞こえるが、ちょっとで留まる確証はどこにあるのか。騙されない様に、みじんも損をしないと思って動くから、ちょっとの損で済むのだ。損しても良いと心広く思い、動くならば、甚大な損になりえる。自分独りで生きている訳てはない。家族も仲間もいる。信は「振り」だけ、自分の利益を裏でしっかり確保すべく思考・行動すべき。結果は、損かもしれないが、そのレベルで踏みとどまっているということだ。自己利益をベースで何が悪い?見えざる手がバランスを取るのだから。

ま、案1でも案2でも、どっちでも良いかな。ひとそれぞれ。第3の選択肢もありえる。人生に「正しい答え」無し。

大切なのは:
1.
どっちか悩む/どっちもあり/変化する、そんな自分を知ること
2.そして、自分と違う他人がいても、差別せず受け入れること
3.そして、大切な家族/恋人/仲間が悩み、辛く感じるその時に、案1、2のどっちがより心を落ち着かせ、安心させられる温かい言葉になるかを考えてプレゼントすること

そんな風に思ったりします。

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