人間万事塞翁が馬。だけど、一喜一憂してもいいじゃない。
「トランプ、最悪だと思っていたけど、正直、日本にいて自分の人生にどんな影響があるかわからんし、運用している株がかなりあがって、このまま株価上昇が続けばそれでいいよな!いいじゃんトランプで!」と終始笑顔で自慢げ。
カフェで隣にいた若めのスーツ姿の方々の会話を盗み聞き。
いえいえ、万事塞翁が馬。一喜一憂しない。すぐに株価下がるかもよ。
それに、株価だけでひとを判断しないの。
それに、資産が上がった/下がったそんなことをいちいち口にしない。
と、そんなことを思ったのだが、あれ、なんで、一喜一憂したらなんでダメなんだ? 一喜一憂が人生では? と立ち止まる。。。
「万事塞翁が馬」は一喜一憂するな、とは言ってはいない。人生良いことも悪いこともあって、将来がどうなるかは現時点ではわからないよ。だから落ち込むことがあっても、前を向いて、上を向いて歩こうね、ということが本質だと思う。でも、一喜一憂の戒めと類似。
よく考えると「万事塞翁が馬」が腑に落ちない。
今、起きたことが、将来どうなるかなんて当然わからない。そりゃそう。
でも、どこかで線を引かないと、人生は連鎖しているから一生、続くことになる。今の結果の将来、その結果の将来、その結果の将来。。。終わらない。。。一生、淡々人生。。。喜ぶのも、悲しむのも、憂うのもそこそこにしていたら、非常につまらない人生になりそう。
あるいは、関係ないことまで因果関係にしてしまったり。「風が吹けば桶屋が儲かる」に早変わり???
ということで、こう落ち着いた。
どうせ人間万事塞翁が馬なら、良いことがあれば大いに喜んでニコニコすればいいし、憂うことがあったら悲しんだり愚痴ったりでもいい。
あのひと単純ね、なんて言われそうだけど、人生の浮き沈みをその一瞬を楽しめばいい。感情を巧みに制御したからといって良いことばかりしか起きない訳でもないし、その現象を喜んだけど、後になって最悪の自体に変わったり、引き起こしたりも、わからないものね。わかっていたら当然に喜ぶわけはないのだから。
一喜一憂しないと、やっぱり人生でないような。もちろん、それでも次に向かってクヨクヨを長引かせずに進もうという考えも良いけど、でも、ちょっとしんどくて、静かに沈んだ時間を過ごす時があっても全然良いじゃない。
まさに、この諺の主人公(中国の昔昔の哲学書に書かれている)である「翁」のように歳を重ねると、人生山あり谷ありを知って、経験もたくさんして、で、実は自分自身が大いに一喜一憂してきたから、笑って、悲しんで、折れて来たから、そんな人生だったから、今、やっと「翁」になって、そう言えるのだよね。
なので、そう達観できるまでは、感情的でいいかな。。。
おー、そっか、株価が上がったのね!それはよかったね!明日には爆下がりするかもしれないけど、ま、今は、大いに喜んで、目の前のサラリーマン仲間にコーヒーでもパンケーキでも奢ってあげたら!!!
お読み頂きありがとうございます。
(v10_1)