学びの場をデザインする ~主体的で協働的な学びの実現を目指して~
県の高教研「生物部」夏季研修会
8月8日に県の高校教育研究会「生物部」第4支部の夏季研修会の講師を担当させていただいた。研修自体を「対話的で協働的」な進め方で行う予定だったのだが、思わず「従来型講義中心の授業」のような進め方をしてしまった。つまり、こちらから、講義を行い、ところどころで質問を受けてそれに完全解答の形で応えるという講師主役の講義を行ってしまった。このやり方は、生徒主役の授業時間においてはやってはいけないことと考えているものである。なぜダメだというと、『先生がいいかっこをしておいしいところを全て持っていく』形だからである。学校という”生徒が学ぶ場”においては、常に生徒が主役となるように、すなわちどのような場面においても、「生徒が自分で学んでいると感じる」機会となるように意識していかなければならないと考えるからである。
その中で、どのような話をしたのか、その裏にはどのような思いがあるのか、話すことができなかったこともすこし含めて、ここに簡単にまとめておきたい。
学びを探究化する…学習指導要領に沿って
これからの(現在も…)社会を生きていくために必要な力はどんなものなのか…常に、そこに意識を向けて授業創りを考えていく。ここでは、「情報知識基盤社会」「社会構成主義」「コンピテンシー重視」に基づいて考えて授業を組み立てている。
そこでみていくと、現在の時間のなかで、そのまま社会で役に立つことは「特別活動の時間」に身に付くことと「授業の中では探究する時間」ではないかと感じている。これからは、総合的に探究する時間と教科の中で探究する時間で、自分で課題をみつけたり深く考えたりする機会を創っていく。
探究についてだけではなく、今回の学習指導要領についての理解をしておきたい。個人的には、しばしば霞が関へ出かけて、学習指導要領作成時の中教審関連の会議における議論を傍聴し続けたことで、その現場の熱も含めてその理念を理解したつもりである(現在は会議の記録や答申の内容が文部科学省のホームページに残っている)。今回の学習指導要領には従来にはなかった統一された「前文」があるので、少なくとも前文と総則だけは読んでおくことが肝要なことと考えられる。
アクティブラーニング型授業を…
「アクティブ・ラーニング」というと「もう終わったこと」のように言う人がいるが、そうなのか……
「主体的・対話的で深い学び」という表現に置き換わっただけである。カタカナで『アクティブ』と言われてただ動き回るだけだと批判されたからであろう。だからといって従来型『講義授業』でいいわけではなかろう。それで『頭の中がアクティブにはたらいているからいいのだ』ということでなない。それ以上の意義があるから、この用語を導入し用いているはずだ。
よって、ぼくは「対話的」な学び、すなわち”協働的な”学びを行うことを重視し、意識して授業を協働的に学べるように構造化している「つもり」である。固定的な同じグループ(やペア)で行うのではなく、場面によって変化を加えてできるだけさまざまな考えをもった多様な人と考えを交換して欲しい、刺激を与えあって欲しい。そこで、お互いに自分の考えが磨き上げられできあがっていく”感覚”を味わうことができると考えているのだ。
そして、このような過程を通して、人と協働することの価値を感じ、社会においても家庭生活においても、自ら積極的に協働する人に育つことを支援することができると感じているのである。
KP法
このKP法自体は「主体的・対話的で深い学び(いわゆるアクティブ・ラーニング)」の方法ではない。「主体的・対話的で深い学び」を進めていくための強い支援ツールなのである。
教師からの説明時間を徹底的に節減し、さらに生徒(集団)に教師の視線を集中させられるという利点がある。具体的にはどのように組み立てるかはさまざまな工夫が可能である。自分自身、今まで、複数の教科科目指導において、また、進路指導や受験指導、年度初めの保護者会などにおいても利用してきた。
演劇的手法
さまざまな「主体的・対話的で深い学び(いわゆるアクティブ・ラーニング)」のなかで、最もアクティブ・ラーニングらしい「アクティブ・ラーニング」と考えるものである。
具体的には、「フリーズ・フレーム」「ホット・シーティング」など多くの手法があるが、いずれも生徒が主体的で協働的活動的になる授業を創り出すものと感じている。多くの手法があるので、その生徒集団その教科科目に合わせて考えて、選ぶことができる。教師としては、まさに、適した「学びの場創り」を行うチャンスでもある。身体をつかう方法であるが、それこそが身体ごと「考える」ことにつながっているものと感じている。
(知識構成型)ジグソー法
これは、年に数回(試験前や学期終了直前のまとめの授業などのとき)に用いている方法である。自分が担当してきた複数の教科科目、どれにでも使うことができるツールである。しかも、生徒ひとり一人全員が「責任をもって」情報知識(あるいは考え)の交換を行うことができる。実際に運用するときには、教室の(生徒の出席)状況に合わせて、ワールドカフェ方式に変えることもある。
「怖くないですか?」
これは、しばしば訊かれるところである。この記事を全文読んでいただくと解決できるかもしれない。あるいは直接聴きに来ていただきたいと思う。
まずは、用いてみる、やってみることから始めることである。上手くいかなかったら次にはその経験を活かして工夫すればよいのだと思う。はじめからすべてうまくいくなんて思ってはいけない。これって、当たり前のことではないだろうか。そこで、必要なことは二つだけ。それは……
評価に求められることは
今、必ず話題に上るものの一つに「評価」がある。ペーパーテストで多くの部分を決定してきた。そのためペーパーテストであれば、公平公正な評価ができると思い込んでいる人がまだまだ多数いるようである。しかしそうであろうか。ペーペーテストで、知識やその知識を用いたもの以外の力がどれだけ測れるのであろうか。しかも、知識の面に関してみるだけでも、公平といいつつ、学んだことすべてが出題されることはあるまい。たまたま覚えていたところ、得意とする分野が出た有利になるのではないか。これでは、とても公平公正なこととは言えまい。ただ単に採点上、「客観的で公平にみえる」だけではないか。
そのような中で、絶対評価や3観点評価などもろもろのことが取り入れられ、求められるようになってきた。客観的な形式のペーパーテストのみでの評価は許されない状況となっている。これこそ、我々教師が、どのような学びを目指しているのかを示し、学び方や進む方向をみせるチャンスではないだろうか。
変化する「授業」
担当の教科科目が同じであったとしても、その学校ごと学年ごとクラスごと、さらに生徒ひとり一人の様子によって、授業の進め方や用いる手法(の組み合わせ)は変えている。初めて担当するとき(4月の段階で)は、一つの予想を立て(だいたいは従前に合わせて)授業の進め方を考え、それを生徒(や保護者)の皆さんに示して説明することから始める。
それは、こちらから一方的に講義しこちらから質問を投げかける形ではなく、生徒同士、生徒とぼく(教師)がコラボレーションして学び合う「形」にしていきたいからである。そのための一つの型を提示して始める。しかし、それが「この場(=この教科科目+この集団)」にフィットする保証はない。そこで、多くの手法を準備して、必要に応じて変化させていくのである。
授業における生徒の様子(授業に向かう姿勢)及び授業後のリフレクションやアンケート)をみて、授業の進め方を変えていくことはよくある。学校種、学年、教科科目はもちろん、公立私立、どのような生徒たちが通ってきているのかだけでなく、その学校が保護者地域から求められていることによっても変えていくことがしばしばある。同じ学校でも、年度によって変えることが必要となるときもある。同じ学校でも、生徒は異なるのだから当然といえる。その覚悟をもって、いつでも変えられるように、いつでも変われるように注意している。
毎年、4月から始まった授業については、ちょうどゴールデンウィークのときに振り返って、必要に応じて授業の流れ、用いる手法などを変えることが多い。また、内容や項目の切れ目など機会に応じて、普段とは異なる方法を取り入れて、学びに変化を加え、多くの学び方を体験するチャンスを創っている。【現在の授業の進め方については、別途画像で提示】
「愉しくなければ学びじゃない」
正確に表現すると、これは「愉しく感じなければ学びにならない」いうことになるだろうか。誤解を恐れずに言い方を変えると、『勉強はさせたくない(させてはいけない)』ということになるあろうか。
これは、もちろん、初めは自分の体験からきているものであるが、積極的に学び、伸びていく生徒、さらに社会に出て活躍している(=愉しんでいる)人たちを観ていると、多くの生徒たちがそのように学んできたと感じるからである。
無理やり『押し込む』のではなく、「何かおもしろい」「もっと知りたい」「なんでなんで…」と興味・関心と好奇心によって掻き立てられそしていつの間にか学んでしまう…そんな生徒に育ってほしいのである。
従来型学力の保障
理想や未来社会で生きる子どもたちのことを考えていても、現実に「大学入試」がやってくる。最近は、上のような理想的な方法でせめていって、難関大学の推薦入試・特別入試や総合型選抜において入学できるようになってきた。しかし、それでも(上位大学においては)それは全体から見れば大きい数とは言えない。そこで、従来型学力をつけることが求められる。
ところが、この”アクティブラーニング型授業”やそれに合わせた”テスト形式”によって、そこは解決できるのである。そこは実際の試験問題(ルーブリック付)や解答用紙をみて判断いただきたい。
それでも、不安な場合や得意不得意があることは否定できない。そう、いわゆる「主体的・対話的な」手法を常に用いる必要はない。ぼく自身も、さまざまな手法を用いるとともに、一方的に講義と質問をしてこちらのペースで進めていくこともある。あくまでもそれだけでは『よろしくない』というだけである。特に、従来型学力受験が中心の『進学校』においては、受験が近づいていくにしたがって、そのような時間が多くなることは致し方のないことかもしれない。ただ、それでも、社会に出てからの生徒の姿を想像しながら、「主体的に考え協働的に動く」ことを学校の中で、特に授業の中で進めていくことはなくてはならないことであろう。
ブレない自分をつくる
「自分の教育方針はコレである」ということをしっかりと自覚し明示することが最も重要なことと考える。何を目的として、何を目標に生徒と時間を共有するのか、そこを発揮るとしておかなければならない。それなしで、ただ単に「○○をマスターさせる」的なものであるならば、必ずしも自分があるいは人間が教える必要はないのではないという結論になってしまわないだろうか?
だからこそ、私たち、自分自身が意識的に「自分(の考え)」を確立しておかなければならないと考える。そのためにこそ、私たちは「学び続けること」求められるのである。それは、すなわち、「自信ある自分を創る」ことが肝ということである。
リフレクションを大切に
どんな素晴らしいことを学んでも、どんだけ役に立つことを習っても、そのままにしておくと真には身に付かずに消えてなくなってしまうことが多い。それはもったいない。また、毎時間における学びは、自分に適した「学び方(学習方略)を身につける場」になっているのであるから、それを意識づけすることができるようになるためにも、できるだけリフレクションの機会を多くつくることが大切である。この方法もいくつかあるが、基本的には一人(自分だけ)で思い返す時間、そして時にはペアやグループ(クラス全体でもいい)で共有し示しながら自分の思いを伝えあう、そんな機会もあるとよい。
このようなことを繰り返すことにより、メタ認知の力をつけていくことも考えている。
間違いのない自分をつくるという気持ちで…
学び続けることが大切……これは、当然のことなのであるが、あえて強調したい。もちろん、ここにはいくつもの意味がある。
これは、担当教科科目についてもいえることかもしれないが、ここには、それ以上に多くのことがある。私たちが学校で当たり前のこととして行われてきたことについても、生活や健康に関連することも自分で知識を更新していくことが必要であろう。
社会の変化が大きいので、新しいこと新しいもの…がどんどん出てくるということもある。あるいは、従来学んできた内容が新しい発見により変化したり修正されたりすることもあるだろう。また、私たちが、子どもたち生徒たちに、前向きに努力している自分の意欲や後姿をみせていくという意味もある。
無理はしない
上のことと同時に、『できないことは無理してしないようにする』ことが大切である。従来、どの先生もみんながだれでも同じこと(指導)ができることが求められてきたように思われる。その結果、合わせることができない場合は、低い方に合わせることにもなりかねない。また、無理にできないことを行おうとせざるを得ないこと(人)も多く、そのために不得意なことに時間とエネルギーを無駄遣いすることにもなってきた。
そこで、自分で自分の得意分野をつくり自分自身を育てていくこととともに、無理なことは無理とはっきりと表明するとともに協力を求めることが必要である。自分の得意指導分野をしっかりと育成するとともに、不得意なことに対しては、どこまで介入していくのか、これからのことを考えてどこまで自分を育てるのか、自分で自分の力を見極めていくことが大切であろう。
そのためにも、自分の得意分野を意識的に創り、積極的に周りに協力していくことが重要である。
常に覚悟をもって
上の項目とは矛盾しているように感じられるかもしれないが、なんといっても、教育は未来を担う子どもたちのこれからに影響を与えることは間違いない。そして、その価値にこそ魅力を感じて、これだけブラックといわれても、こんなにキツくてもこの仕事を選び続けている先生方が多くいらっしゃることと思う(自分もそのようなうちの一人と感じるのでそのように考えている)。
そう感じる以上、自分の担当した生徒たち子どもたちを”絶対に幸せにするんだ”という気概をもっている。もちろん、ほんとうにできる保証なんてできないのであるが、そのような覚悟(=意識)をもって進めていきたいと考えている。
御礼
研修会に参加して聴いてくださった先生方、ありがとうございました。
これから授業を観に来てくださる先生もいらっしゃるようですが、大歓迎です。ぼくも観ていただいて、感想やご意見をいただけると励みになるとともに次への改善へも結び付きます。これからもよろしくお願い申し上げます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?