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悩む選択 v2-75:リーダーならいつでも強くあれ vs リーダーは弱さを見せよぅ

今日の悩み:
A.リーダーならば、人を導き、引っ張り、後押しする存在ならば、強さを保とう。常に強い自分を周囲に見せるんだ。

B.リーダーならば、人を導き、引っ張り、後押しする存在ならば、弱さを皆に見せよう。自分だってひとりの人間。弱くなることもある。それが周囲を安心させる。

ボクは、同僚のもぐらさんと一緒に、やさしいひとになり、やさしいリーダーになり、やさしさで組織を強くする、という約束をしている。それに向けて、互いに努力しているところ。やさしさで組織が強くなるロジックが2人の頭の中には醸成されていて、それを、仲間みなで実践できるように取り組もう、という試み。

やさしさ、と聞いて、弱さ、軟弱さ、八方美人、意志の無さ、主張の無さ、信念の無さ、無責任、逃げ、を思い浮かべられたとしたら、それはボクらの考えとは違うのです。

心が強くないとやさしくなんてなれない。やさしいひとは心がとっても強いひと。リーダーはやさしくなければリーダーではない。リーダーは強くなければ生きていけない。

例えば:

自分は間違えを犯すと認める強さを持ち、批判や責任転嫁、逃げたりしない強さを持ち、必ず改善・解決できると思う強さがあるから、仲間の過ちにも寛容にやさしく受け入れ、原因の特定・解決に終始し、実際にやさしく解決に導く。

挑戦する心の強さと、挑戦について回る失敗にくじけない強さがあるから、挑戦するひとを応援し、失敗・悩みに共感するやさしさがあり、そこで負けて立ち止まらないよう鼓舞し、希望を運ぶやさしさがある。

ひとそれぞれの個性、多様性を心底受け入れ、それが組織の強さの源泉と理解し、自身との”違い”があっても、受け入れる強さがあるから、人格批判などせず、離別感を持って、その人らしい個性に対等に接するやさしさがある。

などなど。

やさしいリーダーは、心の強さがある。こういうリーダーの創出を目指している。決して、強さを誇示しろ、という考えではない。強さは秘めて、外から見えるのはやさしさ。

ただ、何かが足りないと思うのです。このような「やさしいリーダーであり、心が強いリーダー」は、文字通りやさしいから社員や仲間は接しやすく、安心し、一緒にいたいと思うのだけど。。。ちょっとそれだけでは足りないと思っています。

何が足りないかというと、「弱さを見せること」です。

というのも、社員や仲間が、自身の夢を追いかけたり、不慣れな業務に挑戦したり、人生や高い目標に向かって取り組んでいるときにぶつかる壁、課題、悩み、苦悩などなどを、やさしいリーダーがやさしいリーダーシップで傾聴し、共感し、鼓舞し、希望をあたえ、解決に導くためには、なるべく正直に話す、ことが大前提です。

この「正直に話ができる」大前提が実現するためには、リーダーがやさしく・強いだけでは不十分です。もちろん、自分らしさを個性として、いついかなるときも受け入れてくれるなら、話しやすいはず、とは思うのですが。

こんな「やさしくて強い」なんて、ちょっと”遠い存在”すぎて、「自分とは違う」と思ってしまい、正直さを吐露するのが躊躇されえる、のです。

だから、仲間が部下が正直に話しをしてくれるために、リーダーの弱さが自然に見えることが大切、だと思うのです。

リーダーだって、やさしく強いリーダーだって、ひとりのちっぽけな人間。そう仲間に思ってもらわないと。当然に、リーダーだってミスするは、悩むは、おっちょこちょいだったり、家ではパートナーにいじめられる(?)存在なんだ、から。そのままでいいじゃないですか。”弱さ”を隠さずに、と思うのです。

意図的に見せる、ということではなくて、意図的に隠す必要がない、ということです。隠すことに時間や労力を使うリーダーがいます。多々見てきました。が、隠し切れていないのです。絶対に部下、社員にはバレるのです。陰で、酒の席で話題になっているのです。自分には言われないだけで。まずい状況になりますね、こういうのは。それを隠すために不必要な無駄な効果の無い虚勢を張って、馬鹿にされだします。。。必ず。。。自分の弱みを隠す、まったくもって魅力無いリーダーになっていきます。

挑戦するけど、びくびくだよ。コーチングしているけど、ボクもみんなから学んでいるよ。自分が失敗したら、気にしない気にしないなんて口では言うけど、心ではしょんぼりしているよ。おっちょこちょいでよく忘れ物するよ。みたいな。

この弱さがあるから、普段のやさしさを超えた、強い信念が表れたときの、仲間・社員への影響は大きいと思うのです。法律違反や、仲間を裏切ったり、批判したり、約束を破ったり(どうしようもない理由以外で)、なんて時の「あるべき対応」です。

やさしいリーダーは、この手の規律の無さを許すことはありません。当然ながら厳しく対応すべきことですもの。規律と適度な緊張を生む。ただ、即人格否定・批判ではなく、原因・背景確認からですね。人が悪いのではなく、社内のルールや制度、システムの問題、あるいはリーダーシップの問題かもしれない(=つまりリーダー自分の責任)と思うことからスタートですが。

「人は、強さを見せるひとには敬意をいだくが、弱さを見せる人に魅力を感じる」(「なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか」ロバート・キーガン、リサ・ラスコウ・レイヒー共著、池村千秋訳、英治出版)らしいです。

「敬意」をいだく相手は、リーダーではなく、仲間ですね。リーダーが仲間にいだくもの。個々の、個性豊かな、自分らしい仲間ひとりひとりに、彼女ら・彼らにリーダーが敬意をいだく。

一方で、「魅力」を感じてもらいたい対象は確かにリーダーですね。仲間が社員が部下が、自分のリーダーを魅力的と思う。そうあって欲しいです。

だから、リーダーが見せる「弱さ」、大切だと思います。つまりは、素直であること、正直であること、飾らないこと。リーダーも自分らしく、人間味あること。大切です。

目指すリーダー像を、「やさしいリーダー」から、「やさしく弱いリーダー」にしようかしら。でも、ちょっと、本当に弱々しそうかな。。。「弱々しい」はダメね。こう思われるようなリーダーはダメだ。あくまで「弱さを見せる」ことができる、ということですね。ま、「やさしいリーダー」で良いかな。当面は。。。

「”やさしさに勝るものはない” 馬がいった。”すべてのうえに、しずかに存在している」

「”いちばん強かったのはいつ?” ”弱さをみせることができたとき”」

「”たすけを求めることは、あきらめることとはちがう” 馬はいった。”あきらめないために、そうするんだ”」

(「ぼくモグラキツネ馬」(チャーリー・マッケジー著、 川村元気訳、飛鳥新社))

なんて、ステキな言葉でしょう。



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