【読書感想…?】"魂を愛してほしい"

2022/1/12〜

ためこう『カッコウの夢 上』に出てくるフレーズ。なぜ「僕を」「私を」ではないのか、というところにこの作品のネタバレが含まれるため、この先ご注意下さい。

併せてこの作品はBLです。原作を読まれる方はご注意下さい。ただしこの文章自体はBLだと知らなくても理解できる(BLだろうと何だろうと成り立つ)ようにと思って書いています。

(*この文章は完全にネタバレを含みます)



この作品は、主人公の高校からの片思いの相手である白鳥と、主人公のいわゆる"セフレ"である瀬野が交通事故を起こして入院するところから始まる。比較的怪我が軽く先に目を覚ました瀬野が、突然「自分は白鳥だ」「体が入れ替わったんだ」と言い出す。

白鳥(の身体)は眠ったまま。その言葉を信じるしかないようなことがいくつか起こったのもあり、主人公は瀬野(の体に入っている魂)を白鳥と信じるようになる。その後、紆余曲折あって両思いになる。。それが、上巻の最後から下巻の始めにかけて。


取り上げたセリフは、上巻の後半、主人公の告白を白鳥(身体は瀬野)が受け入れたあたりで登場する。


両思いになったはずの白鳥(体は瀬野)が、距離を縮めようとする主人公を拒んで、もうやめてくれ、と苦しそうに言う。

「魂を愛してほしい」と。

そんなことを言われても、瀬野の体に入ってしまった"白鳥"を、主人公だって愛している。これまでの片思いが実ったのだと喜んでいたのに、やはり(同性の)自分じゃダメだったのか?
そんな風に声を荒げる主人公に、それでも白鳥(以下同文)は泣いている。





ネタバレをしよう。








想像のついた方もいるかもしれないけれど、本当は体なんて入れ替わっていなかったのだ。

瀬野は、以前から好きだった相手(主人公)に近づいて関わりを持っていた。交通事故をチャンスとばかりに、白鳥のふりをして自分を見てもらおうとした。愛を向けてもらおうとした。けれど、(瀬野の身体の中にいるのが)白鳥と信じて疑わない主人公の、自分に向ける気持ちの差に傷つき、さっきの言葉を呟くのだ。

「魂を愛してほしい」と。

外側の瀬野(=今まで通りの関係や感情)ではなく、主人公が信じて疑わない(内側にいる)白鳥でもなく、主人公のことを好いている、この魂を愛してほしい。この魂を信じてただ愛してほしいと。

だから、「俺(主人公にとっては白鳥と信じている存在)を愛してほしい」なんて言葉にもなり得ない。主人公の、白鳥への思いの強さを痛感して、本当は瀬野だと告白もできないのに、白鳥のふりをしたまま、そのフィルターを通して主人公に愛を示してしまう。主人公はそれを受けて入れてくれる。愛を向けてくれる。それが嬉しくて、でも苦しい。白鳥として愛されるのがこれほど苦しいだなんて。だから、君への愛を示している、この魂そのものを愛してくれないかと。


ちなみに、嘘がバレた後、主人公は瀬野の正体を知って何故か安堵する。瀬野が自分を嘲笑うために騙したのではないと理解するから。(たとえその相手が白鳥でなくても)あのときもらった愛は本物だったのだと、そう気がつくから。


ためこうさんの作品の中で一番好きな物語です(その次に好きなのは"ララの結婚")。



ここからはちょっとした派生のお話。



「魂を愛してほしい」
この言葉、初めて読んだ時はあまりニュアンスが掴めなくて。意味はわかったけれど、本当にそこは"たましい"という言葉が口をつくシーンなんだろうか。作品の都合上、そうせざるを得ないとして、その時の瀬野はこれを、どんな心境で呟くんだろうか。

だから、ずっと記憶に残っている。こうして、向けられる好意や期待が、すり抜けていってしまうことが私もにあったような気もして。


ひとつ段階を下げて考えてみようと思ったことが何度かある。外見ではなく、内側を見てほしい、という意味で、捉えてみるということ。

例えば僕は女子扱いされるのが苦手だから、この場合「魂を愛してほしい」とは、「女子としての私ではなく私という人間を愛してほしい」になる。…じゃあそれは具体的にどういうことなんだろう?女子扱い、に当たりそうな言動を控えてもらえば良いんだろうか?それか、異性だと思ってもらえば気がすむのだろうか。それとも…?

また別の例を考えてみたりする。ある女子が男の子と付き合っていたとする。頼りになるところ、背の高い彼と手を繋ぐこと…が好きだったとしよう(文字面がもう俺には似合わねー)。
でも残念ながら彼とは別れることになった。と、ある日めちゃくちゃ格好良くて背の高い、(ボーイッシュな)女の子に告白された。
頼りになる、背も高く手を繋ぐと自分より少し高い体温に安心する…。だから付き合ってみることにした。
どこが違うのだろう?彼女のことを男の子だと思っているんだろうか(三人称を彼女として良いのかの議論はここでは割愛させていただきます)。それとも、男の子のように接しながらも、時折思い出すのだろうか。それとも、魂を愛しているの?

だけど、彼女が「男の子だと思って接してほしい」と言ったなら、それはどういう意味なんだろう?

でも多分、そんなに気にしなくていいような気もしてしまう。どうでもいいこと、という意味ではなくて、その子の背後に見え隠れする両岸を知りながら、変わらず愛していれば良いと思う。その子の魂を愛していれば良い、なんて言うとあまりにスピリチュアル(と呼ばれるもの)に寄りすぎる気もするけれど、まあこの文脈ではそう言ったって良いだろうとも思う。その魂がどんな色を含んでいようと、こちらが外側を捨てきれない場合だってあるだろうし、それが駄目でもどちらも悪くなんかないと思いたい。

だけどどうなんだろうか。反対に瀬野の立場で、「僕という人を愛してほしい」とか「〇〇として接してほしい」とか口にしてしまうとき、それは本当に本当に、どこまで言葉に忠実なんだろうか。

それが嘘だとか建前だとかではなくて。
僕ならきっと、よくわからないけどそう口にするのだと思う。そうとしか言葉にできない、解像度の低い雲みたいに曖昧な感情がきっとそこにはあって。そんな言葉を口にしてしまうとき、僕ならもしかしたら、そういう曖昧な感情を抱いているかもしれないと思う。そうであったような気がするんだ。

きっと人は、外側とどこか食い違う内側の(本来の?)色を認識していて。その色(という前提から見える景色や理想みたいなもの)と矛盾する言動に違和感を覚え、矛盾しない言動に、(場合によっては絶対評価でなくても)プラスの感情を重ねていくのかもしれない。

「女子として愛するのではなく、私を愛してほしい」
「男の子だと思って愛してほしい」
それは、世の中のよくある男女間の恋愛イメージに則ってほしくない、とか。逆に則ってほしい、とか。もしかしたらそのくらいの意味なのかもしれない(場合と文脈にもよるだろうけど)。
だってほら、それは簡単に色の違和感につながるから。でもそれは曖昧な感情にどうにか言葉を当てはめただけで、「魂を愛してほしい」ってじゃあどういうことよ、なんて説明を求めるものじゃないのかもしれない。説明を求めても言葉にはならないのかもしれない。

だって多くの人にとって(そこに僕を含めることもあるけど)、「女子としてではなく、私を愛してほしい」なんて難しい哲学の問題じゃないか。


何でそう思うんだろうって自分でもよくわからない、感情から発せられる言葉のような気もしてしまう。そういう、よくわからない自分の感情をなんとか言葉にした、理性よりも感覚に近い言葉なんじゃないかなと思ったりする。


だから、私は何も知らないし何もわからないけれど、こう思ったのです。
装いにどきりとするその反応を期待して、窺って。楽しんで満足気だったかもしれない。そんな表情を、思い浮かべてしまう。
そしてどきりとした時点で、その感覚に近い願いはひとつクリアされた可能性もある。僕なら、きっと嬉しいし楽しかっただろう。
線を引くのは僕もするし、それは可能性を考え疲れないために必要な手順でもある。
ただ僕は(そのお話を読んで)感覚からの言葉のような気がしたから、しばらく経っても気になっていたのだと思う。正解がなく、その人にとっての不正解だけが存在するようなイメージにも近い、「魂を愛してほしい」に対応する言葉たち。その願いの源は、きっと世の中の一般解に由来するような気もしていて。一般解に違和感を覚えるから、そうではない何かを探しているような。そして恐らくあなたは、どう転んでも世の中の一般解には当てはまらない。

スカートが可愛くてどきりとすれば、僕は「可愛い」と言う(別に男子でも女子でも言う)。感覚は実際に感じたものなのだから、僕にとっていつも正しい。感覚は、感性は、言葉にしないと伝わらないまま世界から消えていってしまう。

理性がどうとか、理想がどうとか、定義は何かとか、関係ない。理想は格好いいとすら思わないことかもしれないけれど、それでも僕は口にしてきた日々だった(そういう理想と価値観の話は「イルカの島」として『昨日星を探した言い訳』の中で描かれています、少し違う話かもそれないけれど)。

楽しそうに見えたのならそれが正しい。多分あなたはどこからも外れていなかった。外れたように見えたなら、それはどちらか(または双方の)小さな恐れか気まぐれか。それが、文章を読んだあとの私の感覚です。

楽しそうなお話だなと思って読みました。随分と時間が経ったけれど、こうして感想を。



***


何でこのお話を思い出したんだっけ…



疲れてても読みやすい記事に、とは思ったけれどそうなっていればいいなと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。






今回ご紹介した作品
ためこう『カッコウの夢 上下』
(祥伝社 on BLUEコミックス)


20:24

なんで思い出したのか、思い出しました。
本懐、の可能性を2つ考えたのです。
正解の方と、そしてもうひとつ、その単語をあなたが使いそうな場面を想像しました。
ほら、あなたは"自分の願いも叶うかもしれない"と言ったから。
そうそう、だからこのフレーズを思い出したのだと思います。あなたの本懐はとげられたのかな、と。思い出した、というより、再度同じ思考を辿った、という言葉の方が近いかもしれません。

余談でした。

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