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「教師に指示されているかぎり、僕らは何も学んでいない」 -------『たった一つを変えるだけ』より

このこと、重いですよね。
ぼくは個人的には、120%同意します。
そう、きっと、ぼく自身の思春期の体験がそのように感じさせるのでしょう。
だからこそ、20年以上にわたって、今でいう「アクティブ・ラーニング」(主体的な学び・対話的な学び・真正な学び)を求め、学び続けて、さまざまな実践をしてきました。

「生徒を信じる」「生徒に任せる」

できる限り全てのことを生徒に託す……それこそが、生きていくための学びにつながるはずです。それは、もちろん、授業の中だけではありません。いや、むしろ、授業以外のところでこそ、任せる価値のあることがいっぱいあるのが日本の教育制度ではないでしょうか。
しかし…
実際に、教育現場(学校)に赴くと、今まで(自分が勤務するところは)全てのところ(ただし一箇所だけ保留とさせてください)において……((+_+))

具体的には…

 学校において、通常の授業以外にさまざまな行事や企画があります、その行事等をどれだけ生徒に任せられるのか、任せられているのか…これが大きな目安だと考えられます。どんな行事にも教員が出しゃばっている、仕切っているのは教員…そんなことでは、生徒は育ちません。特に、高校や中高一貫校では……「教員が出てくる」ということは、「生徒に任せられない」ということです。ということは、そのような学校は、「先生方が生徒たちを信じていない」と捉えられるのが当然ではありませんか?
そして、学校という教育現場の中心は何と言っても教科・科目の「授業」でしょう。そこにおいて、いかに、上のことを意識して授業を展開できるのか、すなわち「学びの場つくり」ができるのか…これが重要です。授業時間での学びをできるだけ生徒中心にしていく、それこそは、生徒を信じることから始まるのではないでしょうか。
ペーパーテストや授業態度などで縛っていくということは、生徒の主体性や意欲を削ぐだけのことではないでしょうか。学校を「学び方を学ぶ場」として、しっかりと位置付けて一生使える力「ものごとの見方」「ものごとの考え方」「自分の学び方」を育てていきたいと思っています。そのためには、常に自分自身が学び続けなければいけないと考えています。その割には、さぼっています。もっと、がんばらないといけませんね……(;’∀’)

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