何が正しいんだろうとか、優しいって何だろうとか、そういう輪郭のないもの
久しぶりに本を読みました。とても好きな作家さんです。
河野裕『昨日星を探した言い訳』
LET’S WALK UNTIL DAWN,
FOR THIS EARTH TO WELCOME
TOMORROW
彼(坂口)が倫理について述べる言い回しは独特で難解で、どうしようもなく婉曲的だ。その難しい言い回しの半分くらいはほとんど完璧に理解できる(と感じている)。僕自身が時々考えること、感じること、ぼんやりと捉えようとした結論のようなもの。彼の話がそれと大体同じところにたどり着くからだと思う。
こういう類いのものは、何かはっきりした言葉で表せるものではなくて、何度も遠回りしながら複数の表現で何となく輪郭をなぞろうという努力が必要な気がしている。その努力が滲んだような言い回しにどうしようもなく惹かれるのだ。心の中の何かもやもやしたものを、その もやもや のまま言葉に落とそうとする感覚が僕にも多少あるけれど、それをもっともっと洗練したような言葉だった。
全くの外側からは、きっとその話題の重心を探り当てることはできない。でもその話題について、何か思うことがあったなら、それが過去の一瞬だけであったとしても、僕らはそのときの感情や違和感、疑問をどこかで覚えていて、この本の表現のひとつに「何となくわかる気がする」って思うのかもしれない。
それが、僕が共感し感動した半分。でも残りの半分は、まるで意味のわからない、意味深な言い回しでしかなくて、言葉並びはとても美しくて親近感があるのに僕はその何一つ理解できない。
きっとそのことに対して、僕が考えたことがないのだ。そのことに違和感を感じて深く考えてみたことがないのだ。
僕は完全に外側にいるのだろうと思った。だから話題の重心を探り当てることができない。その魅力的な、独特で難解な言い回しに対して何か共感したり、経験や実感をもって理解することができない。ただ素敵な言葉たちだと感動することしかできなくて、何か大事なことを言っているのだろうと思うのだけどそこまででしかなく、それが歯がゆくて少し悔しかった。
その「残りの半分」は本当は意味のない言葉なのかもしれない。意味のない、というのは少し違うかもしれないけれど、作品を書く上で生まれた、彼らの感情のかけらでしかないのかもしれない。でも、そうではないのじゃないかという思いがしてしまう。本当にその言葉や価値観には、僕らが日常で見逃してしまっていた大事な何かが隠されていて、僕が疑問にも思わず通り過ぎてしまった分岐点や段差、壁、風、匂いなんかが表現されていたんじゃないか。
そのちょっとした違和感程度の何か、自分の価値観とのずれ、誰かの価値観や目線とのずれ、考えたこともなかった思考回路や感情。河野裕さんの世界は、次の瞬間には忘れてしまっているような違和感から完全な価値観のずれまで、一つ一つ拾ってくれる気がしている。
その世界観がとても好きだなあと思う。この小説に僕は今とても感動しているんだけど、それは多分、この作品が、僕が大きく価値観と表現するもの(本の中では「倫理」と呼ばれるもの)をテーマの一つに描いているからだと思う。これ以外のお話では、能力者とか魔女とかも出てきて話の本題はあくまでそちらだった。世界を最大3日前までさかのぼってリセットできる少女とリセットされた世界を覚えていられる少年、現実の自分が捨てた人格の一部が集められた階段島、自由に能力を得られる架見崎(フィールド)とプレイヤー、未来が見える能力を持つ少年など。その中で光る主人公やヒロインが好きだったけれど今回はまさに価値観に注目しているものだから、主人公の価値観やスタンス、その描き方に惹かれていた自分にとって、この世界は輝いて見えるくらい魅力的だった。
河野裕さんの描く主人公とヒロインは大体共通しているように思う。
主人公は大抵男の子で(視点が他の登場人物に切り替わることもある)、無口で思慮深く聡明で、勇気あるタイプというよりは悲観的で自信がなく、自分の価値観や行動基準がしっかりしていて、そしてヒロインの子のことを、一つの恒星を大事にするような感覚で好いている。
ヒロインの子は何か自分にとっての理想(の価値観や概念)があって、敵を作ったり理解されないこともあったりして、でも主人公の僕は理想を追うまっすぐな彼女が大好きで、彼女に変わらず恒星でいてほしいと思っている。だから彼女が変わらず彼女でいるためなら、自分がいろいろと手を回すことも肯定して(受け入れて)いる。
なぜこんな風に、風が吹けば散っていくだろう感情を表現できるんだろうっていつも不思議に思うし感動する。
何が正しいんだろうとか、優しいって何だろうとか、平等って何だろうとか、面白いくらい不思議な言い回しで彼らは彼ら自身の中にあるぼんやりした、輪郭のないもやもやを言葉にする。
「平等って何だと思う?」
「君の嫌いなところを一〇〇個唱えることだよ。それから大好きなところを、ひとつだけ唱えることだ」(河野裕「昨日星を探した言い訳」p124、125)
茅野がイルカの星を夢見たように、僕もこの世界観の中で彼らと生きてみたい気がしてしまう。
河野裕『昨日星を探した言い訳』角川書店