皆、心の余裕が無いのです(素敵なリーダーになりたい編_v4-1)
先日、昔の会社の30代の仲間とお茶した。それぞれが属する会社についての雑談に。共通的に、人の出入りが激しい。採用コストかかるし、教えるのも面倒だし、などなど。で、以下の話題に:
1.会社に素敵なリーダーがいない。これはどうしてなのですかね?
2.イイ仲間だった気がするけど、偉くなったら嫌な人に変わる。これはどうしてなのですかね?
3.でも、自分は素敵な(素敵以外の表現・形容詞もありますね。ポジティブな意味です)リーダーになりたい。そっちの方が効率的、効果的に数値結果が出るはずです。とにかく人を辞めさせたり、モチベーション下げさせないでぇー。
なんて。ま、1も2も3も同じことかな。そんな話題をぺちゃくちゃ・ぺちゃくちゃ。
1.会社に素敵なリーダーがいない
サッカーワールドカップ、WBCなどスポーツ界やエンタメ界には、いそうです、素敵リーダー。学校のクラブのコーチとかもいそう。映画やらドラマでも出会います。ま、本当は分からないけど。でも、なぜか普通の会社にはいない。
ボクが500名ほどでWEB調査した結果も、周りに、尊敬できる、付いて行きたい、一緒にいたい、安心する魅力感じる、素敵などなど、を含んで、高評価できるリーダーは誰もいない、との答えが半数。ちょっとした組織だと、自分の周りに「リーダー」と呼ばれる類のひとは複数いるはずだけど、誰にも魅力は感じない。1人ぐらいはいます、という声が残りの半数。
2.イイ仲間だったけど、偉くなったら嫌な人に変わる
そういうものなのですかね。。。
・皆がそうだから朱に交わり赤くなる。
・上の上がそうだから釣られてそうなる。そうならざるを得ない?
・自分はいじめられた。ならば、いじめられる立場になったのだから、過去を取り返すべく(自分がいじめられて終わるなんて損は嫌)、いじめる。
・のしかかってくる責任がそうさせる。
・予算追求のプレッシャーがそうさせる。
・偉そうにできる快感に溺れる。
・自分の固有の成功体験を汎用的と勘違いして押し付ける。
・そして部下が思うように動かないから切れてあげよう。
などなど。
元凶は、会社・組織というのが、「目標レベル」と「自己負担レベル」が異なる複数の人々で、上下関係という構造で存在する、からかな、と思うのです。だから思考・行動に差が出るし、個々人で相手がどの目標・自己負担レベルかが理解し得ない(個々人の考えを相対評価で見える化なんてできない)から、相手がおかしい、と思って、自分の気分を害す。イライラ。
WBCでの優勝を目標にするひとと、グループリーグで1勝すればよいひと。そんな2人では、一緒に練習しづらい。
年間10億稼げると思う営業マンと、いや、5000万でも難しいでしょ、と思う営業上司では会話が合わない。こうなったら膝を突き合わせた対話が必要ですよね。
会社に10億円投資(負担)した経営株主と、月収30万円で月曜から金曜までの自分の時間を負担しているサラリーマンでは、前向きさ・積極性・どうにかしたい感は当然違う。
社長になるぞ、と意気込み、土日も誠心誠意取り組む(自己負担する)社員と、家がお金持ちで趣味に生きる仕事は最低限で良い社員では、何事にも差が出る。
適切に指導して自分を成長させて欲しい、そんな目標の人と、そんなことは自分で考えて勝手に成長すべき、まずは言われたことをやることが勉強、という思考の上司では、折り合わない。
誰も悪くない。けど、レベルが違う。から、いざこざが。
こんな「目標レベル」と「自己負担レベル」がバラバラな多数が織りなした主従関係。相互にイライラしちゃうし、主従関係を有効活用して、暴力的、高圧的、圧制的になる。逆に部下側は、受け身で、いじめられているように思う。
後輩のひとりが、でもでも、って、課題提起を継続。
でも、そうじゃない素敵なリーダーもいますよね。どうしてこの方は存在できるのかしら。チームを束ね、結果も出す。メンバーも人格的、知性的にも成長する。そんな上司。組織にいるのにどうして、できるのかしら。
教育されたのでは、との結論に。組織からではなく、社内外の素敵なリーダーに偶然?出会って。
そう言えばこういう教育ってないですよね、組織的に。あるのかな?大企業はあるのかな? 一朝一夕には育たないでしょうけど、継続的なリーダーシップを考える教育。いいですよね。
偉くなるのは、どの段階であっても:
だいたい過去の営業成績が良かったから(個人や自分のチームが)。
上にプライベートや
仲良しの上に引っ張られた。
何らかの派閥をうまく利用した。
この仕事をできる人が他にいないから選ばれた。
何かすごい企画を提案した、とか?
人格的に、知性的に、リーダーシップがあるからではない???
だから、リーダーシップを発揮すること、人を率いるというArt的なこと、が、わからないのではないかしら。それが悪いわけではなくて、自分の目の前の仕事で一生懸命だったから、わからないのではないかしら。
出来る人は知らず知らずに教育されて、学びを得ていたのかなと。偶然にも稀有な素敵リーダーの下について。OJTで、時にその人からのOffJTで教育されて。
とにかく、部下に慕われ、部下を人格、知性的に成長させ、チームを束ね、結果を出す、そんなやさしく強いリーダーを、素敵なリーダーを創出しないとですね。まずは1人でも。トップがそうだと下に下に派生するでしょうし。学びの場、機会が必要なのでしょう。こう至ったのでした。
でも、と、後輩がさらに付け加える。この学ぶ時間的「余裕」、心の「余裕」がないのでしょうね。多くの上司に、リーダーに、組織に。
組織も、個々人の「上司」も、競争環境で、スピードが求められて。急がば回れ、ができない現代の環境。木を切るのに精一杯で斧を研ぐ時間がない。時間感覚がとにかく「あせらせる方向」が現代。教育が重要と皆が言うが、木を切るための教育。斧を研ぐ教育はない(ような)。
自分のリーダーシップは好きじゃ無いって気づいている人もいるし、変えたいと思う人もいる。一方で、イヤなやつでも会社で成功している場合もあるから、ちょっとは部下に悪いけど現状で良いか、と割り切るひともいる。そして、みなが「余裕」無いから変えなくていいや。そういう現実なのでしょう。
自分で、自問してみる。内省してみる。心の「余裕」が自分にはあるのか。適切に部下をリードするに足る「余裕」があるのか。無いなら、なぜ無いのだろう。目標への自信の無さ?自分への自信の無さ?能力、知識への自信の無さ?ビジョンや会社の向かっている方向、方針への疑心?なんだろう?自分を知るっていいことかなと。これがスタートのような。
「素敵なリーダー」: 自分のことを知っている。ときに内省して。そして誠実・素直・正直である。飾らない。すごい上司だぞ!って見せつける必要はない。だから心に余裕ができる。そうすると上手く回り出す。別にスーパーマンじゃないんだから。自分の自信の無さを、不出来さを、隠し、抱えるプレッシャーを部下にあたって分散するような姑息な真似はやめたい。
こんな素敵なリーダーになりたいですね。