食に関する考察
衣食住の中で一番興味がないのは食。
「食」って生命に直結するとか「世の中には食べられない人が沢山いる」って話が「食に興味がない」と言わせてくれない。
私にとって仕事は「生活するため」というよりは「好きなこと」大げさに言えば「生きがい」だ。
小さい頃から獣医になりたくてなりたくて仕方がなかったから
なれた時は嬉しかった。まあその割に遊びまくって自分で勝手に相当困難な道にしたし、なってからも怠けているから「ほんとかよ」って自分でも思うけれど、まあとにかくなりたかったものになれて幸せ。毎日獣医ができて幸せ。お金がありまくっても仕事は続ける。
夫も小さい頃から牛の獣医になりたかったそうな。今その仕事に就いて
さぞかし幸せだろうと思う。
結婚してから、私にとって仕事は「生活のためではなく・・」って夫に話をしたら鼻で笑われて「俺は生活のために仕事をしてるんだ。そんな甘い考えの人とは違うんだ」的なことを言われたことがある。
確かに生活のためにしたくない仕事をしている人はいると思う。
なりたい職業になれなくて毎日地獄だけど「生きていくため」と思って仕事をしている人の方が多いかもしれない。その人たちに言われるならまだわかる。
でもうちの夫、なりたい仕事に就いて私と結婚する前からその職業なのに
なんで結婚した途端「俺は生活のために仕事してるんだ。えっへん」ってなるわけ?
いや「えっへん」は私が付け足したけど、どう聞いてもその声聞こえちゃったもんね。
ほんとにアホな奴と思ったけどそんなにイキりたいもんかね。
「好きな仕事ができて幸せ。結婚しなくたって君がいなくたってこの仕事するよ。だって好きだもん❤」って言った方がどれほどかわいいかわからんかな。
まあもちろんそんな「えっへん」話はこちらこそ鼻で笑ってやったから
それから彼はそんなことは言わなくなった。
で、また脱線しちゃったけど。
いや、どうにも脱線して夫の昔話をだすと怒りがこみあげてきて
大幅に脱線しすぎるきらいがある・・・
何を言いたいかというと「世間」と違うことを言うと批判的な目でみられる、ということ。
「仕事は生活のために、どっちかと言うと仕方なくやるもの」が世間的だとしたら「仕事が好きだから仕事をする」という言葉は言いづらいし
「食べると言う行為は尊い。大事。」という人が多いから「食に興味なし」って言いづらい。
そしてどちらも言いづらい方側なんだけど
でも本当に最近そう確信したのだ。
元々「美味しいもの食べたい!!」とかって思わないからそこに労力を使わない。
どれほど美味しくない物を食べて育ったかと思われるかもしれないが
私のばあちゃんが作る料理は本当に最高だった。次男に「どこのラーメンが一番好き?」と聞かれて熟考した結果「ばあちゃんが作ったラーメン」だった。母が受け継いだがやはりあの味は再現できないらしく今や幻である。最高の最高のラーメンだった。それ以外に作る和食も本当に美味しかった。
母の和食も美味しいが洋食が抜群である。うちの子供らも私の母が作る料理を求めて私の実家に行くことがあるぐらいだ。本当に心の底から美味しいと思う。
そんな二人の味で育った私の料理は・・・たぶん美味しいと思う。
自分で言うな(笑)って話だけど「この味」って決まるまでの感覚が素晴らしいと思う(え、私の話ですがなにか)。
味付けはもちろん、ほぼ全てにおいて「適量」だけど「これぐらい、あれぐらい」と迷うことなく一回で「この味」って決まるのだ✨
だから「美味しい味」を知らないわけではないし「美味しい」と思う感覚もきちんとあるとは思うのだけれど
何かにかけるエネルギーが100あるとして40仕事55趣味などの好きなことだとしたら残りの5の内2ぐらいが「食」という感じかな、ってイメージ。
私自身の興味もないことに加えて「人」と食事することが好きではない。
マナーも気になるし音も気になるしゲップなんてされた日には
その場で「ごちそうさま」と言って食卓を去りたくなる。
テレビを見ながら食事をするのも嫌だから、家族と食事をしていたときは消してもらってたけど「お母さんが怖いからテレビ消してます」って雰囲気が漂う。会話をしながらの食事も色々こぼす人が出てくるからそれを見るのも嫌。
だから学校時代の給食とかも本当に嫌だった。
そして現在。
もとからダイエットのために夜ご飯を食べないことが多かったのだけれど
(作りはする)
最近昼ご飯を食べると、今食べたのにすぐに何か甘いものや
違う物を食べたくなって「めちゃくちゃお腹いっぱい」という状況になることが増えた。自分一人の食事なんだからコントロールすればいいのに、なぜかお腹いっぱい!になるまで食べてしまう。
そして私が「お腹いっぱい!」になることが嫌で(なんでだかわからない)
かと言って腹八分目を気にしているとかではなくて
「はあ、満腹」みたいな感覚が好きじゃない。だからお味噌汁とかを飲むと
満腹感がマシマシにになるからお味噌汁も嫌い。
そんなわけで、一日一食、しかもその一食を朝ご飯にすることにした。
朝だとそんなに食べられないから昼の食事のように「食べた直後にすぐ何かを食べる」ということもしない。
パン食が好きだからパンを食べたいときに食べるとか
昨日の夜ごはんおいしそうだったなーと思えば(自分で作りながら思う)
それを残しておいて朝食べるとか
とにかく自由にできる。かつ一人で食事ができる。
そうしてから本当に食事に対して「満足」となった。
家族団らんのために夜ご飯は一緒に、というルールも元から破りがちだったけど別に他の時間で仲良いからいいや、と思ってるし
私がいなければみんな好きなテレビを見ながら食べられるから楽しそう。
ちなみに私はその間お風呂に入っている。
各国の人たちが「快い時間は何をしている時間か」という質問に答えたら
ほぼ「セックス」と答える中で日本人は「美味しいものを食べる時」という答えだったらしい。
日本人ってやっぱり「美味しいものを食べる」ことに労力かけがちなんだなとそれを見て思った。
だから私が日本人の中で食をおざなりにすると非難されているような
感覚になったんだな。
こうやって色々書くといわゆる一般的ではないなと思うけれど
「こうしたかったんだな」と気づけてよかった。
朝一食のご飯だともちろんお腹は空くし栄養は?とかも考えるけれど
まあ、それはそれなりに。
ただ週末1日の1食だけは普通の食事をすることにした。
ちなみに先日は娘のピアノを待っている時間があったので
一人で和食屋さんに入り少し高めのお刺身定食を頼んで満喫してきた。
久しくお肉も食べていないので次は隣にあったステーキ屋さんでも
いいなと思って帰ってきた。
週に1回、一人で好きな物を食べる。
私の究極の「食に対する希望」はこれだったのかもしれない。